第137話 市場を覇権する小さな独立国家

「むぅ。薔薇の卸業者について……か。すまないな、ネリネ。俺は市場のことは何にも知らないから、何の力にもなれないかもしれない。精通している者を何人か知ってはいるのだが、それでもその人達は店先で品物を売る一店主に過ぎないんだ。だから過分な期待はできないかもしれない」


 デュランはネリネの話を聞いて市で顔の利く、あのリンゴ売りのマダムの顔を思い浮かべるが、彼女自身もきっと市場で直接的な買い付けはしていないはず。

 多少なりとも融通は利くだろうが値段交渉ともなれば人脈コネよりも、日々取り扱う総量が鍵となる。


 仕入れる量が多ければ多いほど業者は儲かるので、多少卸値を下げてでもその相手との取引を行う。しかし、ネリネのような日に数十本という量では、とてもそんな話に持っていくことはできない。


 これが個人の商取引でなく業者間の繋がりでもあれば、店と店との間で共同仕入れを申し入れることができるだろう。

 例え一つ一つの店は微量な取引量だったとしても、何店舗かが集まれば一度に大量の仕入れることができるので卸値の値下げ交渉などが容易となる。


 だが生憎と個人と業者との関係ではそうもいかなかった。


 それでも一縷の望みを賭けて「一応は……」ということで、デュランはあのマダムに話を通すつもりだった。彼女は一商店の主ではあるがこの近辺の顔役でもあり、業者に対しても多少なりとも融通が利くかもしれないと考えていた。


(市場とはその言葉や見た目とは裏腹に、実際には小さな一つの独立国のようなものだからな。業者間で集まり多額の資金を出し合って作られたのが組合、そして市場と呼ばれるもの。だからこそ外部から介入しようにも、口を挟むことすら間々ならないはずだ。もし一日の取引量でも多ければ多少の無茶でも通せるだろうが、それも期待できない……か。それでもネリネのため、諦めるわけにはいかない)


 市場では組合に加入している者しかセリには参加できず、一般人はもちろんのことネリネのような店舗を持たない者は品物を購入することができない。

 もし必要ならば、セリに参加している問屋または品物を卸してくれる卸業者から直接購入するしかなかった。


 だがしかし、当然そこには彼らの中間手数料マージンが含まれており、間に人を通せば通すほど、その商品に対する卸値は高くついてしまうというもの。


 結局のところ、安く品物を仕入れるには生産者と直接取引きをするか、セリに参加するしか方法はなかった。

 前者はある一定期間に大量の仕入れを行わなければならず、セリに参加するには組合が審査基準を設けている許可証が必要となる。


 もし専門店のような花屋の場合には、直接セリに参加できるため安く大量に花を仕入れることができるわけだ。

 だがネリネの場合には、そのどちらも利用できないため、手数料がたくさん乗り割高となっている薔薇を購入するほか道はなかったのだ。

 

(まさか、こんなところでも権力や許可が必要になるとはな、思いもしなかった。力なき庶民達はそれにただ従い、資本家達に搾取されるしか生き残る道は無い。最初から国の仕組み自体がそうなってしまっているのだから、それを変えるには根底から国を……いや、これ以上はやめておこう。今考えても無駄なことだしな)


 デュランはそこで今自分が思っている感情について思い留めてしまう。


 それは苦しめられている庶民ならば誰もが一度は思い、そして口を閉ざしていることであると同時に一度ひとたびそれを口にしてしまえば、どんな立場や権力があろうとも無に帰してしまうものである。

 国を根底から変えるには、国自体を変えるしか道は無い。それが行き着く先は国の転覆または国家への反逆であるクーデターに他ならない。


 日々の生活が苦しい庶民達はそれを今か今かと待ち望み、志ある権力者達は実行へと移す好機を窺がい、狡猾な商人達はその期に乗じて儲ける算段をつける。

 皆違った考えを持ちつつも、同じことを願っている。それは国の力を失っている時期こそ如実に表れ、遠くない将来の日に起こりうる歴史的事変とも言える。


 時にそれは一発の銃弾が引き起こし、時に一人の民衆の命から生まれ出る渦の力。

 その渦に逆らい飲み込まれてしまうか、それとも利用して生きながらえるのか、その違いでしかない。


 すべての金や権力、出生や肩書き、そして人権すらも並列化してしまう……それが『革命』と呼ばれるものである。

 一度それが引き起こされてしまえば誰もその波を止めることができず、辿り着く所まで辿り着く。それがその国に住む民の幸せとなるか、はたまた不幸となるかまでは誰にも分からない。


 だが一つだけ言えることがあるとすれば、それは良くも悪くも“何か”が変わることだけは確かなことである。

 

 日々の生活が、置かれた環境が、そして人々の心理が移り変わって行く。

 それはまるで川の澱みが水流により浄化されるのと同じく人の心も洗い流され、新たな水が絶え間なく流れて行き、新たな国へと生まれ変わる。


 ……いや、生まれ変わらなければいけないのかもしれない。

 何故なら国が生まれ変わらなければ、最後に辿り着く先は死あるのみなのだ。それはたとえ国であろうとも、その運命から逃れることはできない。


 それこそが民衆におけるクーデターの根本であり、原動力の源でもある。そして同時に時の権力者の思惑により、偶発的ではなく意図的に引き起こされることもある。

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