第161話 暗闇の中、鈍く輝き放つ銀光

 マーガレットの身を案じ急ぎ駆け付けてきたデュランであったが、実際に彼女が見せてくれたような、あの内容での婚前契約をルイスと交わしているならば、その後に何事があったとしても早々彼女に手出しできないとデュランでさえ容易に理解することができ、一先ずは安心して納得するのだった。


 夫婦としての情を交わさずに、また亡き夫の負債のため婚姻を結ぶという内容であっては、誰が見てもルイス側に非があると見ることだろう。


 またルイスとしてもプライドが高いため、あんなものが出回ってしまえば致命傷となりかねない。それこそオッペンハイム商会としての当主としてはもちろんのこと、一人の男として周りがそれを許すはずがないのだから。


 尤もデュランも貴族の間柄において、そのような仮面夫婦の話を聞いたことがないわけではなかった。

 貴族の家に生まれている者ならば、当人同士の意思だけで婚姻という重要な出来事を決められるわけもなく、基本的にはその家系が栄える目的に利用されることが多かったわけだ。


 デュランもマーガレットと婚約者になったきっかけも家と家が近しく、遥か昔から両家として懇意にしていたことも理由の一つに挙げられる。

 こういった場合、両親は子供が物心着く前から互いに親しくなるようにと頻繁に会わせることで情を通わせ、結婚できる年齢となれば婚姻を結び両家の力を更に強固なものとする。


 そこに当人の意思などは存在せずに、否応なしに婚姻させられることも度々あることだったのだ。

 だからルイスとマーガレットの間に交わされた婚前契約でさえも、何も珍しいことではなくその中の一つに過ぎなかった。


 またそういった本人の意思にそぐわない婚姻を結べば夫婦間の熱は当初から冷め切っており、互いに別の異性に心を通わせてることが多く、後継者の問題や遺産分与の問題が尽きなかったのは言うまでもない。

 よって契約条項に子供を作らないことや、後継者また財産についてあらかじめ決められてることが多かったのだ。



「すっかり月夜も雲に隠れてしまって真夜中になってしまったな。メリス、夜通し歩かせてすまないな」

「(コクコク)」


 あれからデュランはマーガレットの話を聞き、ようやく一息ついたところでリサが待っている街へと戻ることにした。

 一瞬、このままマーガレットと一夜を共にしようかとも思ったのだが、それは些か時期尚早とも言うべきか、婚前契約とはいえ表面上は夫婦となっているルイスに、もしバレてしまうと非常に不味い状況に追い込まれかねない。それはデュランだけでなくマーガレットの身までも危うく、あまりにもリスキーすぎると諦めることにした。


(何も早まることはないんだ。それにルイスがマーガレットに手出ししないと分かれば、それだけでも十分すぎるほどだしな。だがそれと同時に心の隅に引っ掛かりが生じているように感じる。この不安はどこから来ているんだ?)


 デュランはそう自分の心を納得させようとするのだが、何故だか得も言えぬ不安を抱いてしまうのだった。

 奇しくもそのデュランの予感は翌日マーガレットの身に起きてしまうわけだが、彼がそのことを知ることは大分先のことになる。


 そしてそれこそがルイスがマーガレットの婚姻に敷いた狡猾なまでの策略でもあり、デュランが過去に犯してしまった最大の過ちでもあった。


 そう、デュランは既にその過ちを犯してしまっていたのだ。


 その理由がまた、『人助けのため』というのはなんとも彼らしくもあるのだが、それと同時に報われない事実でもあり、先程まで情を交わしていたデュランとマーガレットとの間に生まれていた愛でさえも、モノの見事に砕け散ってしまうことになる。


 ルイスは初めからそのことまでも含めて、マーガレットに自分と婚姻を結ぶようにと策を張り巡らせていたのだ。


「くくくっ。コレを明日の朝、マーガレットに見せれば一体どんな反応を示すことか……。そしてそれが彼女とデュランとの仲を引き裂くためのくさびへとなることだろうな! は~っははははっ。今から朝が楽しみすぎて私は眠れないよ……なぁデュラン君♪」


 ルイスはそう口にしながら椅子の背へと寄り掛かりながら右手に持っていた赤ワインを飲み干すと、書類仕事をする机の一番上の引き出しからあるもの・・・・を取り出すと、空いたグラスの中へと入れる。

 そして愉快そうにも口元を緩め笑みを浮かべたまま、そっと目を閉じるとそのまま眠りへとついてしまうのだった。


 彼の背後にある窓から雲に隠れていた月夜が顔を覗かせると、まるで降り注ぐ形で斜めに夜明かりが部屋の中へと差し込み、机の上に置かれていたワイングラスをそっと照らした。

 静寂の中、グラスの中に入れられた銀色の鎖と丸い輪っか状の小さなモノだけが、窓から差し込む明かりを光源にして、ガラスをも反射しながら鈍いほどまでの銀光を闇夜へと解き放ち照らす。


 それはまるで暗闇が支配する部屋の中で、輝きを放つダイヤでも散りばめたかのような、そんな光の粒たちが舞い踊っている。だが、生憎とその幻想とも言うべき光景を目にするものは誰もいなかった。


「…………」


 キィィィィーッ、パタン。

 部屋の外からルイスの様子を窺い、立ち去った彼だけを除いては――。 

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