第四章 そこにいる者達へ ③

 非番の日に、自身が反対していた実験を強行された上に、転用研究センターチームを無断で動かされては、腹が立たない訳がない。

 如何に創家の主が絶対とはいえ、仕える者達は奴隷ではない。

 役割も人格も矜持もある。

 ロン曰く、Jは過去最大ブチ切れていた、らしい。

 Jは否定も肯定もせず、ただ目の辺りを軽く抑え、話を続けた。

 実験翌日、誰よりも早く出勤し、手早く用事を済ませ、然るべく準備をした後。

 Jはまず、実験に参加した転用研究センターのメンバーを叱責した。

 八つ当たりではない。

 実験を行う上で必要な、J自身のサインが入った書類なしで、実験を行ったことに対してである。

 むろん、上からの命令なのは分かっている。

 しかし、現場の責任者を無視したやり方を黙認しては、組織全体が崩壊していく。

 しかし、叱責を受けた面々は、お互いに困惑したように顔を見合わせるだけで、Jの怒りが虚しさへと変わるのに大した時間はかからなかった。

 ものの5分で、チーム内に流れる空虚な空気は、凡庸な人間でも気づいただろう。

 ましてや、鋭敏な鼻(今や名実ともに、と自嘲気味に笑った)を持つJである。

 すぐにJは、チーム内で、すでに自分達が少数派であることを気づかされた。

 おそらくは、実験の指令が発せられる相当前から、チームの切り崩しは行われていたのだろう。

 それに気づかないのは迂闊だった。

 藍姫の変化をもっと真剣に捉えるべきだった。

 チームのメンバーの内、天井人を脅すのは容易い。

 天井人達にも位階はあり、収入と支出がある。

 そして、永遠の死、こそはないが、再教育という名の記憶の改竄や、デリート(滅多に対象者は出ないが)は実際あり得るのだ。

 そして、それは創家の幹部、つまり五島家の会議、更に真実を明かせば、藍姫の一存で決まる。

 上司がまともであれば、信頼の名の元に健全に運用されるこのシステムも、一度上司の人格に欠損が生じれば、途端に恐怖による独裁を招く。

 そして、その可能性を、今日まで誰も考えたことがなかったゆえに、状況を健全化するシステムも存在しなかった。

 部下である天井人達が、唯々諾々と従うにも無理はない。

 彼らには耐性がないのだ。

 ましてや、地上から連れて来た科学者たちいかんや。

 そもそも、科学者たちは連れてこられて神魔器の研究を半ば強要(ほとんど好き好んで行っていたが)されているだけで、組織や創家に対するロイヤリティーなど存在しない。

 もちろん、職業的な倫理観に期待することは出来るが、そもそもが科学者である。

 未知中の未知の、限りなくその好奇心を刺激される数々の神魔器を前に、どれだけの想像力を倫理観に振り分けることが出来ると言うのかは、甚だ疑問である。

 疑問しかない。

 好奇心は猫をも殺す、と言うが、地上人の歴史の中でも、好奇心がどれだけの数の命を奪ってきたか。

 好奇心が生活を豊かにし、救った命もあるのは確かであるからフェアではないかもしれないが、奪った命があるのも事実でもある。

 熱弁するJに紅穂が思わず姿勢を正すと、ロンが一言「J」と言った。

 Jは悪かった、と言って手元のマグの中身を飲み干した。

 「今思えば、その頃、直近の鬱憤もあったと思う」と話を戻す。

 Jはチーム内でもまだJに忠誠を誓う者の中から、腕と弁の立つロンとウィルを連れて、直属の上司に当たり、藍姫の従兄弟でもある五島青山せいざんに抗議をしに行った。

 研究センターの入るビルのはるか上階にある、五島家専用区画の青山の執務室を訪れると、美人でスタイルのいい秘書官達(青山の趣味で固められた、な。とJ)に、青山様は留守ですと入室を拒まれた。無視して最奥の部屋をノックと同時に開けると、青山は奥のデスクに紺色で紋付の普段使いの和装のまま両足をのせ、何やら雑誌を読みふけっていた。

 五島家の血筋らしい整った顔立ちと、五島家の一族とは思えないぼんやりした目力を持つ50がらみの男は、おや、どうしたのかな?とでも言うような意外そうな表情を浮かべたが、雑誌は逆さまだった。

 すでに、どこからかご注進があったのは間違いない。

 Jの視線が雑誌に向けられていることに気が付くと、はあ、と大きな溜め息を吐き、J、ロン、ウィルを取り囲む秘書官たちを追い払うように手を振った。

 秘書官達は無言で頭を下げると、部屋を出て行った。

 やつら同情的だったぜ、とロンがその時の状況を補足した。

 五島青山とは、長い付き合いである。

 創家の主家の一員でありながら、美術鑑賞と女漁りしか興味がない男の代わりに、チームをまとめて来たのはJである。

 その点、ある種の信頼関係があり、Jの言葉に耳を傾けてくれるであろう期待は、それなりにあった。

 しかし、それは一方的な思い込みに過ぎなかったことが分かるのに、左程時間は必要ではなかった。

 Jの抗議に「ほう」と「ああ」だけで相槌を打ちながら、時折顎を撫でたり、頬をさすったりするだけで、ついにはJはおろか、ロン、ウィルとも、一度も目を合わせなかったのである。

 まるで、後ろめたいことでもあるかのように。

 チームのメンバーを叱責した時に味わったような空虚さを、再度味わったあと、Jは空転する正義感という言葉の意味を考えるようになった。

 Jの言葉が途切れ、執務室には気まずい沈黙が流れた。

 青山が、傍から見て明らかに空に見える湯呑を、わざとらしくゴクリ、と音を立てて口元で傾けた後で、「分かった」とのんびりと言った。

 「任せろ」、でも、「よし、どうしたらベストか聞かせてくれ」でも「一緒に考えよう」でもない。

 その時点で、Jはすでに次の手を考える必要性を痛いほど感じていた。

 単なる痛みではない。

 恐怖を伴った痛みである。

 なんだか、大きな胸騒ぎがした。

 延長上にあるものは、漠然でしかないが、いずれ大きな厄災を招く道に、創家は脚を踏み入れているのではないか。

 あるいは、全創家、そして地上をも巻き込んだ。

 失礼します、とだけ告げ、Jは足早に執務室を後にした。

 不安げに視線をJと青山の顔で行ったり来たりさせていたウィルがすぐにJを追いかけ、出されたお茶の湯呑の底を舐めるように覗き込んでいたロンが遅れて後に続いた。

 

「そうなんだ…じゃあ周りはみんな色んなこと知ってて、J達は知らされていなかったんだね」

「ああ。そういう事になる。その時点から、いや、もっと前から我々には秘密の計画が進行していたらしい」

「じゃあおじいちゃんのことも…」

「そうだ。我々が知らない計画の一部、だと思われる。その時点では、壬生沢教授はまだ拉致されていないはずだ。むしろ、進んで研究に協力していたからな」

「その時点、って?」

「5年前だな」

「5年?!結構前じゃん!」

「んだな~この姿になって5年経つな~」

「えっ?はっ?この姿になって5年?」

「早いキュ~」

「えっ、ちょまっ、J達その姿になって5年しか経ってないの?」

「何を言う。さっきも言ったし、先ほど我々の前の姿を見せただろう?」

「いや、見たけど実際見てない、っていうか、そういう格好が好きとか、趣味とかなのかと…」

「んなわけあるか~おら達もっとプレチィだっつ~の」

「ええ~じゃあなんでそうなったのよ~」

 断然前の方がいいのに、と心の中で呟く。

「それを今から話そう」

 少し冷えたから、今度は抹茶でいいかい、そう聞くと、新しく人数分の飲み物を用意して、Jは再び話を紡いだ。


 執務室から出た後、研究センターとは別の方向に向かって足早に歩くJの後を追って、ロンとウィルは顔を見合わせた。

「J、どうすんの?」

「もう猶予はない」

「ロン、ウィル、あれは?」

 ロンは返事の代わりに肩を竦めた。

「一昨日の内に言われた通りに」

 ロンの代わりにウィルが声に出して答える。

「そうか」

「で、どうする?」

「二人共、準備は出来てるのか?」

「うん」「ええ」

「そうか、ならいっそこのまま…」

 Jが言い終わらない内に、無機質な長い廊下前方の角から10人ばかりの完全装備した部隊が鎮圧用のスタンスティックを持って現れた。

 否、厳密には全員完全武装ではない。

 仕立てはいいのだろうが、流行とも言いかねる、黒に薄い灰色のストライプが入った、ブーツカットのスーツを着込んだ男が先頭に立っている。

 顔つき、体つき共に、一見、ひ弱そうだが、その体を覆う白いワイシャツの下も、スーツに比べて無個性に思える眼鏡の奥にある知力も、油断ならないことを、J達は知っていた。

 思わず腰に手を回す。

 癖だ。

 そこに何も携行していないのは、創家専用区画では当たり前のことだ。

 入り口で預けなければならない。

 それが、視線の先の連中は堂々と手にしている。

 これが危険な兆候でなければ、何がそうか分からない。

 三人共、体ごと後ろを振り向く。

 前が駄目なら、だ。

 ところが、長い通路の後ろには、同様にフルフェイスで戦闘服姿の集団が、通路を完全に塞ぐようにしてじんわりと迫って来ていた。

 その更に後ろに一部隊。

 身動きせずに通路を塞いでいる。

 用意周到なことだ。

 J達三人は諦めて正面に向き直った。

「やあ、J」

「やあ、コニー」

「元気かい?」

「おかげさまで」

 それは良かった、そう言って細身の男は揉み手した。

 口元はニヤついているが、眼鏡の奥の垂れ目と涙黒子は笑っていない。

 まるで土曜日の午前中、近所の公園で偶然会ったかのような挨拶。

 ただし、そう考えるには、お互いの目とフィジカルな距離が、不自然な緊張感を湛えていた。

「おおい、コニー、悲しみコニーよ。いつからJを呼び捨てにするほど偉くなったんだ?」

 ロンが、自分の事を棚に置いてコニーに詰め寄るように近づくのを、Jが左手で制した。

 コニーの後ろの連中が、即座に身構えた。

「いつから?ああ、言ってなかったっけ?昨日、そう昨日からだよ。昨日はいろいろあってね。僕は上級一佐になったんだ。Jと同格だよ。おや、ロン、君は三佐だろ?駄目だよ、上官に溜口は」

 「まあ、僕は心が広いから」ニヤニヤしながら付け加える。

「そうか、おめでとう。ところでそこを通してもらえるかな?ピクニック中のお友達も一緒に」

 Jが珍しく毒を吐く。

 ウィルは思わず、目を見開いて信頼し、尊敬している上司の顔を見る。

 そう、Jは今日、頭に来ているのだ。本格的に。

 普段とは違うJの立ち振る舞いに、コニーは一瞬たじろいだように見え、顔からニヤニヤ笑いが消えた。

 が、すぐに余裕を取り戻したのか、困ったような顔を作って言った。

「それは無理な相談だな」

「そうか。なら無理やり通るが、いいか?」

「おい、J…」

 いつもなら、軽口や挑発はロンの仕事で、たしなめたり場を中和するのがJの仕事だったはずだが、今日はその立場が逆転しているようだ。

「無理やり?それはどうかな?」

 コニーはわざとらしくあはは、と笑うと、戦闘服姿の男たちを両手の平で指し示した。

「通れない、とでも?」

 それでも強気の姿勢を崩さないJが、一歩踏み出すと、コニーは思わず一歩下がった。

「お、おい。逆らうと」

「どうなる?」

 それでも一歩前に出るJ。

 気圧されて、戦闘服姿の一団も、後ずさった。

「おい、待て!聞けよ、お、俺は藍姫の命令でお前たちを拘束に来てるんだぞ!」

「ロンさん、あいつの一人称、俺でしたっけ?」「ウィル、今それ関係ねえな」

 ロンとウィルが小声で会話するのをBGMに、Jがまた一歩前に進んだ。

「信用できないね、コニー。君と私は同格になった、らしいが、如何に創家の主の命令とはいえ確かめないことには納得できん。そこをどけ。こうなったら、藍姫に直接聞きに行く」

「馬鹿か?この人数用意してきて、はい、そうですか、とでも言うとでも?」

「知らん。その人数だろうが何だろうが、おままごとでもして時間を潰してろ」

「おままごとよりは鬼ごっこの人数じゃねえ?」

「まあ年齢的にも丁度いいんじゃないですか?」 

 ロンとウィルもよく分からないままに、Jの言葉尻に乗る。

 数の優位を見せつけたにも関わらず、挑発的なJ達の発言に、コニーの顔がみるみる赤くなる。

「貴様ら。いい加減にしろよ。下手にでればいい気になりやがって。こっちは多少手荒な真似しても拘束するように言われてるんだぞ?」

「ほほう。手荒なこと。それはけっこうだが死ぬ気でかかって来いよ、ベイビーちゃん。こちらは素手、そちらは重武装だ。万が一死人が出たら、お前たち、全員連帯責任でデリートされるぞ」

 Jが言うと、戦闘服たちがヘルメット越しに顔を見合わせる。

「そ、そんなことは分かってる!殺しはしない。死なない程度に痛めつけろ、との命令だ!」

「おまえ、頭いいわりにホントに素直だな、コニー。嫌な奴だけどな」

 ロンが同情するように言うと、コニーは叫ぶように言った。

「うるさい!もういい!お、お前ら拘束しろ!絶対殺すなよ!死ぬよりひどい目に合わせてやる!」

 そこから先は乱闘だった。

 Jは前面の10人、ロンとウィルはJの背中を守るように後方の集団を相手にした。

 Jは襲い掛かって来た一人を体さばきで躱し、スタンスティックを握った右手をひねり上げると、一回転させて床に倒し、素早く左の腰に佩いていた予備のスタンスティックを抜き取り、そのまま倒した相手の右手首に当て、電流を流す。

 Jに得物を与えてはいけない。

 それは、武官たちなら誰もが知ること。

 後方では、ロンが同様に襲い掛かってくる相手の懐に入り込むと、一本背負いで床に叩きつけた。

 戦闘部隊はストラップを掌に巻き付けてスティックを手放さない様にしていたが、背中を強打した拍子に思わず掌を開いてしまい、ストラップが外れた所を、ロンが抜き取る。

 ウィルはスティックを狙わない。

 お得意の合気道で、襲い掛かってくる勢いを利用して、相手を、その集団に向かって投げ返して、応戦。  

 狭い廊下では、同時に3人掛かるのがやっとで、見事に連携した三人の陣形と、決して掴ませない巧みな体術に、寄せ手は何回も押し戻されたが、30分も立つと、流石にJ達にも疲労の色が立ち込めるようになった。

 その頃には、騒ぎを聞きつけて、ギャラリーが遠巻きに捕り物を見ていたが、通路の出入り口は戦闘部隊に封鎖されていて、近づくことは出来ない。

 それでも、騒ぎになったことはいいことだった。

 Jは野次馬に7、8人の見知った顔を見かけると、大きく溜め息を吐き、右手に握った折れかけたスティックをコニーに向かって捨てた。

 前方の部隊が、一斉に後ずさるのを見て、ニヤリと笑うと、Jはロンとウィルの名前を呼ぶ。

 意味を察したロンはスティックを投げ捨て、ウィルは降参とばかりに両手を上げる。

「いいよ。もう疲れた。今日の分のトレーニングはこれでおしまい。後は好きに遊んでくれ」

 Jが乱れた髪を、綺麗に撫でつけながら言うと、J達以上に肩で息をしているコニーが、かすれ声で言った。

「こ、こ、拘束しろ!スタンだ!スタンさせて手錠しろ!」

 戦闘服姿の一団は、猛獣を捕獲するハンターの様にそろそろと近づくと、上司の意見に忠実に従った。



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