第125話 失意の手紙

 デュランが所有するトルニア鉱山での落盤事故から数日後、ケインの葬儀は質素に行われることになった。妻であるマーガレットは気丈にも人前で泣くような真似はせず、ルインやデュランの助けを借りながら夫であるケインの葬儀を済ませるのだった。


 デュランは彼女の前で自分の鉱山で起こってしまった事故についてを、地面に膝を着き頭を下げることで謝罪をするのだったが、マーガレットからは意外な言葉が返ってくる。


「ありがとう……デュラン。ケインもきっと最期は幸せだったはずよ……」

「っ」


 それは感謝の言葉だった。

 怒声でも悲しみの言葉でもなく、逆に感謝されてしまったのだ。


 デュランはこれほどまで居た堪れない気持ちにさせられる感謝の言葉を受けるのは初めてで、むしろ逆に恨み辛みの言葉を投げかけられ、罵られたほうがよっぽどマシだと思えた。

 それは彼女の顔から感情というものが抜け出て、悲しみとも寂しさとも思えるような表情を見ているだけでも辛く、何よりもデュランの心を苦しめることになった。


 デュランは励ましの言葉を投げかけることもできずに、ただ彼女の傍に寄り添い肩を抱くことしかできなかった。


 もしも彼女のことを強く抱き締め、その悲しみに満ちた顔を一時でも癒せることができれば……と、一瞬その場の感情に流されそうになったがデュランの頭の中ではリサの笑顔が浮かんでしまい、その手は触れるべき相手を失ってしまう。


 それから数日が経った頃、マーガレットの元に一通の手紙が届けられた。


「これ、は……っ」


 マーガレットが封を切り中を見てみると、そこに書かれた意味を知って言葉を失ってしまう。

 それはルイスからの手紙で、生前夫のケインが残した負債を即日返済せよ……という内容だった。

 


「あのような内容で本当によろしかったのですか、ルイス様? ルイス様のお話では彼女に請求せずとも、よろしかったのではないでしょうか?」

「いや、あれでいい。どちらにせよ、デュランの奴はあの女のことを放っておけまい。なんせ昔は情を交わしていた仲なのだからな。あの男の性格ならば誰に言われるでもなく、助けるはずだ。それに直接請求するよりも、事はスムーズに行くはずだ。仮にその過程をすっ飛ばして、血縁者を理由に借金返済を迫っても裁判所に願い出ることだろう」

「裁判所……そうなると面倒ですね」

「そうだ。結局、私が勝つことになるとはいえ、それでは時間がかかる。それならば……っと、ケインの妻に正規の負債として責め立てるほうがよっぽどデュランの奴も堪えるに違いない。なぁリアン、お前だってそう思うだろ? くくくくっ」

「……」


 そう語るルイスの表情は卑屈に歪んだ笑みを浮かべ、まるで悪魔の化身か何かのようだとリアンは心の中で思ってしまう。


「それにな、デュランが借金の肩代わりをしようものなら、いくらでも潰せる機会チャンスに恵まれるというもの。それこそ奴を奴隷のように私の思うがまま扱うことだってできるようになる。腐っても奴の家は名の知れた名家……それを利用するか、あるいはどこぞの名を欲している貴族に高値で売り渡してもいいだろう」

「まさに貴族の家柄とは、まさに骨の髄まで金に換えられる……ということですね」

「そうだ、それは貴族としての魂までも……な」


 貴族とは財産が多ければ得られる名声ではない。

 それこそ多額の資金と権力を持つルイスですら、出生が庶民のために周りから『貴族』とは呼ばれていないのだ。


 古くから受け継がれてきた家名を親から継承するか、あるいは養子縁組を組むか、貴族の娘と婚姻を結び婿となるか、そして戦争で功績を立てるなどをしなければ貴族とはまず認められない。


 ルイスがこの世で唯一得られない物があるとするならば、血筋や出生を変えられないという点だけである。


 未来は変えられることが出来るが、過去は誰にも変えることが出来ない。

 それは例え多額の金を積もうとも、決して変わる事ができない家柄という名のある種の呪いなのかもしれない。


 近代以前から貴族には貴族らしい振る舞いが常に求められる性質上、相手の貴族から決闘を申し込まれれば、本人の意思に関わらず、それを否応なしに受諾しなければならない。もしも断るようなことがあれば、周りの貴族はもちろん、名も知らぬ民や自らに使えている召使などに『負け犬』や『腰抜け』などと生涯に渡り陰口を叩かれ、自尊心の高い貴族としての死よりも辛い恥を掻くことになる。


 ルイスは「そんなものは過去の偉人達が残した愚かな風習だ」と一蹴するが、しかしその名の意味を持つ名誉だけは欲しかったのだ。


 いくら商売で成功しようとも、どこまでいっても庶民は庶民の身分でしかない。


 余りある資金があろうが家や土地を多く持っていようが、立場ある者から見れば、彼らよりもその地位は圧倒的に低く見られ「あんな者はただの成金にすぎない……」などと、さげすまれることになる。


 プライドの高い、ルイスにとってそれは屈辱以外の何物でもなかった。


 自分はなりふり構わず、どんな汚いことにも手を汚し今の地位を築いてきた。けれども貴族達は『ただその家に生まれたから……』という理由だけで、負債があろうとも何の努力もせずに自分よりも地位が高く偉ぶった態度を取っている。


 そんな彼らの生き方自体がルイスには我慢できなかった。


 だからこそルイスは彼らに金を貸し付け何かしらの理由をつけて貸し剥がし、破産へと追い込んで彼らの家系をぶち壊すことに執念を燃やしていた。


 それは嫉妬と呼ぶよりも、憎悪や嫌悪感と言っても差し支えない。

 彼がデュランやケインに執着する理由もそこにある。


 そしてそれはどちらかが死ぬまで続き、決して終わることはないだろう。

 人の欲望が穴の開いた器であるのと同じように……命尽きるそのときまでは……。

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