第146話 姉への憤り

「つ、つまりマーガレットがルイスの奴と夫婦になる……ということでいいのか?」

「……はい」


 デュランはその話を聞き、未だに信じられないと言った表情のまま確認するようルインに聞き返した。

 彼女の表情は真剣そのものであり、最初ここに入ってきた時と同じく今にも泣き出しそうな悲しみに満ち溢れている。


「マーガレットはなんだって、ルイスの奴と夫婦になろうだなんてしてるんだ? 何かしら理由があるんだよな?」

「私にも理由までは分かりませんわ。ただルイスさんと夫婦になるとの一点張りでして、妹である私の言葉すら聞く耳を持とうとしませんの!」

「むぅ……そう……なのか。でもまさかマーガレットがそんなことを……」


 ルインもいきなりの姉の行動に戸惑っている様子である。

 そして何かを言いたそうにしながらも言えずに、感情の吹き溜まりを押し殺しているようにもデュランには見えてしまった。



「お姉様っ! い、今口にしたことは本当のことなんですの!?」

「えぇ、そうよ」

「っ!? い、一体なんの理由があってそんなことを……」

「理由? 理由……ね。それはツヴェルスタの長女としての務めよ。私にはこの家を守る責任があるの。ルインもこの家の者なら、それで納得してちょうだい」

「なっ!?」


 ルインはいきなり何の連絡もなく、実家であるツヴェルスタに戻ってきた姉のマーガレットからルイスと婚姻を結ぶと唐突に言われ、驚きを隠せなかった。

 そしてその理由を尋ねてみてもマーガレットは「この家のため」とか「長女であるから……」ということしか口にはしなかったのだ。


 ルインはそんな家や続柄などという曖昧な理由を口にする姉に対して我慢できずに食って掛かろうとするのだが、ハッと我に返り自らの感情を押し殺すとこんな言葉を口にした。


「お兄様は……お兄様にはもうお話になりましたの?」

「…………いいえ、まだよ」

「で、でしたらっ!! まず最初にお兄様に話をするのが筋というものではありませんのっ!? 違いますのっ、お姉様ぁっっ!」


 そこでルインは自らの感情を抑えきれずに爆発してしまった。

 自分に対してそんな重大な話をしてくれたのは良いのだが、それならまず最初にデュランへ話をして欲しいと、ルインは姉であるマーガレットに食って掛かる。


 マーガレットは我を忘れている妹とは対照的に、至って冷静なまま、こんな言葉を口にする。


「たとえデュランにこのことを話したとしても、何の解決にはならないわ。それに……」

「それに?」

「……これ以上、あの人に迷惑をかけられないもの」


 そう口にする姉マーガレットの表情は、どこか自らの感情を押し殺すような悲痛なものにしか、ルインの目には映らなかった。


 それはツヴェルスタ家という名家の貴族の長女として生まれ育ち、それが自らの運命であると諦め受け入れているかのようにも見えてしまう。

 貴族の家に生まれた女達は必ず別の家の男性と婚姻を結ばなければならず、それは本人の意思に関わらず、そうしなければ家が存続できないからである。


 そしてそれはマーガレットですら逃れることはできない。

 それが貴族の家の娘として生まれた宿命なのだから……。


 だが、それも今では義理の兄であったケインが落盤事故で亡くなったことで彼女の心はようやく解き放たれたのだ。


 既に義父であったハイルも亡くなっており、彼女を縛り付ける存在はいない。

 これで心行くまで自分の想いを貫くことが出来るはず……それなのに、である。


 マーガレットは寄りにも寄って夫であったケインが亡くなってからまだ間もないにも関わらず、もう別の男性と婚姻を結ぼうとしているのだ。しかも想い人でもなんでもない、何の感情すらも抱いていない男性なんかと。


 だからこそ余計にルインは我慢ならなかった。


 姉はケインと結婚したとはいえ、未だにデュランに心を寄せていることをルインは知っていたのだ。

 それは今も変わらないはずなのに、家のためとか長女としての責務などと耳聞こえの良い言葉ばかりを口にし、自分の想いから逃げているだけにしか見えなかった。


 もしも自分が同じ立場なら……と、ルインは姉の心情と自分とを重ね合わせてみることにした。

 

(私はどんな理由があろうとも、またどれほどの犠牲が生まれようともお兄様を選びますわ。なのにお姉様は一度目のチャンスをふいにしてもなお、二度目のチャンスが転がり込んできた。それをまたもや駄目にしてしまうつもりなの? ありえないありえないありあえない……私なら絶対にそんな選択はありえないですわ)


 今もデュランに心を寄せているルインは姉のように何かしらの理由をつけて躊躇わず、心の中で彼のことを選んだ。

 それでもこの想いが届くことは決してないことをルインは知っていた。何故ならデュランもまた姉であるマーガレット同様、未だに彼女へと心を寄せているのだから。


 それなのに……である。


 姉であるマーガレットは、またもやその機会をみすみす逃そうとしているのだ。

 手を伸ばせばすぐ届くところに想い人が居るにも関わらず、その張本人は自分の心情とは裏腹に彼の手を掴もうとも、また自ら手を伸ばそうともしていない。


 これで苛立ちを覚えずに一体全体、何だと言うのだろうか? 


(もし……もしも私がお姉様だったら……。お兄様に心を寄せられて……それでそれで……)


 ルインは心の内で自分の姉はどこまでも身勝手で、ワガママで、そしてズルイと思わずにはいられなかった。自分にはそのチャンスが回ってこないのに、目の前の姉には何度も何度もそのチャンスが巡り巡ってきていた。


 それなのに別の男性と婚姻を結ぶ?

 しかも何の感情も抱いていない男性と?


 ルインには姉であるマーガレットの心が理解できなかった。

 ……いや、たとえ理解していてもそんな行動は自分ならしない。できるわけがない。


 それがたとえ想い人であるデュランのためだったとしても、自分の心だけは決して裏切ることができない。それは姉も同じなのだと、心のどこかで今日まで思っていた。しかし、今ではそんな自分の思いまでも容易に裏切られてしまったのだ。

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