第162話 光を見失いし者
「よっと。メリス、今日もお疲れ様。ゆっくりと休んでくれよ」
「ブルルル♪」
デュランはツヴェンクルクの街へと戻ってくると、レストラン裏手にある馬繋場の納屋へと向かった。
そして綱木へとメリスの手綱を結び、ここまで送ってくれた愛馬メリスの疲労を労うように体を擦りながら、そう声をかけて休ませた。
いくら人を乗せたり荷車を牽く馬とはいえ、夜中に何度も起こされたり暗い夜道の中、遠い町を往復させられては体も疲れるだろうしストレスだって溜まってしまう。
デュランはそんな負担を強いてしまったメリスの体を少しでも労いたいっと、声かけと優しく体を擦るという行為を日常的に行っている。そんな彼だからこそメリスは嫌な顔一つせずに、むしろ嬉々として手助けをしてくれるのかもしれない。
動物は人とは違い、言葉を喋れないため意思の疎通を図ることは出来ない。
その代わりに馬は目でモノを語る生き物だと言われている。
そこには自らの感情はもとより、相手が自分のことを大切にしてくれる存在かどうかを理解しているのだという。
デュランはそのことを考え、そっとメリスの目を覗き込んでもそこから彼女の感情を読み取ることは出来なかった。
けれどもこうして労いの言葉をかけたり、体を優しく擦ってやったりすると喜んでいるようにも感じていたのだ。
もしかすると、それは錯覚の類なのかもしれない。
だが、デュランはそれならそれでも良いと思っていた。
人の言葉を話せない彼女達だからこそ、慈しみ大切にしなければいけない存在なのである。
そう思いながら何か行動を起こすことが、何よりも大切であると自覚することができる……デュランはそのように考えていた。
「リサは……さすがにもう寝てるよな」
デュランは携えていたランタンを掲げ、そっとレストラン二階を見上げてみると部屋の明かりが灯されていないことを確認した。
もう夜も大分深まっており、しばらくすれば朝日が昇るかもしれないという頃合いなので、それも仕方もないことだった。
「んっ……んんっ!? あ、れは……リサっ!?」
デュランは物音を立てぬようにと、施錠のされているドアを鍵で開け中へと入った。
そしてレストランホールを通り抜け二階へと上がろうとした際、ふと得も言えぬ違和感を感じて振り返ってみると、なんと暗闇の中明かりも点けずにリサが座っていたのだ。
「リサ、お前……まだ起きていたのか!?」
「あっお兄さん、お帰りなさい」
デュランの問いかけには応えず、リサは出迎えの言葉を口にする。
月も夜雲に隠れてしまい光源無き暗闇の中なので、彼女の表情を窺い知ることはできない。
でもまさか寝室で寝ていると思った相手が、明かりも点けずこのような場所に座っていたことに驚きを隠せないと同時に先程感じた“違和感の正体”に嫌でも気づいてしまう。
「お帰りなさいって……もしかして俺が帰ってくるのを明かりも点けずに、ずっとそこで座って待っていたのか?」
「えっ? あっ、あーっ。ほ、ほんとだ真っ暗闇だね。にゃはははっ。なにやってるんだろね、ボクは。お兄さんが帰るのを待っていた、のかな? なんちゃって……ははっ」
「…………」
ぎこちなく乾いた笑みを浮かべているリサとは対象的に、デュランは言葉を失ってしまった。
何故ならルインを送り届ける際には既に夜であり、だからこそ馬で彼女のことを送り届けたわけである。当然、そのときもリサは小さいながらも蝋燭を灯していたはずだった。
それなのに今はここが寝室ではないにも関わらず、蝋燭を一切灯してはいなかったのだ。またそれに気づいていないほど何か考え事をしていたのか、もしくは彼女自身
「リサ……目が見えていないんじゃないのか?」
「っ」
彼女の反応から、デュランの考えは悪いほうへ当たってしまったという確信に変わってしまう。
「ち、違うよ。ほ、ほら油代がもったいないでしょ? そ、それでそれで……あっ」
デュランは言い訳を口にするリサの手をそっと握り締め、体を抱き寄せる。
手は氷のように冷たく、体も冷え切っていた。暗闇が支配する中、いったいどれほどの間たった一人でデュランの帰りを待ち続け、ここにこうして座っていたのだろうか?
「気づけなくてすまなかった。ごめんなリサ」
「う、ううん。いいんだよ。お兄さんに言い出せなかったボクが悪いんだもの……。そ、それにね、いつもってわけじゃないんだ」
デュランは気づくことが出来なかった自分を恥、謝罪の言葉を口にする。
リサもついに観念したのか、彼は悪くないと口にしながら言い繕う。
「……いつからなんだ?」
「わかんない。でも最初はなんか目が霞むなぁ~って感じだったんだけど、今日みたいに完全に見えなくなっちゃうのは初めてかな。ぅっ……ぅぅっ」
デュランが優しくリサに問いかけると、彼女は思い出すように言葉を口にしながらも、体が震え始めていた。
それは決して寒さから来るものではなく、目が見えなくなってしまう自分の体への恐怖心からであった。
今まで見えていたものが徐々に見えなくなってしまうということは、何にも増して恐怖を抱くものである。
それは歳が若ければ若いほど自分の将来を閉ざす障害となり、周りに居る人すべてに迷惑をかけてしまうことを意味する。
きっとリサはデュランに迷惑をかけたくない一心とともに、自分が邪魔になり彼に捨てられてしまうのではないかとの不安から言い出せなかったのかもしれない。
そしてそれが彼の優しさと温もりに触れたことで溢れ出し、彼の服を濡らしてしまうのだった。
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