第145話 互いの気遣いと冷えた手の温もり

 デュランが製塩所を作るには、まず最初に広大な土地が必要になる。


 それにはツヴェルスタ家が所有している南西に位置する、まったく人の手が一切入れられていない未開の地であるシュヴァルツヴァルト、通称『ブレアーズ・ウィッチ(魔女達の森)』とも呼ばれる森林地帯を切り開き、そこに小さいながらも『リトル・ウィッチ(小さな製塩所)』と名づけた製塩所を構えることになる。


 奇しくも魔女の意味合いを指す『witchウィッチ』と製塩所を指す言葉『wichウィッチ』とが偶然にも重なり合ってしまった。それは単なる子供の言葉遊びに過ぎないのだが、デュランはこれを自ら手繰り寄せた運命であるかのように思い込むようになっていた。


 この地が魔女達の森と呼ばれる由縁も、手付かずの森林地帯で誰も寄り付かない未開の地であるためであり、だからこそ人に伐採されず様々な木材資源が豊富にあり、この地に製塩所を開くのには打ってつけであると考えていた。


 また製塩所を構えるため、切り倒した木々は建物を立てる際にもふんだんに使われることになる。

 これは塩の精製を扱う手前、その塩分によって腐食させてしまう鉄などの鋼材があまり使えず、他の製塩所でもその代わりとして木材が使われるのが一般的なのだ。またそれには高価な鉄を用いずに近場に生えている木々を切り倒し、建築資材としても使えるので費用の節約も担っていた。


 当然火や蒸気を扱う作業が多いため建築資材が木だけでは危ないので、精製の作業場付近は土で作られている赤レンガが多く用いられることになる。

 レンガは高温にも耐えることができ、元々土なので鉄のように塩分で錆びる心配はない。


 また精製した塩を乾かす際にも、腐食しない木が重宝されてもいた。それに水を沸かすための燃料としても木材が使え、もし足りなければ建物周りからすぐに伐採すればいいだけのこと。まさに資材や燃料を自給自足できるわけである。


 木こそ安価な資材であり、同時に製塩所には無くてはならない最重要資源である。

 だからこそ多くの製塩所では、海辺近くの森林地帯に建物を構えていることが多かったのだ。


 それと等しく重要なことは、塩の精製には大量の水が必要になるということである。

 これは煮詰めるため用いる意味合いだけでなく、一旦水という液体にすることで麻布などのフィルターで濾過ろかし易くするためでもある。


 海水の場合でもデュランのように岩塩の場合でも、その工程は同じこと。

 だから既存の製塩所が海水を用いるのには、海水を蒸留して塩分を取り出すためでもあるが、実はこの豊富な水源こそが何よりも重要なのである。


 デュランがこれから建設する予定のリトル・ウィッチの場合には、海から遥かに遠いため海水を用いることはできない。その代わりとして、地下から汲み上げることができる地下水を用いることができる。


 ルインの話では、昔から地下水だけは豊富すぎるほど湧き出ていたため、木々がよく育つ土壌になっているらしい。そのため密集して木が育ち、森林地帯全体が太陽の光を拒むかのように森の中は日中でも暗いのだという。だからこそシュヴァルツヴァルト通称『黒い森』などと、そこに古くから住まう住人達には呼ばれているらしい。


 木とは適度に人の手により間引き伐採を行うことで、その生育を促すことができるもの。

 これは木と木との間隔を開くことで葉全体に日の光を取り入れ、幹がよく育つようになるからなのだ。


 しかしながら、『ブレアーズ・ウィッチ』の場合には違っていた。


 黒い森の名のとおり、森の外から見渡しても折り重なるように葉と葉が重なり合い、密集して木々が生えているため、全体的に幹があまり太く育たずに、とても細い幹らしい。


 だがそれも燃料として燃やすためにはまさに打ってつけである。

 細い木は伐採しやすく、また人の手で運びやすくもなる。これが太い木の場合、運び出すためにはその場で分断加工しなければならず手間である。


 岩塩という鉱物資源が齎した恩恵によって『ブレアーズ・ウィッチ』は、この国で最も製塩所に適した場所へと生まれ変わることになる。

 それはデュランやツヴェルスタ家はもとより、労働者である庶民の手助けとなることだろう。



「さ~てと、夜ももう遅くなってきたし、話し合いはそろそろお開きとするか。とりあえず俺はこれから酒場にでも行って、製塩所で働けそうな人でも見つけて声でもかけるとするか」

「ボクも明日の仕込をしないと……あっネリネ。もしよかったら、お兄さんの代わりに手伝ってくれないかな?」

「えっ? えぇ、それはもちろん。大丈夫……なのですが……」

「ほら、行こうって!」

「あっ、ちょ、ちょっとリサさん!?」


 リサ達はこれからデュランが製塩所を開くための話を聞き終わると、すぐさま各々与えられた役目をこなすためその場を離れていった。リサに手を引かれたネリネは意味深にもデュランとルインを見つめたまま、厨房のほうへと消えていく。


 アルフはこれから夜の酒場へと赴き製塩所で働いてくれる労働者を集めるための声かけを、そしてリサとネリネは明日レストランで使うスープの材料の下ごしらえを奥にある厨房でするみたいだ。


「そういえばルイン、俺に何か話があったんじゃないのか?」

「お兄様……」


 デュランはルインと二人っきりになり静まり返った店内で、彼女に向かいそう話しかけた。きっとリサ達もルインがデュランに話があるのだと配慮し、何かしらの理由をつけて自らその場を離れてくれたのかもしれない。


 デュランは心の中でみんなに感謝の言葉を抱きながら、向き直るとルインの正面に座った。

 目の前に居る少女の顔つきはとても悲しみに満ち溢れ、今にも泣き出してしまいそうである。そんな彼女の顔を見ていると、何故だか自分の心までも同調するのように悲しくなっていくのを自覚していた。


 このまま何も話さずに彼女のことを帰してしまえば、目の前に居る少女はどこか暗闇が支配する闇の中へと消え去ってしまいそうにも思えてしまい、デュランはそっと彼女の合わさっている両手に手を添えて、こう優しく語りかけた。


「どうしたっていうんだルイン? もしかして家族の誰かに不幸でも遭ったというのか?」

「……いいえ、不幸ではありませんわ」


 そっと優しくも重ね合わせた彼女の手の甲からは、人の熱を失ってしまったかのようにとても冷え切っていた。だがデュランはそのことは一切口にはせず、彼女が顔を上げてくれることを信じて優しく語り続けることに。そうすることで、少しでも自分の体温ねつが彼女の手を温めてくれるのだと信じていた。


「なら、逆に幸せなことなのか? それならそんなに落ち込んだ顔なんてしてないで、もっと喜ぶべき……」

「本来なら喜ぶべきことなのですが、実はですね……私の姉のことなんですの……」


 ルインは意を決したかのようにそれまで俯いていた顔を上げると、デュランの瞳を見つめながら話をし始めた。それは姉であるマーガレットがルイスと婚姻を結び、近々夫婦になるのだという話だった。

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