第60話 妥協案の提示と大切な出会い

「あっ、いやいや誤解して気を悪くしないでおくれよ。あたいはなにもアンタが持ってる、その銀貨が偽物だなんてあたいも思っちゃいないさ。でもね、あたいの店じゃその銀貨を受け取っても、それに見合う分だけの銅貨を持っていないんだよ。ほら、これを見てごらんよぉ」

「ああっ、そういうことなのか。つまり銀貨を出されても、それに見合うだけの釣り銭が用意できないというわけなんだな」


 中年の女性はデュランへと見せるように身に着けているエプロンの前ポケットを広げ覗かせた。

 そこにはくすんだ色をした銅貨が何十枚か入っており、それが今日一日分の売り上げに相当する額だとデュランは察した。


 それは数にしてザッと50枚程である。


 これではとても銀貨1枚分からリンゴの代金銅貨2枚分を引いた額、銅貨98枚の釣り銭を用意することは、彼女にとって実質不可能なこと。


「申し訳ないんだが、銀貨じゃなくて、もしも銅貨を持っているならそっちにしてくれないかい?」

「いや、すまない。生憎とこちらとしても銅貨の持ち合わせがなくてな。金貨か銀貨しか持っていないのだ」

「あ、ああそりゃだろうね。じゃなければ、りんごを買うのに銀貨なんて出さないよねぇ~。こりゃ困ったねぇ~」


 中年の女性はリンゴを売りたいが釣り銭がなく売るに売れない、対してデュランはリンゴが欲しいが銅貨を持ち合わせていない。

 互いに上手く物事が運ばずにどうしたよいのかと頭を悩ませてしまう。


(仮にこの店主から釣り銭の一部として銅貨50枚を受け取ったとしても、今度は彼女自身その銀貨に頭を悩ませてしまうかもしれない。なんせ仕入れをするためには、同じく銅貨が必要になるだろうからな)


 デュランは思考を張り巡らせながら、仮の先々についての考えをまとめあげる。


 実際問題として銀貨を受け取ってくれる庶民は、この中年の女性のようにほとんどいないだろう……との結論付け、あるアイディアを思い付いたデュランはこう口にした。


「なら、釣りはいい」

「なんだってぇ~っ。ちょ、ちょいとお待ちよ、お兄さん。銅貨2枚分程のリンゴじゃ銀貨1枚とは釣り合わないんだよ! それなのに……」

「ああ、これはすまないことをした。少し言葉足らずだったかもしれないな。今この場では釣り銭はいらない、という意味だ」

「んんっ!? それは一体どういうことなんだい?」


 まるでキツネにでも摘まれたように中年の女性は頭を捻らせながら、そう聞き返した。


「何もそう難しいことを言ってるのではない。貴女はここでいつも店を開いているのだろう? それなら俺が毎日訪れ、本来受け取る分である銅貨98枚分のリンゴを買いに来るということだ。それなら貴女もわざわざ釣り銭として大量の銅貨を用意することもないだろうし、それに銀貨を両替する手数料分も得をするのではないか?」

「……アンタ、そんなことを一瞬で考えちまったのかい? しかもあたいが銀貨を受け取っても扱いに困るってことまで……お兄さん、アンタ一体何者なんだい? 見ればどこかの貴族のようにも見えるけども……」


 デュランがそう説明し妥協案を提示すると、中年の女性は目を見開いて驚いていた。

 だがそれも無理もないことだった。


 貴族が庶民に対して配慮することやより良い提案を自ら提示することはまずあり得ないことで、むしろ釣り銭がなければその代金すらも支払わないと言われても当然のことである。

 それをデュランはリンゴを銀貨1枚分買い取るだけでなく、その先の店主が困るであろう問題すらも解決してしまったのだ。


 このような野外露店において、商品を売る場合には大きく分けて二種類しかない。

 一つは自分の畑で取れたものや自分で作ったものを商品として売る場合と、そしてもう一つは他から仕入れた商品をそのまま売る場合である。


 彼女の場合は後者であり当然毎日のように現金仕入れをしなければならず、例えそれなりの売り上げがあろうとも明日の仕入れにも回さなくてはならなくなり最後に彼女の手元に残るのは極僅かである。

 また野外露店の場合には仕入先も当然のことながら一般的に建物を構えている店のような専門の卸問屋からではなく、同じような庶民の農家などが主なのだ。


 しかもそれらのような庶民同士の場合、通常の店が卸問屋から商品を仕入れる際に出来るはずの月締めの売り掛け買い掛けなどができないため、毎日のように現金取引をしなければならない。

 よって仕入れ代金としての銀貨を拒まれる恐れがあると同時に銀貨を銅貨へと替えようものならば、銀行やそれなりに大きな店を構える石買い屋や薬屋などに幾ばくかの手数料を支払って両替してもらうしか方法がなかったのだ。

 

「でもあたいがこの銀貨を受け取っちまったら、どちらにせよ最後にはどこかで手数料を支払って両替してもらわないと使えないんだよ」

「んっ? ああ、もちろんそのことも大丈夫だ。既に考えている」


 中年女性は顔を少し伏せながら、どこか申し訳なさそうに言いにくそうにしていた。

 だがデュランはそんな彼女の反応すらも予測したのか、こう言葉を続けた。


「実は俺はこの近くでレストランをやっていてな。とは言っても明日オープンにするのだが、そうすれば毎日のように貴女と同じく日銭が入るようになるのだ。そして銅貨100枚貯まったら、その銀貨と交換すればいいだけの話だ。ああ、もちろん懸念しているような手数料はいらないからな」

「でもそれだと、アンタが一方的に損をするだけじゃないのかい?」

「そういえばそうだよな。まぁ……な。ははっ、確かに今考えてみればそう思えるな。言われてから初めてそのことに気がついたよ」

「はぁ~っ。まったくおかしな人だね、アンタは。一見すると貴族のような身なりだってのに、他の貴族のような気取った感じがまったくしない。まぁいいさ、アンタがそれでいいってんなら、あたいは構わないよ。いや、むしろ大歓迎だよ♪」


 デュランが自分を省みない様子に少し呆れながらの溜め息をつきながらも、中年の女性はリンゴが入った茶色い紙袋二つを手渡し、その代金として銀貨1枚を受け取った。


「でもね、勘違いしちゃいけないよ。あたいはこの銀貨をただ預かってるだけだからねっ!! それにアンタも毎日あたいの店に来てリンゴを買うんだよ。いいかい、分かったね!」

「ははっ。そのように念押ししなくとも、ちゃんと理解しているさ。じゃあ、明日もまた来るからな!」


 そう言ってデュランは両腕にリンゴの入った紙袋を抱え、後ろ手に手を振りながら果物屋を後にした。

 思えば、この出来事が後に起きる窮地からデュランの事を救う一手になろうとは、今の彼はまだ知る由もなかった。

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