第249話 精錬所の再開

 それからリサの言葉により、ゼフは人として、また彼女と同じく家族を持つ一家の大黒柱として、醒めない夢からようやく目を醒ました。それはお酒という苦しい現実から目を背けるため用いた、言わば彼なりの世渡りにおける処世術の一つだったのかもしれない。それでも何の解決にはならないとリサから説得されたことで、彼は現実を直視しようと立ち上がったのである。


 もちろんそれは彼だけに限った話ではなく、精錬所を解雇されてしまった他の労働者達にも家族があり、このまま酒場に入り浸っていても一家を路頭に迷わせるだけの人生なんて真っ平御免だったのは言うまでもなかった。


 だが、それでもこれと言って特に個々の能力が秀でているわけでも、また名のある身分があるわけでもない労働者にとっては、新たに次なる仕事を見つけるのは困難だった。それというのも、彼らは働ける歳になれば精錬所で働いていたため、他で仕事をできるような能力や経験を何一つも持ち合わせていなかったからだ。

 結局のところ、彼らのような労働者が日々の糧を得るためには、以前と同じに働くことのできる精錬所関連か製錬所しかなかったのである。


 また間の悪いことに、今は戦争が終わってから早数年の月日が流れてしまい、終戦直後には付き物だった国内産業の特需も既に底を見せており、近場の工場などは次々に閉鎖されつつあったのである。

 そんなところに彼らのことを雇う企業は現れるわけもなく、失業者として酒場に毎日入り浸ることで、ただ無駄に時間と金を浪費し続けていた。


 低賃金で働かされていたとはいえ、一応仕事をしていれば苦しいながらも生活することはできたのだが、それも今では仕事がまったく無いために、妻が出稼ぎに出て稼いだ金を頼りに酒場で飲んだ暮れるのが関の山だったわけだ。

 酒を煽り現実から目を逸らしてはいたものの、このままでは不味いとは思いながらも、彼らは無力にも何の努力もしてこなかったのである。


 言ってしまえば、人として、また男として無能と言われることだろうが、それでも彼らは労働者としての矜持プライドがあったのかもしれない。そんな時に現れたのがデュランだった。


 彼は新しい精錬所の事業主であったが、その見た目の若さからゼフ達労働者は真剣に取り合わなかった。

 それでも彼の言動とその妻の説得により、改めてデュランの精錬所で働こうと決意をするのだった。


 彼らは労働者としてデュランを救うべく救世主であるが、それと同時にデュランも彼らにとっては救世主だったのである。

 互いが互いの存在を欲し、巡り巡って運命と言う名のものが両者のことを必然的に引き寄せたのかもしれなかった。


 それからすぐにゼフは共に解雇された労働者へ呼びかけ、再び精錬所で働くことになった。



―それから数日後、元ルイスが所有していた『オッペンハイム精錬所』にて


「半月近く動かしていなかったが、機械のどこかに不具合などは生じていないか? 何か不自由があれば、遠慮せずいつでも言ってくれよ。なんせ商売道具なんだからな。始めてすぐに生産ができなければ、損失が大きくなってしまう」

「へっ。俺達の新しい雇い主さんは随分と心配性と見えるな。俺達のはそんな柔にゃ鍛えちゃいねぇよ! ちょいと、油を差しさえすりゃ~……ほ~れっ、このとおりだぜ!」


 デュランはこの半月ほどの間、ロクにメンテナンスもされて来ずに放置されていた設備機械が壊れてはいないかと、心配で気が気ではなかった。

 現場監督を新たに任せられることになったゼフは対照的に陽気にも、軽い口調で蒸気機械の接続部に油を差して見せると、ちょうど圧力が上がったのを見計らい、バルブを開け放ってみせた。


 途端、バァァァーッと白い蒸気が排出口から吐き出され、辺りは真っ白な煙に包まれてしまう。


「ごほっごほっ。ほ、本当に大丈夫なのか、これ?」

「……どうやら俺達の蒸気機械マドンナは、放置されてたおかげで機嫌を損ねちまったようだ。ま、大丈夫だ。すぐにご機嫌になるだろうよ!」


 デュランは再度不安になってしまうが、それでもゼフは長年使ってきた機械類に愛着とそれを手懐ける心得を持っているため、自信だけはあるようだ。


 この精錬所の機械類はルイスが買収するよりも更に前に、それこそこの工場が設立された当初のものばかりで、40を過ぎたゼフよりも更に古いとのこと。ゼフは16の時にこの精錬所で働き始めたと言っていたので、軽く見積もってみても30年以上が経っている代物ばかりのようだ。


 ルイスが買収してから先進的な技術や機械を取り入れてこなかった理由も、金食い虫である設備投資をしてこなかった不始末に他ならない。このため他の新規工業とは、明らかに生産性が劣っているので未だ人の手を主流しており、労働者の数がより必要になるらしい。


 つまりそれは人件費が上昇することを意味しており、この精錬所の新たな事業主であるデュランとしては頭が痛い問題の一つであった。


 またこの精錬所では、鉱物石から金属を取り出し加工しやすいようにと、溶かした金属類を型へと流し込み、十二分に冷やしてから原料鋳塊ちゅうかいにする製錬工程も同時に行えるインゴット法の生産能力まで備えているという話だった。


 だがそれも当時のインゴット法は、ただの鋳型いがた(モールド)と呼ばれる、まるで大鍋のようなものを模した取鍋とりなべと呼ばれるものへと流し込むだけなので、その形はまさに『塊』と呼ぶに相応しかったのである。それに冷やして固まりにするということは、それ即ち冷やすのにも時間を要することを意味しており、作業効率は大幅に悪くもなる。


 その後、加工を施すには大型の蒸気圧力成型機を用いて塊から平らへとならさなければならず、これを圧延あつえん工程と呼ぶ。また金属をハンマーなどで叩くことにより鍛え上げる鍛造たんぞう工程をする場合、そのどちらでも再溶解しなければならないため、塊のままそれらの加工作業をするのはとてもじゃないが容易なことではない。


 これらの方法は著しく生産効率を悪くし、その後に加工をする工程においても更なる手間暇と費用、それに多くの人手を要することになることは言うまでもなかった。

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