第226話 予期せぬ警戒心

 それはデュランが処刑されずに済んだ翌日の早朝のことだった。

 ようやくいつもと変わらない日常を取り戻したデュラン達が朝食を食べ終え、レストラン開店の準備で忙しい時間帯に突然店へと訪れた者がいたのである。


「もし……すまないのだが、誰かいないかな?」

「あっ、すみません。まだウチの店は開店時間前なんですけど……」


 リサやネリネが料理の下準備をしており、そしてアルフが店の掃除をしているため、誰も手が空いていなかったのでその突然の来客にはデュランが応対することにした。

 尤も店を開けるには随分と早い時間帯のため、その来客は断るか、店の開店時間になるまで待ってもらうようにとデュランが口にしようとしたときのことである。異様な視線を向けられていたことに気づいた。


「おや、そうだったのかね? これは私としたことが、配慮が足りなかったようだね。どうにも気が急いてしまい、少々早く来過ぎてしまったようだねデュラン君」

「なんで俺の名を……」


 その残念そうな口調とは裏腹に、端からその人物は店の開店時間よりもデュランのことしか興味ないと言った口ぶりだった。

 デュランは自分の名を知っていることはもちろん自分へと向けられている視線が、まるで獲物を狙う猛禽類のように鋭くも視界に入る者はすべて逃がさないと言った風にも感じてしまっていた。


「あぁっ! 貴方は昨日の……」


 だがそこでデュランはその人物に心当たりがあることを思い出し、思わず驚きの声を上げてしまう。

 なんとそこには彼が忘れることのできない人物が立っていたのである。そう彼こそはデュランの窮地を助けてくれた恩人に他ならない。


「俺のことを助けてくれた……確かお名前はフィクサーさん(?)でしたよね」

「おや、私の名前まで覚えていてくれたのかい。これは光栄なことだね」


 デュランは未だその来客に驚きを隠せず動揺したまま、昨日自らの命を助けてくれた恩人の名を口にした。彼は自分の名を覚えていたことに少し驚いていたが、それでも表情は明るくどこか嬉しそうでもあった。

 

 デュランが目の前の人物の名を忘れられるはずがなかった。

 なんせ昨日、死ぬはずだったところを助けてくれたのだ。


 だがそれでも正式に自己紹介を交わしたわけでもなかっため、疑問系交じりに彼の名を呼ぶことしかできなかったのである。

 そんな思いが顔に出ていたのか、彼はデュランの気持ちを汲む形でこう自分の名を口にする。


「改めて自己紹介することにしよう。私の名はフィクサー……人からはそのように呼ばれてもいる。ああ、そうそう君ならば私のことを“さん”付けせずともいいのだよ、デュラン君」

「さすがに助けてくれた恩人を呼び捨てにはできません。俺……いえ、私よりも目上の方なら尚更ですしね」

「ふふっ。窮地の際にはかなり大胆な行動を取るわりに、君は人を立てるのが上手なのだね」


 フィクサーはそんなデュランの目上の人を立てる言動が好ましいと好奇な目で彼のことを見つめながら、そっと空いている左手を差し出した。


「あっ……はい」

「んっ」


 デュランは慌てて差し出されるがまま、握手をしようと右手を彼に差し出そうとする。

 だがしかし、すぐにあることに気づき、その手を引っ込めて彼と同じく左手で握手に応えるのだった。


(昨日はあまり余裕が無くて気配りできなかったが、この人は足が悪かったんだな。いや……でも……)


 彼の右手は杖を握り自らの体を支えているため、デュランとは必然的に左手のみで握手に応じたわけである。けれどもデュランはそこで何かが変であると心に引っ掛かりを覚えたが、核心に到るまでではなかった。


「先程から私の足を熱心に見ているようだが……ああ、これかね? 私も随分とした歳なのでね、こうして杖を支えに生きている身なのだよ。もしや……幻滅してしまったのかな?」

「いえいえ、幻滅だなんてそんなことありません。それにそれだけが人の価値を決めるものでもないことですしね」

「だがそれにしては、一瞬返答に戸惑っていたように私には見えたが……ただの思い過ごしかな?」


 デュランの視線が自らの右足と体を支えている杖を見ていると気づいたフィクサーは、そんな言葉を口にするのだった。けれどもデュランが思い考えていたのはそれではなく、その前に彼が口にした『歳』という言葉であったため、慌てながらに否定する。


 だがいくら同姓とはいえ、目上の人にそれを直接口にするのは憚れると思った彼はこう言葉を続けた。


「ただ先程、握手をする際につい右手を出してしまいそうになってしまった自分の行動とともに、己の思慮の浅さを恥じていただけです」

「なるほどなるほど、自分の思慮を恥じた……か。ふふっ。君はどこまでも良い人間なのだね。そしてその場を切り抜けるのが上手でもある」

「っっ」


 デュランのその言葉に偽りはなかった。


 しかしフィクサーは彼の動揺して様子が、そのことではないと気づいていたのである。それに気づいていながらも、デュランがどのような返答をするのかと期待し、そのように言葉だけで彼を誘導していたのだ。


(さっきの握手もわざだったのか……。俺の動揺する姿も……いや、その後の反応までも事前に知っていたとも受け取れる余裕のある顔をしている。命の恩人ではあるが、油断ならない人物なのは確かだな……。一言一句、それこそ言葉の端々にも気をつけねばならない)


 デュランは言葉を交わすうちに、目の前に居る人物に対する警戒心を高めていった。

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