第170話 偽りの言葉とその想い

「さて、マーガレット。この事実を知った今、キミはどうするつもりなんだね?」

「……何が言いたいのよ?」

「ふふっ。この期に及んでなお、何が……か。詳細を知りつつも、まだそのようなそ知らぬ態度を突き通すつもりなのか、それともあのような婚前契約を結んでおきながらも、今更自分には関係ないとでも口にするつもりなのか?」

「くっ」


 ルイスはここぞとばかりに、マーガレットのことを追い込む言葉を口にする。

 それは暗にデュランを追い込むことでもあり、それと同時に彼と彼女との間を引き裂くための目的が潜んでもいたのだ。


 マーガレットが今もデュランに心を寄せているのは、傍目に見ても一目瞭然である。

 それは彼女から提案された、婚前契約に関しての条件に盛り込まれていたことからも容易に察することが出来た。


 ルイスもまたそれらを知りつつも、彼女の口から直接言わせたかったのかもしれない。

 否定する言葉を口にすれば、彼女の心との矛盾が生じてしまい、逆に肯定してしまえばそれはそれでルイスとの婚姻を破棄するものとなってしまう。


(どうすればいいのよ、こんなの? 私の口から何を答えたとしても、結局はこの男に揚げ足を取られてしまうわね。何か、何かこれを打開するものはないの!?)

(ふふっ。いいぞ、その顔だ。私はその顔が見たかったのだ。追い詰められたネズミのように怯え、どうすることもできずに食べられる。お前にはもうどうすることもできないはずだ)


 狡猾なまでのルイスの策略に対し、マーガレットは今まさに追い込まれようとしていたのだ。


「…………」

「……どうした? 何も答えられないのか? ふふっ。まぁ所詮、キミは女だったという……」

「(ぼそりっ)…………を追い詰めてあげるわよ」

「なに?」


 ルイスがマーガレットのことを所詮は女だと、差別する言葉を口にしようとした瞬間、彼女の口から聞き取れないほどの言葉が呟かれた。

 最初は言い訳でもするかと思っていた彼だったが、次に彼女が口にする言葉を聞いて、逆に言葉を失ってしまう番だった。


「だから貴方の望むとおり、デュランのことを追い詰めてあげるわよ。っと言ったのよ!」

「…………」


 一瞬彼女が何を口にしたのか、ルイスは理解できなかった。


(私が望むとおり、デュランのことを追い詰める……だと?)


 だが何度も瞬きをして、もう一度だけ今彼女が口にしたことを心の中で繰り返すと、ようやく理解することが出来た。


「…………本気か? いや、正気なのかっ!?」


 さすがにその受け答えは予想を遥かに超えるものであり、ルイスと言えども彼女の正気を疑ってしまいたくなる。

 だがそんな動揺を隠し切れない彼とは反対に彼女はこう答えた。


「本気よ」


 間を置かずしてそう口にしたマーガレットの目は真剣そのものであり、とても気が触れ正気を失った人間の瞳には見えなかった。

 長年の間、壊れていく人間を間近で見てきたルイスにとって見れば、すぐにそうであるかどうかの見分けくらいついた。


 だからこそ逆に彼女が口にした言葉が信じられなかったのだ。

 だが、その代わりとして彼女の目には揺るがない信念のような物を感じ、それはデュランへの憎しみであるのだとルイスはすぐに理解した。


「ふぅーっ。理由を聞いてもいいかね?」

「理由? そんなこと今更口にしなくても貴方なら理解できているのでしょ?」

「それでも……だ。人を欺くことができるのは、いつも言葉だけだからな。キミの口から直接その理由を聞きたい」


 ルイスは背もたれにもたれかかり一息つくと、改めて彼女にそれに到る理由を聞いた。

 マーガレットは顔色一つ変えずに語るまでもないことだと、一蹴する。


 それでもルイスは言葉は偽りのものであるとの信念から、彼女が抱いている気持ちが本物であるかどうか確かめようとそんなことを口にしたのだったが、目の前の彼女は次に信じられない行動を取る。


「そうね……疑り深い貴方なら到底言葉なんてものは信じるに値しないと考えるでしょうね。なら、これならどう?」


 ビリッビリッ。

 あろう事かマーガレットはスカートから一枚の紙を取り出すと、ルイスの目の前で破り捨ててしまったのだ。


 それはルイスとの婚姻を結ぶため契約したはずの婚前契約書にほかならない。

 そしてそれを破棄したということは即ち彼との婚姻を破棄するか、あるいは契約書に書かれていた取り決めである夫婦間の情及びケインの負債を、デュランに対して請求しないというものを最初から無かったものにするということなのだ。


「……それはどういった意味だ?」


 ルイスは彼女の心中を図りかねないと、再び質問を投げかける。


「あら、まだ何か聞きたいことがあるというつもりなの? はん! ルイス・オッペンハイムと言えども、名ばかりの虚像の大木だったわけね」

「なっ!」

「ふふん。契約書を破り捨てたということは、つまり取り決めたこと自体を無かったものにするということに決まってるでしょ!」

「私との婚姻も……という意味か?」

「あら貴方、そんなに私と結婚したかったというの?」

「……そうは言ってはいない」


 ルイスは聞き取れないほどの声量でそう口にするだけで精一杯だった。

 だが次の彼女の言葉で更に言葉を失ってしまうことになる。


「安心なさい、貴方との婚姻は破棄するつもりはないわよ!」


 マーガレットはルイスとの婚姻を破棄しないと口にした。

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