第194話 自己欺瞞

「……では?」

「ああ、この株券はある意味で本物だ。本物ではあるのだが……本物ではない・・・・・・

「えっ??? それは一体どういうことなのでしょうか?」


 イマイチ要領を得ないルイスの言葉に、リアンは戸惑いを隠すことが出来ない。

 幼少の頃より仕えてきたリアンでさえ、こんなにも動揺しながら取り乱している主の姿を見ることは初めての体験である。


 自分の主であるルイスが今口にした言葉をそのままの意味で受け取ってみても、まるで言葉の迷路のように言われてしまったのだ。

 そんな彼の顔色を見て取り、ようやくルイスは彼でも理解できるようにと説明し始める。


「これはデュランの奴が自らの手で印刷した株券……株の希薄化を狙った策略に違いない」

「株の希薄化……ですか? つまり株券一枚一枚が持つ力を薄める、という解釈でよろしいのでしょうか?」

「そうだ。その認識で間違ってはいない。通常なら株の希薄化とは、新株を発行する際に用いられる用途なのだ。それも他者から大量に株を買い占められ、会社自体の乗っ取りに遭った際、用いられるべき手段……」

「株の買占め……乗っ取り……」


 リアンは深く理解するようルイスの言葉を反復する。

 今まさにルイスが口にした言葉は、自らデュランへと仕掛けたことを意味指してもいた。


 その言葉が意味するところは、つまり相手は最初からルイスの意図に気づいていたということになる。


「逆にこちら側が罠を仕掛けられていたのですね。も、申し訳ありません、私の不注意のせいでこのような失態を犯してしまい……」

「もう遅い……それにリアンが悪いわけではない。私が指示を出したのだから、これは私の責任だ」


 ようやく事の次第を理解したリアンは、自分のせいで失敗してしまったとルイスに向かって頭を下げ謝罪する。

 本来従者が何かしら不祥事をしてしまえば、家を追い出されたり、最悪の場合には他へと売り飛ばされてしまうこともあるのだが、ルイスは自らの過ちであったと認めた上で、それ以上は彼のことを責めることはなかった。


「それにしても、相手は一体どのような方法で……。そもそも先々月にあった臨時株主総会もこちら側から提案し開いたもの。またそこで新株の発行についての議案なども無かったはずですし、それに彼は持ち株を上場したその日にすべて売却してしまい、株を一つも持っていなかったはずですよ。もし他の株主達の了承を得ずして無断で新株を発行したならば、証券所へ上場すること自体不可能なはずですよね?」

「すべてリアンの言うとおりだ……。だが、お前は一つだけ肝心なところを見落としている。これを見てみろ……」


 リアンはデュランがどのような手段で自らが代表を強める会社の株を増やしたのかと、リアン自身も思いつく限りありとあらゆる考えを巡らせ、その言葉をルイスへと聞かせた。

 すると彼はリアンの言葉を肯定しつつも、そのように言葉を続け、ある一枚の紙切れを差し出してきたのだ。


「これは株式における定款の条項……ですよね?」

「んっ」


 ルイスから差し出されたもの、それはトルニア株券裏側に記載されている定款であった。

 そしてルイスは徐に最後に記された一文をトントンっと指で叩いて見せ、ここを注視するようにと指し示した。


「これは……っ!?」

「…………」


 リアンはその最後の一行を読み、そこに書かれていた意味を知ると言葉を失い驚いてしまう。

 だが彼とは対照的にルイスはただ黙ったまま腕組みをして、目を瞑っているだけである。


 それは既に驚きすらも通り越して、現実を受け入れる覚悟ができているかのようでもあった。


 ルイスが犯してしまった最大の原因は、定款に記載されている条項にあったのだ。


 定款の条項とは株取引における契約内容であり、言わば株式における遵守じゅんしゅすべき絶対的法律であるとも言える。

 もしそれを破ってしまえば、以前リアンが口にしていたように会社及び他の株主達に損害を与えかねないと、その本人が持っている持ち株すべてが無効となってしまうほどに強力な権力でもあると言える。


 だがしかし残念ながら、この当時の定款書の条項に記載されていた文言は、どれも似たり寄ったりでしかなく、特別変わった条項を記載すること自体ほとんどなかったのだ。

 だからこそルイスはデュランが発行した株式の定款でさえも、他と同じであると勝手に誤認していたのである。株式における最重要の定款条項への確認を怠り、尚且つ他と同じはずであるというその傲慢ごうまんに満ちた自信こそが、今回デュランに膝を屈することになってしまった最大の原因であった。


 そしてそれは定款の最後に付け加えられた一文にこそ、デュランが施した最大の策略の表れでもある。


 だがただ一人、事前にその意図に気づいた者がいた。

 それはルイスの執事であるリアンであった。


 彼はこの書類を作成した義理の曽祖父である公証人ルークスから事前にこの話を聞いており、ルイスのことを陥れるため彼の動向に従いつつも、自分の主であるルイスの指示に従うことで、自らに科せられるべき責任を逃れることに成功したのである。


 ルイスの手前、リアンは表面上は驚いて見せていたが、それは彼の自己欺瞞ぎまんに満ちた演技の賜物たまものであったのだ。


 人を騙すには、まず自分自身の心までも騙さなければならない。

 ましてや人を疑うことが仕事であるルイスをあざこうとするには、リアンも必然的にそうせざるを得なかった。


 だからこそ主であるルイスですら、リアンの心内に潜む思惑に気づけるはずが無かったのである。


 そしてトルニアカンパニーの株式にある定款条項、その最後の一文にはこう記載されていた。


『トルニアの代表取締役員は他の株主達への事前通知無しに、新株を自由に発行することができる』――との。

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