第193話 罠に嵌められたルイス

 それはルイスがリアンに命じて「トルニアの株を買えるだけ買え」との命令を出してから、もうすぐ一ヵ月が経つ頃、事件は起こってしまった。


「これは何かがおかしいな……。だがしかし……でもまさかな……」


 ルイスは作業机の隅に並べ積み上げられている株式の束を見て、得も言えぬ不安を胸に抱き悩んでいる。


 既に相当量のトルニアの株式を買い入れしているにも関わらず、一向に過半数を取得できていなかったのだ。

 大企業の株式ならばいざ知らず、まだ上場したばかりの会社の株式が、このように膨大な量にまで膨れ上がっていること自体、異様なことでしかなかった。


 それにまた金に糸目を付けず株式を買い入れているため、その費用も、そして目の前に置かれた株式の束の量も半端ではなかったのだ。

 ここに到り、ようやくルイスはその異変気づき始めていたのだったが、時既に遅かったかもしれない。


「ルイス様。本日持ち込まれた分をもちまして、株式会社トルニアカンパニーの株式は過半数に到達いたしました」

「…………」


 リアンはいつものように机の隅に手に入れたばかりの株式の束を置き、主であるルイスへと呼びかけたのだったが彼はぼんやりとしたまま何かを考えているのか、すぐには返事がなかった。


「あの、ルイス様? どうかされたのですか? お顔の色があまり優れないようですが……」

「あ、ああリアン、お前か。私のことなら大丈夫だ。それにしても、ようやくトルニアの株式が過半数に達したのだな。上場しているとはいえ、小さな会社程度なのに随分とまぁ実権を握るのに長くかかったものだ。それに株を買うのに要した費用も、それこそ相当な額に上っただろうな」

「えぇ……はい」


 再びリアンが呼びかけてみると、今度は反応があり、どうやら自分の声もルイスへと耳に届けられていたらしい。

 けれども、ルイスの様子はどこか焦りとも不安とも読み取れない表情をしており、その顔には脂汗までにじみ流れていた。


「んっ?」

「……その株式がどうかされたのですか?」


 ルイスは何を思ったのか、徐に先程リアンが運び入れたばかりの株券の一番上に乗せられた一枚を手に取ると、今度は食い入るようにじっくりと観察し始めたのだ。

 リアンには彼が何をしているのか訳が分からずに首を傾げ、主から言葉をかけられるのをただ待つしかなかった。


「これは……っ!?」

「えっ?」


 何かに気づいた様子のルイスは慌てた様子で、一番初めに買い入れた机の引き出しに大切に仕舞い込まれていた株券を一枚だけ手にし、先程の株券と見比べている。

 そして彼はようやく事態の深刻さに気づいてしまった。


 先程リアンが持ってきた株券は、以前の物とはその株券に記載されている印字に使われているインクの色が微妙に薄くなっており、また会社名の文字や代表者印の位置までも少し斜めにズレて印刷されていたのだ。


 もちろん株券を刷る際には印刷所と言えども、手作業で株券用紙を台にセットしてから印刷するわけなのだが、それでも印字がズレるということはあまりなく、仮にあったとしてもそのようなものを製品として収めれば、すぐさま顧客から苦情が来てしまい使い物にならない。それこそ印刷に関して不慣れな素人でなければ、印字がズレたまま納品するということは無きに等しいわけである。


 だがルイスはそんなことよりも、インクの色合いが僅かにくすんでいることが気が気でなかった。

 以前の物はしっかりとした黒字色であるが、先程持ち込まれたばかりの株券の印字はやや薄みがかってしまっていたのである。


「っっ!?」


 ルイスが何気なくその印字へと指で触れてみると、なんとインクが擦れてしまい、印字されていた文字が斜め下へと擦れてしまったのだ。

 そして触った右の中指と人差し指の腹を見てみると、薄色の黒インクが付着していた。


 これらのことが一体何を意味することなのか、ルイスはその瞬間に気づいてしまう。


 そもそもデュランがトルニアカンパニーの株式を証券所へと上場してから、既に一ヵ月という月日が経っている。だから本来なら株券を印刷した日付も、優に一ヵ月以上前ということになるわけなのだ。……にも関わらず、指で触ると印字が擦れるということは、そのインクがまだ真新しくインキ自体がしっかりと乾き切っていないことの証でもあるわけだ。


 つまりこの株券は印刷してから、そんなに日が経っていないということを暗に示していたわけなのである。


「クソッ! デュランの奴にしてやられたっ!! だからアイツは上場したその日に、持ち株すべてを売却したのか!? クソクソクソ~~ッ!!」

「る、ルイス様っ!? ど、どうされたのですか!?」


 ルイスは怒りの表情を浮かべながら、いきなり机に載せられていたトルニアの株券そのすべてを全身全霊の力を持ってして、自らの体を使い床へと横倒しに投げ捨ててしまう。

 リアンには主が目の前で仕出かした突然の行動に驚き、上手く状況を把握することができず立ちすくんでしまった。


 ただ一つだけリアンが理解したことは、主であるルイスが怒りの表情に満ち溢れ激昂げきこうし、その原因が床へと散らばってしまった株券にあったことくらいなものである。


「……なに? どうかされたかだと……リアンっ!! 何を悠長に構えているのだ、貴様はぁぁっ!! デュランの奴にまんまと嵌められたのだぞっ!!」

「えっ? は、嵌められた……ですか?」

「ああ、そうだ! お前はこんなタダの紙クズを掴まされてきたのだぞ!」

「か、紙クズ……」


 リアンは主であるルイスの命令で、せっかく過半数以上までトルニアの株式を取得し、その経営権までも手に入れたというに、彼からは「タダの紙クズだ!」などと罵れれてしまい、あまりにも突然の言葉だったので、余計にリアンは混乱してしまう。


 大金を出して買い入れた大量の株券が紙クズ……つまりそれは、この株券自体が意味を成さないことを指し示していたのである。


「もしや、偽物……だったのですか?」

「……いや、すまない。そうではないのだ、リアンよ」


 執事である彼には何の非もなく、むしろ自分と同じくデュランに騙されてしまった側なのである。少し強めに言葉をぶつけてしまったと、ルイスは落ち着きを取り戻して口調を弱め彼の問いに受け答える。

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