第242話 もう一人の自分

「こ、こほんっ。そ、それよりも、せっかくこうして忙しい最中、公証所へと集まっているのだから時間が惜しいです。早く本題に入りましょう。それにいくら公証人であるルークスさんに断りを入れているからと言って、またこの部屋を間借りしているとはいえ、長時間に渡っての占領はあまり印象が良くないでしょうしね」

「あら、随分と上手い逃げ方を見つけたものね。まぁいいでしょう。今日のところはそれで誤魔化されてあげるとするわ……リアン?」

「はい。……と言っても、概要などは先日デュラン様にも説明したとおりになります」


 デュランは咳払い一つして、その場を取り繕うとしてみたものの、そのあまりにも苦しい言い訳では目の前の女性には通用しなかったのである。

 だがそれでもこの場へと集まった意義を果たすため、傍で控えていたリアンに呼びかけ話の続きを促した。


 ルイスは自分の資産の売却先を彼女だと思い込み、市場価値の半値に色を付けた程度ですべての資産を売却する取引について、そのすべてをリアンへ一任したのだという。それもリアンに対する信用の現われであった。


 そしてリアンはこんなことを口にする。

「私があの方へ長年に渡り仕えてきたのは、このような信用を得るためにあったのだ」――と。


 そう語るリアンの言葉に並々ならぬ信念とともに、自らをそこまで犠牲にして成すべきことがあるという使命感を感じ取ったデュランは思い悩んでしまう。

 また相手に対する醜悪や復讐心よりも、そうまでなっているのに本人が気づいていないこと自体、どこか異様なものにも見えていた。


(これは相手を殺めるだけではない、別の思惑があるに違いないな。でなければ、恨みを持つと口にしているルイスに対して、長年に渡り仕えることはできないだろうしな。もしかしたら、彼は過去の俺と同じ境遇なのかもしれない。それこそ自分を犠牲にすることも厭わずに、相手に復讐し潰すことばかり気を取られて)


 デュランはリアンを見つめ、もし自分もケインやルイスに対しての憎悪が深まれば、今の彼のようになっていたかもしれないと内心思ってしまったのだった。


 デュランとリアンとの違い……それは物事に対する捉え方と考え方の相異はもちろんのこと、周りの環境の違いだったのかもしれない。


 デュランは戦地より生きて戻ると、従兄弟だったケインとその父親により婚約者もまた資産など大切なものすべてを奪われてしまった。


 もちろん彼も当時はそれに対する恨みを、今のリアンと同じようにその胸へ抱いてもいた。

 その恨みや憎悪、また復讐心を胸に抱きつつも、結局のところ彼は別の道を模索したのである。


 負の感情は生きながらに死者となった者達へ生きる目的を与えるが、それと同時に心を蝕み、そのことだけに魅入られてしまい、最後には自分も含め破滅することを十分理解していたからであった。


 またデュランにはアルフやネリネ、そしてリサというかけがえのない存在が新たに出来たことにより、それが力となって心にポッカリと空いてしまった隙間を埋めてくれたのも大きな要因だったのかもしれない。


 だがしかし、リアンにはデュランと同じ境遇に見舞われながらも、周りで助けてくれる人や大切な存在を得られなかったに違いなかった。

 それこそが今のデュランとリアンとを分かつ、異なる大きな岐路になってしまったのかもしれない。


 それを一口に不幸や境遇などという言葉で言い表してしまえば簡単だろうが、それは本人にしか理解し得ないものである。

 他人が平然と口にするそれと、その境遇へと見舞われた者とでは、たとえ感じるもの一つでも圧倒的な差が生じるものなのだ。


 そこには他人が共感するということや哀れみの気持ちなどという上っ面の言葉だけでは、かえって相手を傷つけてしまったり、あるいは敵対心を抱かれることもある。


「人は自ら痛みを知ることで、他人に対しても本当の意味で痛みを共感することができる」……そうデュランは彼の姿を見て思ってしまった。


(過去を振り返ることができる今だからからこそ、理解できることなのだが……俺はあのとき、この世で一番自分が不幸なんじゃないかと思っていた。けれども本当は十分に恵まれていた環境だったんだ。それはリサをはじめとした人達が助けてくれたから、今の俺でいることができたんだ。でも……もしかしたら一歩間違えていれば、もしくは誰も周りで助けてくれる人が誰もいなければ、今のリアンのような相手に対する復讐心にだけ捉われていたかもしれない。だが、果たしてその先に待つものはあるのだろうか? ただ彼自身もルイスを巻き込むという形で、破滅する道しか残されていないじゃないか。そのとき俺は彼のことを助けることができるのだろうか……)


 そして彼自身の境遇とはいえ、何か救う手立ては無いものかとリアンの顔を見つめながら、彼の説明に耳を傾けることにした。

 それは可哀想などという悲観的な感情よりも、もう一人の自分を助ける……そんな気持ちに近かったのかもしれない。

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