第144話 利用する側と利用される側

 それからデュランはすぐにアルフへと指示を出し、街で失業した者達を優先的に製塩所で雇い入れることにした。

 これも少しでも庶民の助けになれば……との彼の思いやりの心であり、その多くは近隣にある鉱山の失業者が多く中にはウィーレス鉱山で働いていた鉱員達も含まれていた。


 それでも失業者達は仕事にありつけるだけでもありがたいことだと、デュランに感謝していた。


 東西戦争が終結してから既に数年の月日が経っているとはいえ、国内の仕事はあまり多くはないので多くの労働者達は鉱山や製塩所、そして工場などで苛酷な環境に晒されながら低賃金で奴隷のような生活を送っていたのだ。

 

 また労働環境や労働組合という言葉はあっても実在せずに、労働者達は毎日数時間の残業をさせられても残業代なんて手当ては一切付かなかった。それこそが雇い入れるである企業の大きな利益の元であり、まともに残業代までの賃金を支払っていたら企業として立ち行かなくなってしまう。


 その中でも企業家達が尤も嫌うものは『ストライキ(仕事の放棄や怠慢)』また『サボタージュ(仕事場の破壊活動)』である。

 職場において一度ひとたびストライキやサボタージュが引き起こってしまえば、忽ち工場の生産力は落ちてしまい、当初事業計画していたとおりに事が上手く運ばなくなってしまう。


 それは銀行などから金を借りている企業家にとっては、死をも意味するのと同じこと。


 何故なら銀行は融資の際に提出された事業計画書に当てはめ資金の融通を実行しているので、その計画が一度でも狂ってしまえば、即座に支払いが滞ることを意味する。


 そうなってしまえば、その企業を担当している銀行員は成績に響き、果ては出世の道まで阻まれてしまう。だからこそ何事があっても、当初の計画どおりに事が運ぶように念を押し、もし利払いすらも滞れば無慈悲にも企業への貸し剥がしをされてしまい、企業は倒産するしか道はない。


 だからこそ雇う側は賃金を支払っているにも関わらず、仕事をしない労働者をすぐにクビにしてしまうのだ。

 そして様々な難癖を付けて、その月の賃金を支払わないことが日常的に行われてもいた。


 それでも労働者達は文句一つ口にできずにただひたすら家族を養うため、身を犠牲にして働かなければならない。

 そこには将来の夢や希望、明日という言葉は存在せずに今日この日一日を生き延びる……そう思わなければ、辛い環境で仕事をしているため生きてはいけなかった。


 企業とはそうした労働者達の汗と血を犠牲にすることで成り立ち、資本主義社会などと呼ばれている謂われでもあった。

 だがそれでも企業側も銀行などの顔色を窺がわなくては生きていけない一点において、彼らもある意味で搾取される側なのかもしれない。


 結局のところ、世の中は力あるものがすべてを制することになる。


 この『力』とは、時に資産を、時に人を、時に権力を、時に膨大な資源を、そして時に自らの運命を意味するもの。

 いずれか一つでも他者よりも優れていれば、立場上相手よりも優位に立つことができるわけだ。


 労働者は雇い主を、雇い主は銀行を、銀行は国や行政に合法的且つ無意識下のもと強制的に従わされているだけなのだ。

 そこには慈悲や慰めなんてモノの感情は存在せず、ただ『利用する側』と『利用される側』その二種類しか存在し得ない。


 利用される側は利用する側の意見に絶対的に従い、そして最後には使い捨てにされてしまう消耗品である。

 これはいつの世でも同じことで利用する側は利用される側を人とは思わず、また利用される側も利用している側を人とは思ってはいない。


 それこそが金や権力に固執する人の性なのかもしれない。


 人間誰しも一度は他人よりも良い暮らしをしたい……そう思うことがあるだろう。

 そこには庶民や貴族、または王族という身分としての名における表面上の体裁は存在するだろうが、極論を言えば同じでしかない。


 ただそれが身分や権力というシガラミが体の表面に絡み付いているか否かの違いだけである。

 だからこそ貴族や王族達は庶民を蔑み馬鹿にし、必ず自分よりも下へと置きたがる。


 口では「自分達は庶民とは違う!」などと言いつつも、無意識下では同じ人であると自覚しており、それを否定するために意味嫌うようになるわけである。

 それが主従というものを生み出し、また身分制度における根本なのかもしれない。


 そしてそれは相手に対する恐れであるとも言えるだろう。

 貴族や王族達、身分が上であると思っている者達は何よりも庶民のことを恐れているのだ。


 庶民一人一人は力なき民であるのだが、一人が二人、二人が四人、四人が八人……と数を増やすにつれ、自分達の支配力が及ばなくなってしまい、ついには制御することができなくなる。

 そうして最後に起きる物事がお互いの立場の逆転現象に他ならず、即ちそれが意味するところ……それはクーデターや革命と呼ばれるものなのだ。


 一度それが起きてしまえば、それまで従えていた者達が自分の命を狙い、それまで自分達で築き上げてきたモノが無へと帰してしまう。

 だからこそ立場ある者達はそうならないようにと、民から力を奪い去ろうとするわけだ。


 だがしかし過去の歴史を鑑みるに時代はそれを善しとせず、時に力なきものたちに力を与えることがある。

 そしてそれは遠くない未来、この国でも起こることはまず違いないことだろう。

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