第202話 根拠無き期待

「それでこれからの流れというか、俺はどうなるんですかね?」

「君の処遇……ということだね? はぁーっ」


 デュランはこれからの行く末を心配して直接聞いてみることにしたのだったが、生憎とルクセンブルクはどうすることもできないといった深い溜め息をついていた。


 デュランの罪は国の許可なしに禁止されている塩の製造と売買であった。

 通常ならば即刻極刑に値されると判断され、処刑されることも十分考えられる。


「一応、君は裁判は受けられることになっておる。当然ながらどのような罪人であろうとも、法の裁きを受けさせるという名の元にね。だが、それでも君の罪ではとてもとても……。私はこれまで似たような弁護をしてきたのだが、そのいずれも例外なく敗訴してきたんだ。君もこの意味を理解できるね?」

「…………」


 ルクセンブルクは国選弁護人であるため、これまでこのような事案をいくつも引き受けてきた。

 しかしそのすべてにおいて敗訴するという、一弁護士にとっての屈辱を味わい続けてきたのだと口にした。デュランもその意味を理解し、黙り込むしかなかった。


 本来なら裁判とは常に公平さを規すものであり、それは例え罪を犯した者であっても同じこと。

 それに弁護士が付けているバッチには天秤の図柄が刻まれており、それは何者であっても揺らがず且つ公平さの象徴でもあった。


 だが実際には、国や警察などの権力に打ち勝てる者は存在しなかった。

 何故ならそれは裁判所ですら彼らの縄張りであると同時に、互いが互いに利益を分け合う利潤に満ちた関係性であるからである。それが金品の授受や判事達の出世への確約取り付け、その他の権力に操られているとも言える。


 またこの国ではフランス革命後、裁判における公平さを規すために地方裁判所に値する各州の州憲法裁判所では三人の裁判官判事の他に、庶民の中から無作為・・・に任命することができる陪審員ばいしんいんという制度が用いられていた。

 これは法を司る者の判断だけでは、あまりにも無慈悲且つ現実に行われている実体と異なるため、数人の庶民を指名して、その意見を判決へと反映させるのであった。


 だがそれでもあくまで罪の重さを決める量刑りょうけいは、判事の判断と思慮に一任される。

 よって陪審員制度とは名ばかりであり、一見して公平さがあるように見せかけたまやかし・・・・に他ならない。


 また判事以上に賄賂を渡されることがあるのも、陪審員達なのである。

 その理由として、彼らが庶民の中から選ばれるという点に起因する。


 その日の生活すらままならない庶民は金の為ならば、容易に嘘の心証を口にし、金を渡してくれる相手が有利になるようにと働きかける。

 もちろん賄賂を受け取り嘘の意見を述べることは偽証ではあるが、それも彼らの生活からしてみれば、生きるためには仕方のないことなのかもしれない。


 庶民は貧困であるが故に金で操られ、そして力なきまま死んでいく。

 それこそがこの時代を、そしてこの国をも象徴するのであった。


 また一時的なことではあったが参審制さんしんせいと呼ばれる陪審員に代わり、庶民を任意で選び任期を与えたものが制度として適応され、独立を重んじるこの国では陪審制が廃止となったことがある。

 だがしかし、議会の反発により軽微な罪は参審制度を適応し重罪の罪は陪審制度を、その他は裁判官判事のみが担当する三大制度が主として裁判が行われることになってもいた。


 

「負けることが確定している裁判であろうとも、自らの足で歩まねばならない。君は残された者達のため、遺書を残すかね?」


 長い沈黙を経てルクセンブルクはデュランにそう伝えると、一枚の紙とペンを差し出してきた。

 それはデュランがこの世を生きたという証とともに心残りを、そして残された者にそれを伝えるため書くようにとの遺書であった。


「(ふるふる)」

「……そうか。わかった」


 デュランは言葉無く首を横に振り、遺書を書くことを拒否する。

 彼の弁護人であるルクセンブルクは、何かを納得するように頷いて見せた。それはデュランが自分の死を受け入れたのだと、彼はそう思っていた。


 けれどもデュランの心内は違っていたのだ。


 自分が死ぬだなんて思ってもいない。

 むしろまったく真逆のことを考えていたのであった。


「あの……」

「ん? なんだね、やはり書くのかね?」


 ルクセンブルクが紙をカバンへと仕舞い入れようとしたとき、デュランが何か呼びかけてきた。

 彼はカバンに仕舞うのを一旦止め、再びデュランに向かって紙とペンを差し出そうとする。


「いえ、違います」


 だがデュランは少しだけ首を横に振り、断りの返事とともに彼に向けて伸ばした右手だけでそれを制してしまう。

 そして一呼吸を置いてから、弁護人である彼に向かってこう口にする。


「明日、行われることになっている裁判なのですが……自分で弁護してもよろしいですか?」

「自分で弁護する……。それはつまり君本人自ら、自分自身の罪に対して弁護しようというのかね?」

「はい」

「む、むぅ。それはいわゆる本人弁護というものだな……」


 デュランは彼に弁護してもらう必要がなく、自ら弁護すると口にしたのだった。

 長年に渡り何百人何千人と弁護するのを引き受けてきたルクセンブルクにとっても、デュランのその申し出は初めてのことだった。


 法の知識を持たぬ者が弁護人を拒絶することは何度かあった。当然のことながら、その結果は求刑どおりというあまりにも慈悲無き結末である。

 長年弁護士をしてきた身として、ルクセンブルクはそれも致し方ないことであると、心のどこかで納得していたのである。だがしかし、自らを弁護するというのは初めて耳にすることだったのだ。


 ルクセンブルクは何かを考えるような長考の後、こんな言葉を口にする。


「確かに、君自ら弁護することは法的には何ら問題ないことではあるのだが……。だがしかし、君は法に関する知識を持ち合わせているのかね?」


 ルクセンブルクの懸念する言葉をは尤もであった。

 デュランが口にした自らを弁護するということは、法的解釈を論じなければいけないことを意味していたからである。それも法を整備し精通している判事達を相手取り、しかも法廷の場という相手が生業にしている場において戦わなければならない。


 それはあまりにも無謀というものであり、ルクセンブルクはあまりにも突然の不運に見舞われてしまったことでデュランの気が触れてしまったのではないかと、心配する表情を見せた。またそれと同時に初めて遭遇する出来事へに対する戸惑いの表情、そのどちらとも言えない顔付きで彼の顔を覗き見てしまった。


「……いえ、多少かじった程度ですね。貴方のような専門的知識は持ち合わせてはいません」

「ならば、そのようなことはあまりに無謀すぎるのでは……」

「ですがっ! このまま貴方に弁護を頼んだとしても、結局は同じことなんですよね? それならば、自分の可能性に賭けてみたいんです。これが我がままだということは重々承知しています。それでも、これは俺の人生なんです。ならば、他人に運命を委ねるのではなく、自ら行く道を切り開き、歩んでいく……それが俺なりの、そして貴族の在り方であると思ってます」

「む、むむむっ。貴族の在り方……か。確かにそれは私には到底理解できぬかもしれないな」


 ルクセンブルクはデュランからそう言われてしまうと、反論する言葉を失ってしまった。

 それは彼の言葉の重さと熱意、そして得も言えぬ謎の期待感が生まれてしまっていたのである。


 確かに彼が今口にしたとおり、弁護人である自分が彼のことを弁護したとしても、結局は敗訴となることは確実であった。それならば彼の自信というか、自ら感じた何か・・に賭けるべきではないかと思い始めていたのだった。

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