第122話 土で汚れてしまった昼食

 デュランは鉱山から真っ直ぐケインとマーガレットの家、つまり元々はデュランの家を訪れた。


 そして玄関前に立ち尽くすと最初にどんな言葉を発すればいいのか、そしてマーガレットに対してどんな顔をすればいいのかと悩みに悩んでしまう。


(一旦考える時間を持つべき……か)


 いつまで経ってもその答えが導き出せず、踵を返して帰ろうとしたまさにそのとき玄関が突如として開かれ、今しがた思い浮かべていたはずの彼女が顔を見せる。


「あら? その後ろ姿は……デュラン? 貴方なの?」

「マー……ガレット?」

「ええ、そうよ。私よ……って、変なことを聞くのね。ここは私の家……あっ、いいえ、それで何か私に用だったの?」

「えっ? あっ……ああ、まぁ……な」


 背後から声をかけられたデュランはそのまま立ち去ることができずに、クルリっと彼女の方へと体を向けてしまった。

 彼女も自分の家と言いつつも元はデュランの家だったことを思い出し、話を逸らそうとする。


「それ……は?」


 彼女の右腕には何やら木で作られたバケットが提げられており、ついそちらの方へ目を奪われてしまったデュランは思わず声に出してしまう。

 そして「これからどこかへ出かける予定だったのだろうか?」そんなことを考えていたのが、つい顔にも出てしまっていたのかもしれない。


「あっ、もしかしてコレが気になってるの? ふふっ。これはね、ケインのためにサンドウィッチを作ってみたのよ。これからあの人に直接届けてあげようかと思ってね、それで貴方のトルニア鉱山に向かおうと思っていたところだったのよ」

「それはケインの昼食……なのか? ……っ」


 デュランはその言葉を聞き、思わず顔を背けてしまった。


 恥ずかしそうにしながらも満面の笑みでそう語るマーガレットの顔をこれから自分の言葉で変えてしまうのかと思うと、デュランはこの場から逃げ出したい気持ちに苛まれてしまう。

 だがそんなデュランの心内を知らないマーガレットは、とても嬉しそうにしながらもデュランに話しかけてきていた。


「ほら、あの人ってば、最近はなんだか心を入れ変えて真面目に貴方の鉱山で働いているでしょ? それも以前は彼が馬鹿にしていたはずの労働者達に交じって。そりゃ~私だって最初は数日くらい続けばいいなぁ~くらいにしか思っていなかったわよ。それでもなんだかずっと頑張ってるみたいだからね。それで私も昼食くらいは作って届けてあげようかな、って思ってね。それで昼食だけでも彼に届けたりしていたのよ。あっ、ほんとにたまになのよ。デュランも私の料理の腕前は知っているでしょ? なんだか自分で言ってて恥ずかしくなってしまうわね。ふふふっ」

「そ…う……か」


 何を隠そうケインが真面目に仕事をするようになって一番喜んだのは、彼の妻であるマーガレット本人であった。

 それこそ今彼女が口にしたとおり、最初こそ半信半疑だったのだろうが、今では甲斐甲斐しくも昼食を自分で作り鉱山まで届けるほどに信頼を寄せていたのだ。


 デュランはそんな彼女に対して、鉱山での崩落事故を伝えることができず、ただ呆然と彼女が楽しそうに話をする姿を黙って見守るほかなかった。


「……それでね、最近はなんだか鉱山のほうで、新しいものを見つけたって子供のようにはしゃいじゃってね、これでデュランに恩返しができ……って、デュラン? 何かあったの? 顔色がすごく悪いわよ」

「あっ……」


 どこか心ここに在らずと感じたデュランを心配したマーガレットは、つい昔のクセで彼の額に手を当ててしまう。


 デュランにはなんだかそれがとても懐かしく思え、それと同時に得も言えぬ罪の意識に突き動かされ、ついこんな言葉が口から漏れ出てしまった。


「さっき……落盤事故が遭ったんだ」


 一度それを口にしてしまえば、あとは楽だったのかもしれない。

 当然、その続きの言葉は決まっている。


「えっ? 落盤……事故……ど、どこでよ?」

「ウチの……鉱山で……だ」


 いきなりデュランがそんなことを口に出した意図を、目の前に居るマーガレットが察せないわけがなかった。

 それと同時に今彼女の頭で浮かんだ言葉をデュラン本人に否定してもらいたくて、無理に言葉を続けようとする。


「そ、それってまさか……」

「…………」


 続く言葉をマーガレットが口にできないと察したデュランは、ただ黙って頷くことしかできなかった。


 すると、マーガレットの顔は血の気が引くかのように見る見る青ざめていく。

 デュランでさえも、彼女の心中は痛いほど理解することができた。


 理解はできたが、彼自身が所有する鉱山で起こってしまった落盤事故なので、抱き締めることも慰めの言葉すらもかけるわけにはいかず、差し伸べようとした手を悔しそうに握り締めるだけだった。


 握られた拳の隙間から赤い滴が垂れ、地面を湿らせていく。


「あ、あ、あ……」


 彼女はまるで糸が切れてしまった操り人形さながらに、力なく肩を落としてしまう。


 そして彼女が右腕に提げていたはずのバケットが硬い地面へと落下した。その衝撃で蓋が開いてしまったのか、サンドイッチが無残にも地面へとぶちまけられ、挟んでいたハムや野菜は土で汚れてしまい、茶色交じりのライ麦パンは更にその色を強めていた。


 そこでようやくマーガレットは気づいてしまった。


 デュランが自分の元を訪ねてきた理由、それに彼がただ黙って暗い顔をしながらも、どこか余所余所しい態度を取り、言葉を濁していたその意味を。


 今は無情にも土で汚れてしまったサンドイッチを食べるはずだった相手が、もうこの世にはいないということを……。

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