第172話 誓い代わりの口付け

「ちょっと笑いすぎてしまったかしらね?」

「ふん!」


 それから暫らく経ち、ようやく落ち着きを取り戻した二人の立場は逆転していた。

 笑っていたマーガレットは彼の顔色を窺う形で覗き込み、ルイスもルイスで彼女が齎してくれた感情の戸惑いから、つい怒っているような態度を取ってしまっている。


 だが嘲笑われたというのにルイスの心内には、彼女に対する怒りなど微塵すらもなかった。

 けれども、だからといって態度を懐柔させるわけにもいかず、その態度のままで話を強引に戻すことにした。


「それでキミは、本当にデュランの奴に仕返しをするつもりなのか?」

「……ええ、そうよ」


 ルイスは改めて彼女の意思を確認する意味でそう聞いたのだったが、彼女は頷き肯定していた。


「もしや……これが原因なのか? だが、こんな何の変哲もない指輪とネックレスはそんなに大切なものなのか? デュランは婚約の指輪だとか口にはしてたが、それにしても……。それに以前調べてみたのだが、どこにでもただの銀装飾品なだけで純金の類ではないのだぞ」

「…………」


 ルイスはここまで彼女の態度が変わってしまったことに得も言えぬ違和感を抱き、そう聞いてみるが彼女は何も答えなかった。

 それは先程と同じく肯定を意味するのだと彼は判断する。


 確かに情を交わしていたはずの元婚約者が運命の悪戯のせいで二人が引き裂かれ別れてしまったとはいえ、預けていたはずの指輪を金に困り売り払ってしまっていたのだ。

 それまで互いにすれ違いつつも、心はどこかで繋がっていたはずである。その証こそが今自分が持っているこのネックレスと指輪なのだと、ルイスは嫌でも知ることになった。


 そしてそれをデュランが手放し自分の元にあることが引き金となって、彼女は想い人であったデュランに対し、自分と同調してまで仕返しをしたいなどと言い出していたのだ。

 理由付けとしては十分な気がするのだが、それでも彼女に懸念を抱かないわけではなかった。


「ふぅーっ。だが、キミの想いは十分理解した。……理解はしたのだが、どうにも納得ができない。今の私の目には、キミが将来デュランのことを助けるため、私との婚姻を結ぼうとしているようにしか見えないのだ。それも私を貶める形としてね」

「そうよね……当然のことだと思うわ。私だって貴方と同じ立場ならば、疑いを持つでしょうね。でもね、それは言葉だけだから信用に値しないのよ」

「それはどういう意味……んんっ!?」

「んっ」


 ルイスは彼女の言動に懸念の気持ちを抱いていると告げると、彼女はそれに納得する形で頷いた。

 そして人は言葉だけでは信用しないと口にすると、彼の元へと近づき何を思ったのか、口付けをしたのだ。


「ちゅ……誓いの口付け代わりよ。どうかしら? これでも私のことを信用できない?」

「なっ……い、今の…は……っ」


 ルイスは強引なまでにされてしまった彼女の行動に対して戸惑いに戸惑いを重ね、瞬時には状況を上手く把握することができなかった。


 そっと自らの唇に手を当てると、同じく何かが触れていたであろう感覚とともに彼女の温かさ、そしてどこかほんのりとした甘さを感じ、それこそが彼女から受け取った口付けの味であるとようやく理解することができた。


(いきなり私の唇に口付けを交わしてきた……だと? い、一体何が目的でこの女……いや、マーガレットは言葉だけでは信用できないとか言っていたな。だ、だから私へ口付けをしてきたというのか!?)


 ルイスは彼女自身の言葉を心の中で反復し、今の行動が何を意味するのかと考え、そのあまりにも軽率且つ大胆な行動に目を見張ってしまう。

 しかし、それと同時に胸が苦しめられるような感覚を覚え、そこから生じる感情が何であるのか、理解してしまう。


「う……うむ」


 そして彼女の決意を思い知らされてしまう。


 ルイスは昔から人の言葉を信用しては来なかった。

 何故なら人は窮地へと追い込まれれば追い込まれるほど、その場限りを凌ぐため多くの言葉を用いる生き物なのだ。


 それこそ『相手を騙してでも言葉巧みに言い繕い、窮地を脱すればあとは知らぬ存ぜぬを決め込むのが人である』などと思い込み、心の底から人を信用したことはなかったのだ。

 だからこそマーガレットが口にしていた言葉に対して、無自覚にも引っ掛かりを覚えていたのかもしれない。


 だがそれも、たった今彼女からされてしまった強引な口付けにより、別の感情が彼の心を支配し疑いの余地すらどこかへと消え去ってしまったのだ。


 人を信用しないことこそが仕事であったはずのルイスは、真に人から信用されたいとの思いが心の奥底にあったのかもしれない。

 そしてそれは本人の意思に反して確かに存在しており、人である限りは決して抗うことが出来ないことである。


 それこそが人の感情と呼ばれるものであり、動物と人とが異なる存在である証なのだから……。


 人は誰しも率先して他人から嫌われたいなどと思うことはない。

 もしそんなことがあるとすれば、それは他人から窮地へと追い込まれる場合か、自らを率先して自分を追い込むような状況を作り上げ、そうせざるを得なえなかった場合のみである。

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