第232話 世襲制

「一つはどうしてそれを俺に頼むのか、です。それと立場的にルイスよりも上である貴方ならば、容易且つ合法的にオッペンハイム商会を潰せるのではないでしょうか?」

「ふむ。なるほどな……君がその二つの疑念も尤なことだろう」


 フィクサーはデュランの問いかけに対し、そう思ってしまうのも当然であると頷いていた。

 そしてそれに答えるため、こうも言葉を続ける。


「まず一つ目なのだが、君に対して可能性を見出したからだ。もちろん大昔、この地域を支配していたシュヴァルツ家の者というのも一つにはあったのだが、それでも肝心なのは君自身なのだよ」


 フィクサーは明け透けもなく、本心でそう語りだした。


 シュヴァルツ家は大昔この地域を支配していた貴族の末裔まつえいだった。

 だが時代とともに、その支配力は薄れていき、代を重ねるごとにその権力も財力も衰えていった。


 デュランの父親であるフォルトや叔父であるハイルの時代には、地方の一部を支配するだけの存在に留まっていた。

 これまでの威光や財力を生かし、その名声だけは今も健在である。


 デュランの叔父であったハイルが金に汚く、強欲にも周りの貴族を支配していたのとは対照的に、デュランの父フォルトはその人柄と慈しみの心により人心を掌握していた。

 だがそれもハイルやフォルト亡き今では、シュヴァルツという家名が残るだけで何も残されていなかったのである。


(あの処刑台の時と同じく、この人はウチの家名を存分に利用するつもりなんだろうなぁ。没落したとはいえ、その名だけでも価値がある……か。だが今の俺の身分はただの……あっ)


 そこでデュランはあの時、処刑台で彼が口にした言葉を思い出した。


「そ、そうだ! あの、俺の身分って、本当に……」

「うん? ああ、そのことかね。それも追々話をしようかと思っていたところだったがな……。一応、軍にも決まりというものがあってだね、決定を覆すことは無いと言える。それは例え戦地で死んだ者が生き返ろうとも同じことだよ」

「なら、やっぱり俺は……」

「ああ、そうだとも。君の今の身分は男爵に値する」

「男爵……この俺がついに貴族として正式な身分を得られたんだ!」


 デュランは思いがけず、自分の身分が引き上げられたことを内心喜んでいた。


 戦地へと赴けば誰しもが『少尉』と呼ばれ、もしもその地で死ねば、その階級が三階級引き上げられる。

 それは国に帰って来てからでも同じことであり、デュランの軍での階級は少佐となっている。


 これをもし貴族の身分に当てはめるとするならば、『男爵』に値する身分だとフィクサーはデュランに対して告げた。


 元来、貴族の身分制度とは中世より以前にあった騎士制度から始まり、またその呼び方は『準貴族』などとも呼ばれていたのである。

 彼らは戦地で赴き、主立った戦果を上げることで『下級騎士』『中級騎士』『上級騎士』……などと、その身分を上げていった。


 だがそれも中世を終え近代社会になるにつれ、騎士という呼び方自体、時代にそぐわない古めかしい物であるとの認識から、いつの頃からか、『貴族』などと呼ばれるようになったのである。

 また騎士は戦地へと赴き戦った英雄の身分であったが、近年の貴族の身分とは解釈も、また認識も昔のそれとは乖離かいりしつつあったのだ。


 それを一言で言い表すならば、世襲制であると言えよう。

 世襲制……つまり当主である貴族が亡くなってしまえば、自動的にその息子が貴族と呼ばれることになる。


 だがしかし、それは自ら遺産とその身分を受け継ぎ、勝手に名乗っているだけにすぎず、国から正式な爵位を与えられているわけではない。

 これまでのデュランも世襲制により、父親のフォルトからその身分を受け継いでいただけにすぎず、名も無き、それこそ身分無き一貴族にすぎなかった。


 けれどもこれまでの功績を称えられ、また軍での身分が上げられたことにより、デュランは正式に国から貴族の身分である爵位を与えられたのである。

 もちろん爵位にも男爵だんしゃく子爵ししゃく伯爵はくしゃく……などと事細かに身分が分けられている。


 デュランが与えられたという男爵の身分は、その中でも下から数えたほうが断然早いのは言うまでもない。


「ああ、喜んでいるところに水を差すようで気が引けるのだが、もっともそれもこの国では名ばかりのものだろうけどね。中世時代の貴族のような、何らかの功績の褒賞として特別に国から領地を与えられるわけではないし、またその権力についても薄いと言える。それは君も十二分に理解しているだろう?」

「えぇ、それはもちろんです」


 19世紀末における近代社会では、既に貴族というものすら名ばかりの存在であった。

 そのため昔のような国から領地が与えられ、各地方を統治・支配するようなことは既に時代にそぐわない廃れた制度と言える。


 それは資本主義の台頭を皮切りに、時代の流れだったのかもしれない。

 だからこそオッペンハイム商会のような一企業が幅を利かせ、国すらも牛耳られることだろう。


 だが時に、その虚名こそが通用するときがあるものである。


「デュラン君。私は君にこの国を率いる人物になって欲しいのだ。それはこの国をより良くするという理由でね」

「そのためにシュヴァルツの名を使いたい……そういう理由なんですね?」

「その他に君自身の能力、そして一企業家としてもこの国の経済を引っ張っていって欲しいのが本音のところかな。国の大多数を占める庶民にとっての幸せとは、日々の仕事、日々の生活、そして何よりも日々口にするであろう食べ物が何よりも重要だろうからね。彼らを貧困から救うには経済改革しかない。あるいは……」


 そこでフィクサーは口を閉ざしてしまった。


 経済以外で国を、そしてその国に住む民を潤す手段は一つしかなかった。

 それは近隣諸国との戦争である。

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