第178話 大切なものを守る覚悟

「何をそんな深刻そうな顔で見ているのよ。こんなこと冗談に決まっているでしょ。ここは笑いなさいよね」

「マーガレット様の冗談が、あまりにも面白くなかったものでして……」


 マーガレットは今の言葉は冗談だと口にしながら、自分の顔と右手に握り締めているナイフを交互に見ているリアンに向かって笑うようにと命令する。

 だが彼にはそれが冗談とは思えず、笑みを浮かべることはなかった。


「ほんと、つまらない男ね。貴方は……」

「貴女に気に入られようなどと、初めから思っていませんからね」

「ふん!」

「ふふっ」


 マーガレットがそんな苦言をリアンに向かい呈してみても、彼は簡単に彼女の言葉を往なしてしまった。

 だがそれでも、不思議とルイスと会話しているような不快さを彼女の口から感じることはなかった。


「それで?」

「それで……とは、なんのことでしょうか?」


 唐突に彼女から続きを促す言葉を投げかけられたリアンは、その言葉が何を指しているのか分からずに首を傾げてしまう。


「次よ次! 次に貴方はどんな策略を考えているの?」

「次……ですか。なるほど……そちらのお話でしたか」


 どうやら気をいていたのは、どちらかといえばマーガレットのようだ。

 彼女は次にルイスへと仕掛ける策略をリアンに求めていた。


「ですが、私からお話しする必要があるのですか? 何かしら腹案をお持ちなのですよね?」


 だが先程の彼女の言葉を思い出すと、リアンは自分の案は一切口にせずに、彼女がどうやってルイスのことを貶めるのかと興味を示していた。


「腹案? そんなものあるわけないでしょうっ!!」

「…………えっ? な、何も無いのですかっ!? 刺し違える覚悟はお在りなのですよね?」

「覚悟? 当然それは常に持ち合わせているわよ。でもね、だからといって事前に考えていた策略なんてものはないわ。大体ね、事前に用意したものが通用すると思っているの? そんなことだから失敗するのよ、貴方は!」

「そ、そんなこと……」


 そんな彼の心情を知ってか知らずか、マーガレットはそんなものは持ち合わせていないと自信満々に受け答えてしまう。

 さすがにこの開き直りとも言える彼女の言葉には、普段から喜怒哀楽の感情が乏しいリアンでさえも驚きを隠せずに、思わず呆れ返ってしまっていた。


 だがそれでもマーガレット本人には自信があるのか、こんなことを言葉を口にする。


「最悪の場合、本当に刺し違えればいいのだから気が楽と言うものでしょ……違う?」

「は、はぁ」


 今マーガレットが口にしたことは、本心だったのかもしれない。

 それこそ刺し違える覚悟は必要であるが、それでも本当にそれをしてしまえば、自らの人生を終えてしまうのは言うまでも無い事実。


 しかしそれでもマーガレットにはその覚悟があり、リアンにはそこまでの覚悟がなかったことを言い表してもいる。

 リアンにはどうしてもそのことが気がかりとなり、彼女に向かってこう言葉を口にする。


「怖くはないのですか?」

「……それは何に対してなのかしらね?」

「自分が死ぬことに対してです」

「自分が死ぬこと……ね。確かに私だってできれば死にたくないに決まっているでしょ。貴方だって、面と向かってそんな質問を私にするくらいなんですから、きっと同じ思いなのでしょうに」


 マーガレットはリアンの問いかけに対し、明るい表情と言葉で返答する。


「それならば、何故……」

「でもね。それでも自分の大切な人を失う悲しみに比べたら、幾分気持ちが楽ってものでしょ。そこが貴方の場合は違うのかしらね?」

「…………」


 リアンが更なる疑問をぶつけようとしたその矢先、マーガレットはこれ以上自分が大切にしてきたものを失いたくないとの気持ちから、自らの犠牲は問わないのだと答えたのだ。

 それこそ彼女が尤も恐れを抱くものであり、それと同時に大切にしてきたものだった。


 人は失う悲しみを知れば、それとは反対に大切さを知ることにもなる。

 ならば、逆の場合はどうなのだろうか?


 失う悲しみを知っているものが大切な何かを失おうとしたそのとき、人はそれを前にしてどんな犠牲でさえも躊躇せずに行動へと移す。

 その行動こそが自分の大切なものを守るということなのかもしれない。


 リアンはそう暗に問いかけられていると感じそのまま目を瞑ると、心の中で自分の大切なものを思い浮かべてみることにした。


(私の大切なもの……今は亡き父さんと母さん……そして……)


「ふっ。どうやら貴方にも“大切なもの”があるようね」

「えぇ……。一度は失い、そして見つけた大切なものがあります」

「そう。それなら、安心したわ」

「えっ? 何がですか?」


 リアンは自分の何が彼女を安心させているのか理解できず、間抜けそうにも聞き返してしまう。

 だが、彼女はそんなことはお構いなしに言葉を続ける。


「ふふふっ。それはね……内緒よ♪」

「内緒……ですか。ならば、仕方ありませんね。無理に聞き出すのは野暮というものですね」

「なんだ、貴方だってちゃんと分かってるじゃないの」

「ふふっ」


 マーガレットはわざと砕けた調子の言葉で、リアンに微笑みかけた。

 リアンはどこか納得したかのように頷き、彼女と同じくいつの間にか口元が緩んでしまう。


 これまでマーガレットはリアンに対してどこか人間味に欠けていると思い込んでいたが、それは間違いだと気づいた。


 彼がルイスの傍に居て感情を押し殺していたのは、大切な何かを守るためである。

 そう感じることが出来たので、彼は信用に値する人物であると改めて確信することができた。


(姉さん……きっと迎えに行くから、それまで待っていてください。姉さんの幸せのためならば、ボクはたとえどんなことでも……この手を血に染めることすらも……)


 リアンもまた胸の奥底に抱いていた大切なものを自覚すると目の前に居る彼女同様に、それを守るため自らを犠牲にする覚悟を胸に抱き誓うのだった。

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