第190話 泥沼の輪舞曲(ロンド)

 それから数日後、ルイスの屋敷ではリアンが紙の束を抱え持ったまま、ルイスの仕事場である書斎へと持ち込もうとしていた。


 コンコン♪

 リアンは執事らしく部屋へと入るその前に、控えめにドアノックを打ち鳴らす。


 彼の両手は荷物で塞がっていたが左手だけで支え持ち、右手を空かせることでノックすることができた。

 幸いなことに紙の束とはいえ、重量はそれほどでもなかったため、片手だけでも十分紙の束を支えきれている。


「……誰だ?」

「ルイス様、リアンです。ただいま株券をお持ちいたしましたが、中へ入ってもよろしいでしょうか?」

「リアン? ……入ってもいいぞ」

「はい。失礼いたします」


 部屋の中からルイスの返事が返ってきたので、リアンはすぐさまドアを開け、部屋へ入るその前に一礼してから中へと入って行く。

 一連のリアンの行動は主従の関係を表す意味とともに、最低限の隔たりと関係性を保つため、使用人が居る家では当たり前の光景であった。


 またリアンのような従者がどこかの部屋に入る際には、例え中に人が居なくとも、確認する意味合いで必ずドアノックをするのが決まりである。

 そして中から返事が返って来るまで待つか、仮に不在だったとしても最低10秒の間は、決してドアを開いてはならない。


 これは主人が着替えている場合はもちろん、すぐには返事ができないことも想定され、また若夫婦の寝室ならば情事の真っ最中ということも無くはないのである。

 このため例え空き部屋であっても、その家に仕えるものならば、各部屋へと入るその前にドアノックすることは必然的の行動と最低限のマナーを兼ね備えており、常識でもあった。 


「んっ……と。こちらが本日の分になりますルイス様。こちらに置いてもよろしいでしょうか?」

「そうか、ご苦労。いつもと同じく、その辺りに置いておくがいい」


 リアンは確認する意味合いでそうルイスへと問いかけた。

 ルイスは帳簿へと何かを書き留めているが、視線をリアンに送ることなくそんな受け答えをする。


「はい」


 リアンは証券所から買い入れたばかりのトルニア株を、ルイスが書類仕事する机の右隅へと載せ重ね置いた。その隣には前日前々日と買い占めた株券の束がいくつも積み重ねられている。


 リアンはこの数日の間、ルイスの命令で人手を使い、証券所にてトルニア株を買い占めることに奔走していたのだ。それも「金に糸目を付けず、どんな値であろうとも買え!」とのルイスの指示の下、ただひたすら買いの指示だけを与えている。


 そして証券所が閉まる3時過ぎになると、株券購入の報告と成果としてルイスの元へ運び入れることが、この数日間に渡る彼の日課となっていたのである。

 だが執事であるリアンはルイスの身の回りの世話もあるため、証券所へ直接足を運ぶことはなかった。その代わりとして、証券所で株取引の売り買いを生業としている仲介業者ブローカーを通すことでトルニアの株を買い占めていたのだ。


 当然のことながら、商取引の間に人を入れるということは、彼らの中間マージンが発生するということ。それは一株当たりの売り時と買い時、その両方の取引時における手数料として上乗せされることになる。


 それは取引の量が多ければ多いほど、彼らの手数料が増えることを意味しており、ルイス側への負担は増すことになる。だがしかし、わざわざ証券所へと足を運ぶ必要性が一切なく、それにまた投資家や仲介人などの大声や怒号が飛び交う場には素人では不向きであった。


 証券所とは主に株の売り買いだけの場所ではあるのだが、そこには独特のルールが存在しているのだ。

 専門用語の言葉はもちろん、手の合図だけで売買を完了させることができるサイン、また銘柄などを言い表すのも、通常のそれ・・とは異なっている。


 そして株価とは常時変動型であり取引が成立したその瞬間、各銘柄株の値の上げ下げが同時に行われる。

 また銘柄及び価格は常に変わるため、書きやすく消しやすい黒板と白色チョークなどが多く用いられてもいた。


 株とは買う量が多ければ値が上がり、逆に売り量が増えれば値を下げることが基本となる。

 これが需要と供給とのバランスであり、そこへ会社の実績及び人気などのバロメーターが数値化され、株式の値として表示されるのである。


 今現在、トルニアカンパニーの株価は1株あたり銅貨70枚。


 これは連日ルイスがリアンへと指示したとおり、証券所の相場値を無視して一度に大量に買い入れているためであり、またそれに呼応する形でどんどんトルニアの株価は釣り上がっていたのだ。


 それはもはや、市場原理から見れば必然とも言えることだったかもしれない。

 買いが買いを呼び、ルイス以外の人間もトルニアカンパニーの株を買うようになっていたのだ。


 もちろん上場したばかりの人気の銘柄で、相場の値が日々上がり基調で連日に渡るストップ高となっていた要因もあったかもしれない。

 またそれとは別に、あのオッペンハイム商会を率いるルイス・オッペンハイムが金に糸目を付けずに、トルニアの株式を大量に買い占めているとの噂が証券所へと流れると、みんな妄信的にもトルニア株を買うようになっていたのだ。


 それだけ投資家達は金儲けの匂いを嗅ぎ分ける能力に俊敏であることを示しており、また証券所では何よりも常に新たに齎される情報に飢えてもいたのだった。

 そしてそれはルイスの父親であったロス・オッペンハイムがそうであったように、市場株式取引においては他者よりも先んじる情報こそが生命線と言えよう。


 だがそれすらも、ある男の策略の一つにすぎなかったのは言うまでもなかった。

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