第153話 月明かりの影
それからデュランはリサに一言断りを入れると、ルインのことをトールの町まで届けることにしたのだったが、出発するその前とは違って特に話をしないまま互いに黙ってしまう。
徒歩で進むのと同じくらい速さでゆっくりとした歩調のまま、二人を乗せているデュランの愛馬メリスはトールの町へ向かい、少しずつ歩みを進めていった。
パカラッパカラッ……。
両端に一面の麦畑が広がり静寂が支配する夜道の中、メリスの歩む音だけが響き渡る。
夜空に丸く浮き上がる月からの夜明かりが若い男女を照らし、歩む前先へと大きな影映りができ、地面へと伸びている。それはまるで影に映し出されている二人のことを、この世界からどこか別の遠い遠い異国の地へと隔離してしまうかでもあり、月夜の光を浴びた麦穂が音もなく時折輝きながら、幻想的な光景を作り出していた。
「お姉様はどのようなお気持ちで、ルイスさんと婚姻を結ぶおつもりなのでしょうね? お兄様の気持ちは知っているはずなのに……それなのに……」
「……」
そんな静寂を嫌ってか、ルインはそう呟きデュランへと語りかけるが彼は何も答えようとはしなかった。
ルインは自分の想いとは裏腹に姉がしている行動に憤りを隠すことができず、続けて言葉を口にする。
「お姉様はお兄様のことを愛していたはずですのに……。変な意地を張らず、お兄様の好意を素直に受け入れればいいんですわよ! それが愛する男女の在り方というものではございませんこと?」
「……」
デュランはただ黙ってルインの言葉に耳を傾けながら、彼女を両腕で挟み込む形で抱き締め、しっかりとメリスの手綱を握っていた。
「お姉様もお姉様ですわっ! 今でもお兄様のことが好きなら好きと! 愛しているなら愛している……隣に居て寄り添って欲しいなら、ちゃんとお兄様に直接口にすればいいんですのにっ! どうしてそんな簡単なことをしないのか、私には理解できませんわ」
そう姉に対する不満を口にするルインであったが、何故かその度に心臓の上あたりをチクリッチクリッ……と、まるで服の上から左胸に向けて針で刺されているような感覚を覚えてしまう。
それは言葉を口にすればするほど、自分の想いとは真逆のことを彼へと伝えるほどに痛みは増していった。
「そうしたら……私、わたくしは……このように胸が苦しくも息をすることすらも辛くなるような……そんな、お兄様への想いを抱えずに済んだというですのに……ぐすっ」
ついにその胸の痛みに耐え切れず、握り締めた右手で上から胸を抑えてしまう。
そしてルインは顔を上げ、デュランの顔を見つめてしまう。
月明かりが照らす悲しみに満ちた彼女の瞳から一筋の光り輝く滴が零れ落ち、冷たく乾いた地面を濡らしていく。
デュランはそんな彼女を慰めるため、そっと頭を抱き寄せ自分の胸へと押し付けた。
「うわあぁぁぁぁぁ。お兄様っっ、お兄様ぁぁっっっっ!!」
「ルイン……んっ」
ルインはそんな彼の優しさに甘えてしまうと同時に、何よりも彼が与えてくれるその優しさこそがとても辛く、この胸の苦しみを与えているのだと泣き叫ぶように必死で彼の胸へとしがみついた。
デュランはそんなルインの想いに応えることも、また謝罪の言葉を口にすることも出来ずに彼女の体を抱き締めながら、頭を撫で慰めることしかできなかった。
そしてそのまま彼女のこと抱き締めながら顔を上げる形で、暗闇に浮かぶ月にそっと視線を移した。
夜空に浮かぶ月明かりだけは先程と何も変わらず、彼らのことを照らし続けている。
デュランにはそれが何故かとても無慈悲にも感じ、そして感情無き残酷なもう一つの月の表情のようにも思えてしまうのだった。
もしこの場で先程ルインからされてしまったように自分の欲望が思うがまま、彼女の唇を奪えればどれほど簡単なことか、たとえそれが一時の慰めだったとしても、彼女の悲しみに溢れた心を癒せるかもしれない。心のどこかでそうしろと命令する自分と、リサのことを思いやる自分との心が葛藤し続けるが、デュランは彼女の体を抱き締めながら頭を撫でるだけに思い留まった。
それは夜空に浮かぶ月明かりに今の自分達の姿だけでなく、奥底に潜む心までも見透かされているのだという思いもあったのかもしれない。
この時代、この国において、貴族の重婚は認められてもいる。
だがしかし、やはり同じ妻という立場でありながら正妻と愛人との身分における格差、そして待遇というものは必ず生じてしまうものであった。
それは何も正妻と愛人という間柄だけに限らず、間に生まれた子にまで及んでしまうのだった。
正妻の子はその家系において夫の子供として認められるが、愛人の子はたとえ本人がどれだけ優秀だったとしても、身分は低いまま妾の子として扱われてしまうことになる。
貴族においてのそれは生まれる前から絶対的な身分格差となり、後に互いの立場が覆ることはまずありえない。もしそんなことがあるとすれば、正妻に子供が生まれていない場合か、長男として先に生まれている場合、もしくは不慮の事故や病気により正妻の子が死んだ場合しかないのだ。
それを恐れて名のある貴族の妻達は夫に愛人や妾の存在は認めても、その子供までは認知しようとはしなかった。仮にその存在を認めたとしても、その愛人と子は堪え難いほどの生活を強いられ、それこそ使用人と同等に扱われることも珍しくは無かったのだ。
それにまた子供は自分が主として使えていた主人の子と知ることなく、その生涯を終えることもあるが、大抵の場合には遺言や死ぬ間際知らされたりもする。そのせいで夫が亡くなってしまったその後に起こる後継者問題や財産分与の問題となることは、いつの世でも同じことなのかもしれない。
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