第209話 歓喜からの奈落

 いつもの裁判とは違い、判事達が長時間に渡り何も語らないというのは、傍聴をしていたほとんどの庶民にとっても初めての体験であった。

 普段ならば、裁判の審議中に傍聴席へ座っている人々が私語をすることは裁判を妨げるものとして厳禁なのだが、それでもこの異常事態において咎める者は皆無である。


 そして随所から聞こえてくるのは、判事が法の素人であるデュランにやり込められ、ぐうの音も出せないという、歓喜とも戸惑いとも言えぬ混乱の声だったのだ。


「静粛に! 静粛にっ!!」


 コンコン! コンコン!

 混乱を極めた法廷の場に判事が木槌を叩き鳴らす音だけが強く響き渡ると、一気に場が静まり返る。


 そして一呼吸の間を置いた後、咳払いを一つしてからミラー判事がデュランに向かってこう切り出した。


「こほんっ。それでは判決を言い渡す。先程の被告人が主張したことを、ここに居る判事達三人は全員一致・・・・の見解として認めるものとする」

「なっ!?」


 長い協議の末、ルイス達この場に居る判事全員がデュランの主張を認めると宣言したのである。

 当然それは検察側の主張が退けられたことを意味していたため、検察側も驚きの声を発してしまうのだった。


 そして本来、その協議に加わるべきである陪審員達にも、一切その内容は話されていなかったのである。


「おいおい、これってまさか……」

「やったわ!」


 その瞬間、傍聴席で事の成り行きを見守っていた人々から驚きの声が上げられた。当然事態の行く末を見守っていたアルフやルインから驚きと喜びの声を上げらている。

 なんせ今し方、判事が述べたことは検察の主張を退き、デュランの主張を認めて無罪にするよう捉えることができたからである。


「リサさん、今の聞きましたか? デュラン様の主張が通ったみたいですよ!」

「ほ、ほんとう……ははっ。よ、良かった……いたたっ」

「リサさんっ!? まさか陣痛が……い、急いで誰か人を呼ばないと……」


 ネリネは尋常ではないリサの表情と大きくなったお腹を押さえている行動から、今すぐにでも子供が生まれるのではないかと周りの席に座っている人に助けを呼ぼうとする。


「もし誰か……っ。り、リサさん?」

「だ、大丈夫……まだ…大丈夫だから……ね。人なんか呼ばなくても……いいよ、ネリネ……はぁはぁ」

「で、ですがっ!」


 人を呼ぼうと席から立ち上がるネリネの腕を必死に掴み取ると、あろうことかリサは彼女のことを引き止めてしまう。


「そ、それに……どうやらまだ裁判は続くようだし……ね」

「えっ?」


 ネリネは一瞬、リサが何を口にしたのか理解できなかった。

 けれども、勢いを殺がれてしまった彼女はリサに腕を引かれる形で、そのまま席へと座ってしまう。


「は、判事っ! それはあまりにも……」

「また何人なんぴとたりとも、この意見に異を唱えられないものとする。従って検察側も納得の上、了承するものとしていただきたい。……よろしいですかな?」

「ぐっ……わかり……まし…た」

「ふふっ」


 その判事の言い分に対して検察側は驚きと戸惑いから席を立ち上がって何かを口にしようとしたが、判決を述べているミラーの制止する手だけで諌められてしまい、悔しそうな表情のまま力なく席へと腰を下ろした。

 そんな検察の様子を見て取ったデュランは、然も当然といった余裕の笑みを浮かべてしまった。


 だが次の判事の言葉で、デュランのそんな笑みも消え去ってしまうことになるのである。


「だがしかし、被告人デュラン・シュヴァルツは塩の出資金から得た利益に対する法人税を未だ収めてはいない。これは連邦法に記載されし、塩事業法第7条2項に違反するものである。また株取引で得た莫大な利益についても、同様に一切の納税がなされていない。これらは国の法に背き、この国に住まう一国民として最も遵守すべき法を犯しているとも受け取ることができる。以上、二点の罪については断じて許されない行為に他ならないものである。よって、被告人デュラン・シュヴァルツはこの国で最も重い刑である……死刑に処すものとする!!」

「なっ、なっ、な……ん……だとっ。州法を適応させるのではなく……連邦法を!? っっ」


 フロスト・ボルト判事がそう宣言すると、法廷の場は嘆きとも悲痛とも取れぬ声が到る所から上げられるのだった。

 デュランもまさか州憲法裁判所において適用されるべき州法ではなく、連邦憲法裁判所で用いるべき連邦法が適用するとは思ってもいなかった。そして驚きとともに、思わず判事の席の中央へと座る人物に目を向けてしまった。


「うん? くくくっ」

「~~~~っ」


 するとデュランが自分を見ていると気づいたルイスが、まるで彼のことを嘲笑うかのように不敵な笑みを浮かべ、ニヤついているのが見て取れた。

 そう……ルイスは強引にもデュランの罪に対して適用されるべき法律を捻じ曲げてきたのである。


 本来ならば、それは絶対にあってはならないこと。

 何故なら州憲法裁判所はその州における州法を重んじるべきであり、連邦法は連邦憲法裁判所が管轄すべき法律なのである。


 たとえその領分を侵してでも、また誰よりも法を重んじるべき一判事として逸脱した行為であったとしても、ボルト判事とミラー判事、それにルイスはデュランに対して罪を着せるそのため、平気で判事として逸脱する行為を強行してみせたのだ。

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