第164話 失明へと到るその理由(わけ)

 翌朝になり、デュランとリサはアルフ達に医者へ行くことを告げた。最初はどうして医者に行くのかと尋ねられたのだが、その場凌ぎに嘘をついてもいずれはバレてしまうとの懸念から、二人には正直にリサの目の状態について説明した。

 すると、二人は「すぐにでも医者に行くべきだ」と言ってくれ、店のほうは「どうにか見様見真似でデュラン達がいなくともなんとか凌げる」との心強い言葉で、自分達に任せるよう口にしてくれた。


 尤もデュランとしてはリサの具合に関わらず、どうせなら暫くの間店を閉めてもいいと説明を終えてから口にしたのだったが、それにはリサが猛反対してしまったため、結局二人に店を任せる形となってしまった。懸念すべきは仕込みについてであったが、それも既に昨夜の時点で今日の分のスープは完成しており、今日一日くらいならば二人だけに任せても支障はないことだろうとのリサの判断であった。


 だがそれも明日明後日と日が追えば追うほど、この先どうなることかまでは誰にも分からない。何故なら実質的に『悪魔deレストラン』の味はリサ一人で請け負っていたと言っても良く、逆を言ってしまえばデュラン達は彼女の補佐していたにすぎず、イチからスープを作れるわけではなかったのだ。それが彼女の突然の病により、これから先レストラン営業の問題として露呈してしまった形となってしまったのだ。


 デュラン達は改めてレストランの主な業務をリサ一人に任せ、彼女に甘えていたことを自覚し反省するのだった。



「ふむ……」


 そしてデュランとリサは街中にある小さな医院へと出向き、今は歳を負ったその見た目60過ぎに見えるの街医者であるマルクがリサの目の状態を調べている最中である。


 一口に目を調べると言っても特別な医療器具は用いることはなく、マルク自らの指先で下瞼を押し下げながら瞳の動きやその色合いなどをじっくり観察したり、少し離れた指の数を正しく見ることができるかなどを調べる簡易的なものであった。


「ちなみになんだが、自覚症状などはあるのかね?」

「え、え~っと、最近よく目が霞んで見えたり、物が見えにくかったりするくらい……かな」

「ふむ。霞んだり、物が見えにくい……か。で、昨日の夜は蝋燭の明かりが灯っているかも分からなかったというわけなんだね? それは明かり自体がボヤけていたのではなく、完全に見えなかったんだね?」

「は……い」


 リサは聞かれるがままマルクの問いかけに受け答えてはいるが、その口調はいつものような元気なものではなく、とても歯切れの悪く隣に居るデュランでさえも不安を抱くほどである。


「先生、どうなんですか? リサの目は治るんですか?」

「うーん」


 デュランが堪らずマルクへ問いかけるが、年を取った彼の返事はハッキリするものではなかった。

 そして何かを考えるように腕を組み考えたその後、近くにあった本棚から古ぼけた一冊の本を取り出して何かを調べ始める。


「これはもしかすると……栄養失調から来る症状かもしれない」

「えっ? 栄養失調が原因なんですか? それが理由で目が見えないまでに?」


 デュランはそんなマルクの言葉を耳にし、驚きを隠せなかった。だが、医者であるマルクはそんな彼を見ても顔色一つ変えずに言葉を続ける。


「ああ、そうだとも。たかが栄養失調だと思われがちだがね、長年に渡り本来摂取すべき栄養が偏ってしまうと視力の低下を招き、最悪の場合には失明まで到ることがある。また塩分の過剰摂取によっても、目が失明すると聞いたことがある。ほら、この本にも書かれているだろ」

「そ、そんな……」


 デュランはまさか食生活が原因で、リサの目が見えなくなってしまったことが、とてもじゃないが信じられなかった。それでも彼は手にしていた本を開いて見せ、デュランはそこに書かれた説明を読み、『そうである』との納得せざるを得なかった。


 その本はかなり古いながらも、歴とした医学書であり、ありとあらゆる病の症状やその対処法が事細かに書かれていた。


 人の身体とは食べ物の摂取することにより、常に健康を維持することができる。だがそれも同じ物を長年食べ続けたり、短期間による過度の摂取によっては身体の害となることがあるわけだ。特に野菜不足や果物不足、赤身肉などを定期的に摂取しなければ次第に視力が落ちてしまい、やがては失明に到るなどとその本には書かれていたのだ。


 リサはデュランと出会う前は、その日食べるものにも困っている状態であり、日常的に栄養不足の生活を長年送っていた。それは野菜不足はもちろんのこと果物や肉などが慢性的に不足しており、その食事生活が祟って、視力の低下と失明に近い症状が現れてしまったのだった。


 もちろん市場では顔馴染みの野外商店から痛んだ葉物野菜などを貰い受けてはいたのだが、それも秋を過ぎ冬になると野菜そのものが収穫できなくなってしまうため、仮に痛んでいる野菜と言えでも店の売り物となってしまうので、リサにまで回ることはなかったのだという。


 またそうした中、普段は黒パン一つのみで一日過ごすことも平気であったらしく、それではリサが小柄な女性とはいえ、とてもじゃないが成人した人の身体を維持し続けることは難しかったのかもしれない。そしてそれが原因だったのか、身体の成長への妨げにもなっていたのかもしれなかったと医者は口にした。


 だがそれは何もリサだけが特別という話ではなく、この時代においては日常的な光景の一つであった。庶民は慢性的に栄養不足に陥り、その日一日を食い繋ぐためのことしか考えず、将来の健康云々や食生活における栄養のバランスなどを考えることは難しいと言えよう。


 また冬には野菜の収穫量不足から価格の高騰が引き起こるため、庶民が口にできるものといったら、夏の間や秋口あたりで沖合い漁に出て大量に捕獲しておいた、長期保存可能な塩漬けにしたタラやイワシ、塩漬けにしておいた野菜くらいなものである。


 だが塩は食べ物の長期保存には向いてはいたのだが、それが一日の食事における過剰なまでの塩分摂取になっていたことは言うまでもない事実であった。それにより将来に渡って引き起こる症状が皮膚の疾患や肝臓や腎臓への疾患、そして心臓病などへと繋がるのである。


 庶民が日々生き長らえるために摂取していた食事そのものが、彼らの将来を脅かす形となってしまうことは皮肉な結果であるとも言える。


 結局のところ、いつの時代においても庶民とは、無自覚にも日常的にそうしたことを強いられ、常に将来における健康不安を抱えているものなのだ。

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