第213話 生と死との概念

 それから更に数日が経った、ある日の朝のことだった。


 その日の朝食はどこか違っていた。いつもはただの水とも思えぬスープが唯一の食事であったが、今日だけは何故かパンが一つ付いていたのだ。それも一口にパンとは言っても、とてもじゃないが食用とは思えない、まるで岩のように硬くなり干乾びてしまっている黒パンであった。


 デュランはこの数日の間、出される食事を取ることは無かった。それは人が食べるべき食事では無いということもあっただろうが、何故か不思議と腹が空かなかったのである。


 きっと迫り来る死を目前にし、それを考えるだけでも胃が受け付けなかったのかもしれない。

 そうであっても黒パンを前にすると、つい手に取ってしまった。


「まるで岩のように冷たく硬いな。こんなものが本当に食べられるのか?」


 実際手にしてみれば、その黒パンは岩と相違ないまでに硬かった。

 手に持った瞬間、これは食べられそうにないと思ってしまったほどである。


 デュランのレストランでも同様の見た目の黒パンを食事としてスープと一緒に提供はしていたが、ここまで硬いものを手にしたのは初めてのことだった。


「……スープに浸してやれば食えるさ」

「スープ?」


 右隣からそのような言葉が投げかけられてきた。

 そして言われるがままスープに目を向けてみたが、それでもデュランには食べる気が起きなかった。


「なんだ、食わねぇのかい?」

「ああ、どうにも喉を通りそうにもなくてな」


 どうすればこんなものが食べられるのかと思いながら、どう返答するかとデュランが迷っていると彼がこんな言葉を口にする。


「これが最期の食事だぜ」

「最期の……食事?」


 それが意味するところは一つである。

 今日こそがその日なのだ。


「いくら死刑を受ける罪人だろうとも、最期の食事くらいは食べられるものを出すんだろうよ。それがコイツさ」


 ツヴァイが今口にした“コイツ”とは、黒パンに他ならないことだろう。

 一応人が食べられるものとして、この黒パンが出されたのだろうが、何故パンなのかデュランは皆目検討もつかなかった。


 だがツヴァイの次の言葉で、その意味を知ることになる。


「キリストさ……あんたもその逸話くらいは知ってんだろ?」

「キリスト? ああ、数個のパンを数百人に施したって言うアレか。なるほど……それでなのか」


 そこでようやく最期の日に、パンが出された理由をデュランでも理解することができた。


 どうやら死を直前に迎えた彼らへの最期の慈悲として、キリストが最期にしてきたことに対する真似事と同じく、このパンが食事として出されたとのこと。

 だがそれでもデュランが口を付けることはなかった。


「この間、アンタが俺に聞いてきたことだがな」

「あ、ああ。それがどうしたっていうんだ?」


 唐突にツヴァイが数日前にデュランが彼に対して問うた、死についての話であると少し遅れて理解する。


「あの時は気分が昂っちまってて、少し説教染みて偉そうなこと言っちまったけど、それでも俺だって死ぬのは怖いものなのさ」

「まぁ……それはそうだろうな」


 まさか彼から反省の言葉を口にされるとは思ってもいなかったデュランは戸惑い、そして返答に困り気のない返事をしてしまう。


「だがな、それでも死は新たな生へと繋がる……。そう思えさえすれば、きっと俺達にも救いが待っているはずだ」

「新たな生へと……繋がる……か」


 心なしか、ツヴァイには初めて言葉を交わした時のような力強さを感じなくなってしまっていた。

 そしてその言葉が自分に語りかけられているのか、はたまた彼自身自分へと投げかけ口にしているのか、デュランには判断がつかなかった。それでも彼が今口にした言葉……それはいわゆる輪廻転生であり、キリストが教えを説いたことでもあった。


 死があるから、新たな生の誕生へと繋がることができる。

 世の中は絶えずそうして循環され、そこには善人も悪人も等しく平等に扱われ、そして新たな生へと生まれ変わる。


 人はそれを現世での後悔や虐げられた救いだとも言われているが、一部ではまるで人に架せられた、ある種の呪いだという人もいた。


 目の前に居るツヴァイはこの国でも珍しくもキリスト教を信仰しているらしく、己の死が救いであると思っているようだった。けれどもデュランにとってそれは、どこか物悲しい空虚なものであると思ってしまうのであった。


(この世で救われなかったから、新たな生で幸せになれる……か。もしそれが本当だとしたら、なんだか生きることすら残酷のことのように思えてくるな。だがしかし、それがこの国に生きる庶民達にとって唯一の救いであるわけか。そう考えてしまうと、今を生きることすら意味があるのかと思ってしまうな)


 デュランは答え無き答えへと思いを馳せたが、ついに辿り着くことは無かった。

 そしてその道理を考え解くだけ無駄であるとも考えるようになっていた。


(確かに世の中に希望を見出せなければ、人は何かしらに縋りついてしまう。けれども、そんなもので果たして幸せと呼べるのだろうか? そもそも本当に神という存在がいるならば、何故苦しむ人々を助けようとしない? それが人に架せられた責務であったとしても、それは決して救いなんかじゃない。むしろそれは……いや、こんなこと考えるだけ無駄だ。なんせ神が人を作り出したのではなく、人が神を作り出したのだからな)


 デュランのその考えは唯物論ゆいぶつろんに基づくものであり、神というあやふやなものはこの世に存在しておらず、且つ人が神を作り出したという考えであった。

 そしてそのように人心を導いているもの……それは宗教というものである。


 教えを説き、人々を苦しみから解放するのは良いだろう。デュランも父親が亡くなったと知り、教会へと足を向け祈りを捧げた。だがしかし、この国の宗教とは権力者によりその実権を握られ、“そう”思うようにと誘導されているにすぎなかったのである。


 今の苦しい生活は来世への苦行……それを経ることで人は初めて幸せになれるのだと、教え導いていたのである。

 それは目の前にある現実及び苛酷な労働という、まるで罪人のような扱いを受けている庶民の心を別の何かを与えることで、そちらへと逸らす目的の下で導かれているにすぎなかった。


 そもそも宗教とは本来、人々の心を救うのが目的である。

 けれども、それが権力者や資本家達により意識誘導させられ、庶民は都合の良い夢を見せられているだけにすぎなかったのだ。


(もしかすると、この世で一番怖いものは宗教かもしれないな。それも人々を救うという名の元に掲げられ、妄信するもの。結局のところ、権力者達が良いように宗教という媒体を通して民衆を導いているにすぎない。そんなもので本当に救いになるのか?)


 デュランは宗教というものの本質へと近づきつつあった。

 それはもしかするとデュランが自らの死を悟ったため、そのように感じていたのかもしれない。

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