第234話 受諾の握手

 そもそも銀行とは、それ即ち『信頼』と『資金』から成り立つ信用産業とも呼べるものである。

 当然のことながら、誰も彼もが銀行を開けるわけではないのだ。


 そこには多大な信頼を始めとした、決して債務不履行となり得ない豊富な資金が必要となる。

 またそれを審査するのは国であり、仮に銀行が多大な損失を出して債務不履行となった際には国民の血の滲むような努力によって得られた税金の援助を受けられることを意味してるわけだ。


 よってオッペンハイム商会が銀行を設立できるということは、国から公式に疑う余地の無い信頼があると認められることを暗に意味していたのである。

 それこそ金だけでは絶対に買うことのできない国民からの信頼という、名誉を……。


「そうだ。ルイスも本来得られるべき多大な利益を捨て、確固たる揺るがない国からの、そして国民の信頼というものを得ようとしている。この意味は君に説明せずともいいだろう?」

「え、えぇ。それはもちろんです」


 フィクサーが改めてそう説明をすると、デュランは慎重な面持ちのまま頷いて見せた。


 彼自身、オッペンハイム商会に多大な権力と資金があることは知ってはいた。

 だがしかし、一企業一商会にすぎない彼らがまさか銀行を開くとは夢にも思っていなかったのである。


 デュランがようやくと企業家としての第一歩を踏み出した頃、ルイスはそれこそデュランが生涯懸けても辿り着くことができるか分からない、遥か先へと進んでしまっていた。


「だがな、それこそが弱点と成り得るわけなんだよ、デュラン君」

「えっ? じゃ、弱点???」


 デュランの表情を覗き見ながらも、フィクサーは意味深にもそう語りかけてくる。

 そしてこうも言葉を続ける。


「なんだ、分からないのかい? 銀行というものは、確かに信用から成り立っている。けれども、人々の言う信用とはいつの世でも金なのだ。つまりいくらルイスのオッペンハイム商会と言えども、資金調達には苦労する……これがどういう意味なのか、君には分かるかい?」

「あっ……そ、そうか……ルイスは今、必死になって金を集める。なら……」

「ふふっ。彼はその国に収める資金の融通で奔走し、足元が疎かになっている。つまりは君が付け入る隙となっているわけなんだ。そして偶然にも近々名前は忘れてしまったのだが、付近の鉱山や精錬所などを売却するらしい。これぞまさに好機だとは思わないかい?」


 フィクサーはまるで子供に教育するが如く、デュランに対してルイスの近況情報を齎してくれた。

 これが罠だったとしても、その情報の裏を取れれば彼が口にした情報がより確かなものと成り得るわけだった。


(近郊の鉱山? この街近くだと、ウチのトルニア鉱山ともう一つ……銅が取れていたウィーレス鉱山かっ!? 確かあそこもルイスが鉱山主から買収したと、以前アルフの奴が言っていたな。それに鉱物を精錬できる精錬所まで得られれば、今よりもウチはもっともっと大きくなることができる。それこそ製塩所の時とは、比べ物にならないほど更に大きくも……)


 デュランはこの好機を利用してルイス所有の鉱山や精錬所など、そのすべてを買収しようと考えを走らせる。


 一般的に会社を手っ取り早く大きくするためには、同業種ライバルの会社を金で買収するのが何よりも確実なのだ。もちろんそれは競争を減らす目的の他もある。それにより、今よりも確実に自らの資産も会社も大きくなることができるわけである。


 またそれは何も資産だけに留まらず、人を雇い入れることで金では得がたい人心、またそれに付属する形で長年の間、培われてきた技術や知識までも容易に手に入れることを示唆している。


 だがそこで、一つだけ懸念すべき事柄があることにデュランは気づいてしまう。


「何をするにもまず、金か」

「おや、資金にお困りのようだね? ふふふふっ」

「ぐっ……」


 デュランが何気なくそう呟くと、その言葉を待っていたかのようにフィクサーが笑みを浮かべ手を差し伸べてきたのである。

 それはまるで最初からそうなるようにとの道筋を付けられ、彼の思惑に誘われたようにデュランには思ってしまった。


(どうする? この人と手を組むか? だが、そうなってしまえばルイスと同じく扱われてしまう。だからと言って、手持ちの資金だけで買収するのには限界がある。現状では、せいぜいウィーレス鉱山の一つでも買収できるのが関の山だろうしな)


 デュランはフィクサーと結託するかと悩みに悩んでいた。


 手を組めばルイスと同じ道を歩むことにより、拒めば手持ちの資金では高が知れている。

 最初からどちらを選べば自分にとって有利になるのかは明白の理である。それでも心の引っ掛かりが、彼の決断を躊躇ためらわせていたのだ。


「ふぅーっ。どうやら君は誰よりも慎重のようだね。負けたよ……」

「えっ? え、え~っと?」


 特別勝ち負けを競っていたわけでもないのに、フィクサーは自ら降参の意味を示す両手を軽く挙げながら、そんな言葉を口にする。

 デュランには彼のその言葉も行動の意味も分からず、返答の言葉を詰まらせてしまう。


 だが、次に彼が口にする言葉に衝撃を受けることになる。


「ならば今は君の信用を得るべくして、必要な分の資金は信用の対価という形で投資することにするよ。ああ、もちろん君が今懸念してような返済も利息なども無しでいい。どうかな、これでもまだ私の手を携えてはくれないのかい?」

「…………」


 フィクサーのその申し出はデュランにとっても、破格とも思える事柄だった。


 投資とはつまり受け取った資金で利益を出せずとも、返さなくても良いことを暗に示していたからである。

 それを自分の信用を得るという形無き信頼により、金を出してくれるのだという。


 デュランは数秒の沈黙の後、行動に出る。


「必ず、貴方からお借りした資金はお返しします」

「ふふっ。そうかい? 別に返して貰わなくても良いのだが……その日が来ることを楽しみにしているよ」


 デュランはそっと彼の手を取ると、しっかりと握り締めフィクサーと手を組んだ。

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