第210話 掴めぬ希望

「ま、待ってくれっ! そもそも納税に対する通知がなされていないというのに、そこに座っている判事達はどうやって税を納めろと言うんだっ!! それに納付すべき税額にしても年度ごとに決められるはず。俺の製塩所『リトル・ウィッチ』はまだ設立から数ヵ月しか経っていないんだぞ! それにだ、陪審員がそこに居るはずなのに、何故彼らは一度も意見を口にしない!? そもそもこの判決にしても、彼らには相談すらしていないじゃないかっ! あまりにも理不尽すぎる判決だ!!」


 デュランが判決を読み上げたボルト判事へと食って掛かり、左側の隅端で座っていた10名ほどの陪審員達を指差しながら、そう叫んだ。

 彼らはデュランに呼ばれると気まずそうにしながら顔を背けてしまい、その視線から逃れる形で視線を床板へと移してしまった。


 そもそも判事達はこの裁判が始まってから彼らに相談するどころか、一度たりとも言葉すら交わしてもいなかったのである。


 陪審員とは名ばかりの制度であり、彼らは幾ばくかの金を貰い受け、そこに座っているためだけの存在。

 言うなれば、庶民の中から選び抜くことで、法を重んじる裁判所が民意を反映しているという体裁だけ・・・・を整わせる置物にすぎず、傍聴席で座っている人々とほぼ相違ない存在であるとも言えるだろう。


 デュランは必死になり、そう訴えかけるのであったが、生憎と判事達がそれについて取り合うことはなかったのである。


「んっ」

「はっ。ふん!」

「静かにしていろっ!」

「がっはっ」


 ボルトはデュランのすぐ傍で控えていた制服を着た二人へと、顎を少し動かすだけで何か指示を出した。

 するとその彼らはデュランの背後へと回り込むと、すぐさま彼の後頭部と背中に手を押し当て、そのまま勢い良く床へと押し付けながら自分達の体重をその上からかけることで彼の体ごと押さえ込んでしまった。


 いきなりの出来事に受身も取ることができず、また成人男性二人の体重が上から圧し掛かられてしまったデュランは身動き一つできなくなってしまった。


「な、なんだよ……これっ!? おかしいんじゃねぇのかっ!!」

「そ、そうですわよ。途中までお兄様の主張を認めていたはずですわよね? それがどうして納税やらの問題が出てきたんですの!?」

「こ、こんなことが許されても、い、いいのか!」

「そうだそうだ! 今のはちょっとおかしいぞっ! 判事達が自分達の都合良く、勝手に判決を決めるんじゃ裁判の意味も何もないじゃないかっ!!」


 アルフとルインが異議を唱える形で今下された判決に対して声を荒げると、傍聴席で事の成り行きを見守っていた人々も次々と声を上げ始める。

 それもデュランが最後に口にしたとおり、判決に決め手となる量刑やその理由までも一部こじ付けに他ならなかったのは、法に疎い彼らの目から見ても明らかであったのだ。


 既に法廷内は収集がつかないまでに混乱を極め、大騒ぎとなっていた。


「静粛にっ! みなさん、静粛にっ!!」

「……おい。い、いいから、さっさとその罪人を連れて行け」

「はっ!」

「ぐっ。は、離せっ!!」


 ボルトが自らの耳を片手で塞ぎつつ木槌を打ち鳴らして傍聴席に座っていた人々を諌めようとするが、一向に静まる気配はなかった。

 そしてルイスが指示を出すと、デュランは両脇を抱えられる形で足を引きずったまま、扉の方へと連れて行かれてしまう。


「……あ…れ……は?」


 先程の殴られた衝撃で未だデュランの視界は揺らいでいた。

 そして揺れ動く視界のまま、ふと傍聴席へ目を向けてみると人々が立ち上がり騒いでいるその最中、意外な人物の姿を見つけてしまった。


「…………マー…ガレッ……ト?」

「…………」


 それはマーガレットだった。

 彼女は傍聴席の庶民達に交じり、デュランの裁判の行く末を見守っていたのである。


 だが不思議なことに彼女はデュランのことを見つめるだけで席に座ったまま、言葉をかけることはなかった。

 尤もそれも、このような騒がしい場ではデュランの耳にまで声が届けられることはなかったかもしれない。


「(ふっ)」

「っ!?」


 デュランは何故か彼女に向けて笑みを浮かべると、そこで初めて彼女の感情が露となり驚くような表情を浮かべていた。


 そしてそのまま彼女はデュランのその笑みから逃れる形で顔を伏せ、俯いてしまうのだった。デュランは一瞬、彼女を心配させないようにと気遣いをしたことで、かえって彼女のことを悲しませてしまったのかと思ってしまった。


「…………」


 そして微かであったが、デュランの目には俯いているマーガレットの口元が動いたように見え、彼女の口元を追い真似する形で、それを声に出してみることに。


「ごめん……な……さ…い? ごめんなさい……か。はははっ」


 それが彼女からの自分に対する謝罪の言葉のようにもデュランには思ってしまい、何故だか可笑しく感じて乾いた笑いをしてしまう。

 きっと彼女が口にしたであろう謝罪の言葉なんかよりも、それを自分自身でその言葉を口にしてしまったことが可笑しなことであると思ったのかもしれない。


 そうしてデュランは重い扉の向こうへと、強制的に両脇から抱えられる形で引きずられ、やがて法廷の外へと連れ出される。


 そして最後に法廷の場でデュランが目にしたもの、それは……。


「……リ、サ」


 床へ座り込んでいたリサの姿であった。


 彼女のその手は自らの大きくなった腹を押さえ、苦しがっているようにも見えた。その周りには大勢の人が何事かあったのかと見守り、傍らにはネリネが付き添っている。デュランにはそんな身重の妻であるリサのことを助けることも、また自ら駆け寄り彼女の身体を労わることもできず、為す術がなかった。


 法廷の扉が締められる直前、デュランの視界に映るリサの方へと彼女を求め左手を伸ばしてみたが、ついに彼女をその手に掴むことは出来なかったのである。


 そのままデュランの視界は暗い闇へと包まれてしまう。

 それがデュランにとっては、自らの人生に幕が閉じられてしまったような錯覚を覚えてしまうのであった。

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