第177話 焦りを見せるリアンと余裕あるマーガレット

「マーガレット様、少しよろしいでしょうか?」

「あら、何かしらねリアン? 貴方のほうから私に声をかけてくるなんて、珍しいこともあるものね」


 昼食の用意せよとのルイスの命令に従い、リアンは書斎を後にした。

 そんな彼に続く形でマーガレットも用事があるからとルイスに告げ、部屋から出てきたのだが、その直後にリアンの方から彼女へと声をかけてきたのだ。


 それは何も珍しいことは出なかったが、リアンから彼女に声をかけてきたこと自体初めてのことであった。二人はここではルイスに聞かれてしまうと、場所を調理場へと移すことにした。


「それで何の用かしら?」

「……貴女はどこまで知っておいでなのですか?」

「知っている? 何のことよ? あまりにも抽象的過ぎて何を言い表しているのか、私には皆目検討もつかないわね」

「とぼけないでくださいっ!」


 リアンには珍しく、声を荒げマーガレットに食って掛かろうとする。

 だが彼女はそんなものは知らないと余裕の態度を取り、腕組みしながら次にどう出てくるかと待ち望んでいるようでもあった。


「どうしてあのように手を貸したりしたのですかっ!? あの方は貴女の敵ではなかったのですか? それなのに……」

「あの方……ね。どうやら貴方、何かしらの事情があって彼の傍に居るようね……」


 マーガレットは目の前に居る彼が自分と同じ境遇に置かれ、また何かしらの目的を持って傍に居るのだと理解した。

 そうまでしなければいけない理由が確かに彼にも存在しており、そしてまたマーガレット自身も心の奥底へと秘めた思いを持ち合わせていたため、彼が自分と同類の人間であるとすぐさま理解することができた。


 そうであると事前にも感じ取っていたからこそ、マーガレットは自分の思惑を潰されてしまうその前において、彼がルイスへと進言したことを敢えて潰すようなアドバイスをした。その対価としてルイスの信用をマーガレットは得ることができたわけである。


「…………」

「自分の都合が悪くなると黙んまりというわけね。ま、それならそれでもいいでしょう。でもね、貴方のやり方では彼を倒すことは出来ないわね」

「なっ……っ」


 リアンはマーガレットのその一言に驚きを隠せなかった。

 それは自分の本当の意図を知られているからではなく、自分のやり方そのものを根底から否定されてしまったからである。


 そして彼女はこうも言葉を続ける。


「長年あの人の傍に居た貴方ならば、そんなことは既に十分すぎるほどに理解しているでしょうに。それに一度や二度の失敗を誘導する程度では、莫大な財と権力を持ち合わせているオッペンハイムの家を決して倒すことは出来ないわ。こんなこと私の口から説明せずとも、貴方自身が一番理解しているのではなくて?」

「……えぇ」


 リアンはこの場を誤魔化しても無駄であると観念すると、彼女の言葉を肯定して頷いて見せた。


 リアンにはルイスに対して思うところがある程度の話ではなく、長年に渡り憎悪の心を胸に抱き、これまでずっとチャンスを窺がう目的で彼の元に居たのだ。

 これまで何度となく彼の人生を破滅へと向かわせるために策略を巡らせてきたはいいものの、これといった成果を上げることができなかった。


 それでも……との思いもあってか、今回の塩の買占めを提案したまでは良かったのだが、そんな思惑も彼女に阻まれてしまい失敗に終わってしまったわけである。


「貴方は本当に塩の買占めの損失だけで、ルイス率いるオッペンハイム商会を潰せると思っていたわけではないでしょ? 表の帳簿管理まで任されているほど聡い貴方ならば、この意味を今更説明しなくとも理解できるでしょ。私のこの推察はどこか違っているのかしら?」

「……いえ、そのとおりです」


 実際マーガレットの言うとおり、仮に今回ルイスが塩の買占めにより莫大な損失を被ったとしても、それは打撃とはなるが彼にとってみれば致命傷と呼ぶには程遠いと言えるほどである。


 ルイスは生前のケインのような、己の全財産を何かに賭けるといった愚作は取らずに資産の一部分だけを投資または融資し、何かしら不都合な事態が起これば、一切躊躇せずに損切りできる男だったのだ。


 それこそ最初から損失見込み考えての行動、それに纏わるリスクを極力抑えるのが彼なりの経営のやり方だったのだ。


「確かに貴方はあの人のことを貶めることを得意としているようだけど、肝心要抑えの部分がまだまだね。きっと何事があっても自分だけは助かる……いえ、周りに居る人も助かるように……。そう思いながら行動しているから、最後の一押しができないんじゃなくて?」


 マーガレットはリアンの弱点を見抜いていた。


 別に彼はルイスを貶めることに対して、何らかの手心を加えたことは無いつもりだった。

 しかしながら彼女が口にした通り、失敗しても逃げ道をいくつも用意はしていたのだ。それこそが彼の強みであると同時に、指摘された弱みともなってしまっていたのだ。


 相手のことを本気で陥れ、それこそ立ち直らせないほどまで奈落の底へと叩き落すためには、自分も同じ運命を共有するくらいの気持ちにならなくてはならない。

 それこそ自らの手で退路を断ち、己の命すらも犠牲にして相手と刺し違える覚悟がなければ策略なんてものは成功しない。


 それがマーガレットの……彼女なりの覚悟でもあった。


「貴女には何かしらの妙案でもあって、そのように自信があるのですか?」

「妙案……ね。そうね……このナイフを持ってルイスの胸に突き刺す……なぁ~んてのはどうかしらね。直接的且つ確実性があるでしょ? 貴方もそう思わない? ふふふっ」

「…………」


 マーガレットは目の前に置かれた、磨き抜かれた鈍い光を放っている銀のナイフを手に持つと、彼に向けて笑みを浮かべていた。

 それは彼女なりの冗談だったのかもしれないが、リアンにはそれが強ち冗談には聞こえなかったため、口を閉ざしてしまう。

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