第212話 己の思慮の浅はかさ
「いやなに、アンタが庶民の出じゃねぇから、そんなことを聞いてきたのかと思ってよぉ」
「ん? 今の質問と俺の出生とが、何か関係あるというのか?」
「そりゃもちろんだ。ま、尤も、そんなことを改めて聞いている時点で、庶民の
ツヴァイはどこか飽きれる形で、そのような言葉を口にしながら更にこうも続ける。
「俺達が……それこそ庶民である労働者ってもんが貰える仕事なんてものは、毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。船舶の荷卸に製鉄所での仕事、あとは炭鉱場や鉱山なんてのがその最たるもんだ。仮に俺達がそこで死んでも、いくらでも代わりはいるんだよ。俺達は資本家とこの国にとっちゃ~、奴隷みたいなものなんだ。それこそ子供や孫に到るまで“それ”が引き継がれちまう。そして良いように使われた挙句、使えなくなればすぐさま捨てられちまう……まるで消耗品と同じなんだよ。それがこの世の中の仕組みの根幹で庶民の誰もが、それに対して疑問を思うことは一度もねぇはずだ。ただ雇い主や国を操っている連中から、与えられるがままの現実を受け入れるしかねえのさ。どうだ、あんたはこれまでそんなこと一度でも考えたことがあるって言うのか? そもそもあんたは庶民と同じ暮らしをしたこともねぇんだろ? それなのに死がどうのこうなんて今この場で庶民である俺に聞くなんて、余程の暇人かあるいは楽天家しかいねぇんだよっ!!」
「…………」
デュランはその重々しいまでのツヴァイの言葉に、尋常ではない恨みとも辛みとも言えぬものを感じてしまった。
実際、庶民の生活が苦しいということをデュラン自身、頭では理解しているつもりだった。
だがしかし、それは“つもりだった”という、あやふやなものでしかなかったのである。
それこそ身近な人で例えればアルフやネリネのような庶民、そして
もちろんそれは知識として、また人伝に聞いた話では十二分に理解していただろうが、実際に彼らの生活を体験したことはただの一度も無かったのである。
デュランはツヴァイの話を聞き、自らの思慮の浅はかさを思い知ることになった。
(確かに今考えみれば、そのとおりだ。俺はウチの鉱山や製塩所で働いてくれている労働者達のことを大切にしてきたのだろうか? もしかしたら、それはこの男が今口にしたとおり、上辺だけを取り繕っただけの言葉だったんじゃないのか? 俺はウチで働いてくれている労働者達を大切にすると言いつつも、今まで一度たりとも彼らの生活へと寄り添ってみたことはなかった)
デュランはこれまでしてきた自分の言動を振り返りながら反省する。
(これまで自分がしてきたことそのすべてが間違いだとは思わないが、それでももっと大切にすべきだったんじゃないだろうか? ふふっ。これでは先程ツヴァイから言われちまったとおり、今までの資本家達と何も変わらない。社会がどうのとか世の中がどうのと言いつつ、俺は一番大切な人達が身近の傍で支えてくれているにも関わらず、上辺だけの言葉で言い繕うだけで大切にしてこなかった。ルイスを陥れることばかりに気を取られ、彼らの生活を本気で考えてみることはしてこなかった。もし……もしも、ここから出ることが出来たならば、これまで以上に彼らのことを大切にしていかなければならない)
デュランは自分の会社を大きくさえすれば、それに付随して働いてくれている労働者達の生活も向上するはずだという信念を持ち、そして行動に移してきた。
けれどもそれは自分の中だけの考えの範疇であり、「彼らが本当に自分の元で働けてどう思っているか?」などと直接は聞いたことは無かったのである。現場のすべてをアルフだけに任せっきりにし、自らはルイスや株のことにばかり目を向け、肝心要である足元を疎かにしてきてしまっていた。
(俺はいつも何かしら大切なことが抜けているな。頭では大切なことだと十分理解していたはずなのに、それでも言葉だけ、そして自分自身の考えが及ぶ範疇だけ……それしか考えてはいなかった。もしかすると、これからの時代は“それこそ”が社会を良くする上で、何にも増して強みとなるのかもしれない)
デュランは自分が罪人として牢で過ごすこのときこそ、生まれて初めて庶民の側へと立つことができたのである。そして理不尽な世の中を嫌というほど、その身で味わうことができた。実際に世の中を良くしようと変えるには机上の空論だけでなく、まず身をもって体験することが必然であると言えよう。
デュランもまた力無き庶民と同じく明日をも知れぬ身となることで、より彼らの痛みを知ることができたのであった。だがしかし、それは彼の考えを変えるきっかけとなったが、時既に遅かったのかもしれない。
数日のうちに今の考え方を教えてくれたツヴァイも、そしてまたデュラン自身も逃れられぬ死を迎えることになるのである。彼は永遠とも思える静寂が支配する暗い地下牢の中、自らの人生を思い後悔しながら振り返ることしかできなかった。
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