第四章 そこにいる者達へ ④

「それで?」

「起きたらこうなってた」

「はああ、何かの罰なのね?そういうの、その、よくあるの?」

「よくは無い。というか、知る限り初めてだ。犯罪者も出ることは出る。天井人は完全無欠な人格者ではないから。ただ、地上よりは犯罪は少ない、と言える。金銭的なトラブルや、愛憎のもつれなんかは無い。いわゆる四苦がなく、基本的に満たされているからな。ただ、憎しみや権力争いはあるし、何よりもイレギュラーが起こり得る」

「イレギュラー?」

「そう。我々が再生する話をしたと思うが、その際に、ミスが起こることがある」

「どういう?」

「うん。再生する際には、古い体、端的には脳と、新しく培養されて12歳まで成長させたクローンの体を用意して、トランスエバーノートと呼ばれるカプセルベット型の神魔器を使い、古い脳から必要な情報と知識、最低限の記憶を移すんだが、その過程でノイズと呼ばれる誤った情報が入り込むことがある。と言っても100万回に一回ぐらいの割合で、やたら滅多ら起こる訳じゃない。ただ、起こることは起こる。そうして、そのノイズが元の人格に影響を及ぼし、天井人としてあるまじき行為に走ることがある。それをイレギュラーと呼んでるんだ」

「あ、じゃあ、藍姫、だっけ?それのせいで何か、なんて言うか、変になっちゃったんじゃない?」

 紅穂が真犯人を見つけた探偵助手さながらに食いつき気味に話すと、ロンが頭を振った。

「いやあ、そんなんじゃないと思うよお。だいたいイレギュラーズを逮捕したこともあるけどよ。もっと分かり易く行動がおかしいんだよ」

「どういう?」

「ええと、同じ場所でグルグル回ってたりとかあ」

「よだれッキュ」

「そうそう、よだれが止まんないとかあ」

「ずっと、と言うわけではないので分かりにくいが、ノイズのせいで、日常を観察していると分かるレベルで、時間の経過と共に何らかの奇妙な行動に出る。また、知性の低下が見られる。我々も再生イレギュラーを疑ったが、少なくとも藍姫は、行動自体は常軌を逸しているとは言えないし、知性はすこぶる付で変わりなかった」

「そう、じゃあ違うのね」

「おそらくは」

「あ、そう言えば、J達がその姿になったのも、なんとかなんとかの機械のせい?」

「ケケケッ一言もあってねええ」

「トランチュエバーノーチョッキュ」

「クケケケ、言えてねええ」

「グッキュ…」

「おい、ロン、ウィルをいじめるな。そうだ、紅穂さすがに教授のお孫さんだな。我々は過去例のない実験に使われたようだ。人間の肉体から、動物の肉体に移れるかの実験に」

「何のために…?」

「分からん。関節や手の動きを、人間風に改造してある所を見ると、何らかの意図があったんだろう。あとは多分、大中小の個体差だな」

「Jとウィルが逆だったらウケる~」

「キュルッキュ」

 ロンの軽口を無視して、紅穂はJに聞いた。

「それで、その姿になって何してたの?」

「紅穂に会うまでの話かい?」

「とりあえず、ブルーフォレストは逃げたんよお」

「ブルーフォレスト?」

「ああ、俺たちが暮らしていた空中宮殿の総称だ」

「空中に浮いてるの?」

「そう。日本の太平洋側に浮いている」

「ええ?見たことも聞いたこともないよ?」

「まあ、空中宮殿自体、光学迷彩でカモフラージュしてあるし、レーダー透過装置を使っているからな」

「ほえええ。そうなんだ。それにしてもよく逃げれたよね。聞いてる限り、なんか、大変そう。それに目立つでしょ?他にその姿の人がいる訳じゃないよね?あ、野生に紛れた、とか?」

「半分あってんよ~」

 ロンが言い、Jが補足した。

「まあだいたい合ってる。空中宮殿の回廊で暴れたのは、別に怒りだけが理由じゃない。もちろん、それもあるにはあったが、それだけで暴れる程馬鹿じゃない。あの時暴れたのは、なるべく多くの耳目を集める必要があったからだ。ひとつには、その頃藍姫なり創家に違和感を覚えていたのは俺たちだけじゃなかったのを知っていたからで、あわよくば、そういう人達の協力によってあの場を突破できる可能性を考えた。これは失敗に終わった。ついで、考えたのは、遠巻きに見ているだけの連中の中に、知り合いがいれば、後でこっそりコンタクトを取ってくること。矢面には立ちたくないが、表に出なければ驚くほど協力的な連中はどの組織にもいる。実際、投げ飛ばした中にもかつての部下もいたしな。自分達の姿を見せつける人数を増やすことで、協力者が助けてくれる可能性をどんどん上げていたんだ」

「すげええ、J、そこまで考えてたのかよお」

「とってもスピアクル!」

「え、あんたたち知らなかったの?」

「知らねえ知らねえ。俺たちてっきりあのままブルーフォレストを逃げ出すつもりだと思ってたからよお。なあ、ウィル~」

「グッキュ~」

「ああ。私もそのつもりだったが、あそこまで手が早いとは思ってなくてな。失敗したよ」

「それで、協力者が現れたのね?」

「ああ、そうだ。投げ飛ばした戦闘部隊にかっての部下が居たと言ったろ?」

「えっ、でもみんなテレビに出てくる特殊部隊みたいに顔も見えなかったんじゃないの?」

「動きとか癖、体つきで分かんだよお。狭い世界だしよお」

 ロンが言った。

「そう。だいたい分かる。だから組み合った時に耳元で言ったんだ。手加減してやるから後で助けろよ、ってね」

「Jもやったんか。オレもやったあ」

「やったグッキョ!」

「まあ、みんな考えることは一緒でな。結果、この姿にされて独房に入れられている所を出してもらって、その後、遠巻きに見ていた研究センターの部下に付き添われて実験動物を装って脱出ポッドまで行った、って訳さ」

「いやいやいやいや。ちょっと質問いい?」

「何かな?」

「しれっと話してるけど、普通に変じゃない?」

「何がよお?」

「いや、だって急に人間の体からその体になって、びっくりしたりしなかったの?J達も、その、周りの人たちも?」

「ああ。それなあ」

 ロンがそう言ってJを見る。

 受けてJが答える。

「そういう理論があるのは知っていたし、その実験が極秘裏に行われているらしい噂を聞いていたからだ、と思う。再生の応用で、クローン体ではなく、別の体に意識を移すことが出来るかどうかの実験」

「じゃ、じゃあすぐに戻してもらえばよかったじゃん」

「いや、難しいだろう。俺たちにもいろいろな道徳的倫理的なルールはあるのに、反論と異議を唱えただけで有無を言わさずこんな姿にされちまった。狂ってる。だから、驚きや戸惑いは当然あったが、それ以上にヤバさも感じたんだ。それで、ある意味感覚がマヒしていた。それよりも、あのままあそこにいたら、元の姿に戻るどころか、何の実験に使われるか分かったもんじゃない、そういう気持ちが強かった。多分それは、傍で見ている他の連中も同じだったんだろう。だから比較的簡単に脱出出来たんだと思う」 


10

 J達は空中宮殿を脱出した後で、壬生沢教授を訪ね、協力を依頼した。

 どのみち、この姿では、他に選択肢もなかった。

 天井人の存在を知らない一般人に助けてもらう訳にはいかないし、事情を知っている地上人の一部を頼った所で、すぐに創家に通報されてお縄、である。

 その点、壬生沢博士は共に実験をする中で、その倫理観、人格に信用が置けた。

 かといってすぐに信用された訳ではない。ではないが、事実、J達の姿が動物に変えられていること、そして、ヒュプノクラウンの研究が地上で行われたこと、更に、神魔器が軍用に転嫁され、それが最悪の場合、地上で使われる可能性があることを必死に説得するJ達の言葉で、壬生沢博士も少しずつ事の重大さに気付いた様だった。いわく「もしお子さんや、お孫さんが、ヒュプノクラウンによって永遠に目覚めない眠りについてしまったらどうするのか?」

 壬生沢教授は家族を巻き込まないことを条件に、協力を約束した。

 そして、J、ロン、ウィルの三人は、教授の家の近くの隠れ家で、情報収集と作戦を練ることになったのである。

「なるほどお。でも、その間、ヒュプノクラウン、だっけ?研究されつくされて一度にみんな寝ちゃうようになったらどうするつもりだったの?」

「その点は心配いらなかった」

「えっ?なんで?」

「それは…」

「オデ達が持ってきたからだよお」

「グルッキュ~」

「えっ?そうなの?」

「んだよ。オデ達が拘束される日の朝に、Jが誰よりも早く出勤したのは、そのためだもんよお」

「え~!すごい!」

「褒めてけろお」

「はい?ロンじゃなくてJがそうしたんでしょ?」

「そうだけどよお。脱出ポッドを用意して、地上で隠れるために必要なものと、追跡に必要な道具を隠したのはオデとウィルだもんよお」

「グッキュ」

「そうなの?それで、安心して隠れてられたのね」

「まあ、安心してはいないがね。神魔器でも最大のパワーを持つヒュプノクラウンが持ち出された以上、藍姫も必死になって探すのは分かっていたし、情報を嗅ぎつけた他の創家が俺たちを探すことも考えられたからな。それでも、地上人が協力してくれてるとは思ってなかっただろう。大方、地上にある天井人用の基地や、他の創家の施設、または単に人目に触れない山間部にでも潜んでいると思って探していたと思う」

「まさか、こんな小娘に見つけられるとはよお」

「何よお!」

「喧嘩するなよ」

「グッキュ~」

「でも、なんかごめんね。隠れてるとこ…あたしが…」

「いや、いいんだ。どのみちそろそろ限界だった。作戦もあらかた練ったし、何となく藍姫が可笑しくなった理由も分かった。後は行動あるのみ、だったんだ。ましてや、唯一の協力者である壬生沢博士と連絡が付かなくなった以上、行動を起こすしかなかった。このままだとロンが…」

「J」

「ああ、すまん」

「何?ロンがどうかした?」

「何でもねえよお。オデ達も2、3週間以内にけりを着けに空中宮殿に行かなきゃないのは分かってたんだ。壬生沢博士が拉致されたってことは、また何か新しい神魔器が発見されて、それに無理やり協力させるつもりかもしれない、そう話し合ってもいたんだっけよお」

「そう。エマージェンシーが作動して、少し早まったが、隠れ家を脱出して、ファウンデーションまで移動すること自体は計画の一部だったから止むを得ない。ここは創家の持ち物で、第二次世界大戦の際には、部隊が駐留していたんだがここ70年は使われていない。以前、探索チームだったころ、こっそりサボって利用していたのが役に立った」

「そうなんだ…あたしのせいで、ここに来ちゃったって訳ね…ごめんね」

「気にするな」

「そうそう、紅のせいじゃないよお」

「ありがとう。それで、この後どうするの?」

「それなんだが…」

「オデ達の計画では、この後、ベルウェール伯爵の空中宮殿、アースウィンドウに言って協力を取り付ける予定だったべ」

「ベルウェールって、その、対抗する創家、だっけ?」

「んだ」

「協力してくれるの?取っ捕まったりしない?」

「おそらくは。表面上は協力し合う創家どうしの手前、俺たちも何度か伯爵には会ったことがある。直近、少なくとも5年前までは、青の一族と、根の民が創家筆頭争いで抜きんでていて、伯爵は言わば、常に第三の男。この状況を快くは思っていないはずだ。間違いなく、俺たちはお尋ね者扱いで指名手配されているだろうが、利に聡い伯爵のことだ。自分の利益になるとすれば協力してくれるはずだ」

「わたしは?いや、おじいちゃんはどうなるの?」

「壬生沢博士は、俺たちが救い出す。それも計画の一環だ。紅穂は…」

「連れてって!」

「いや、しかし…」

「お願い!ここまで聞いたら、最後まで見届けたいの!」

「紅穂…俺たちの姿を見てるだろう?捕まったら、最悪、実験に使われる。俺たちが言うのもなんだが、天井人は地上人の命や人生を歯牙にもかけないんだぞ?必要とあれば、天災も起こすし、戦争も起こす。君は危険性が分かってない」

「分かってる!ウソ!分かってないかも…でも…」

「Jよお」

「うん?」

「連れてってやった方が、逆に安心じゃねえ?」

「ロン」

「だってよお。まずここから紅穂をどうやって家に返すよお?ジェットボールは一方通行だろう?例のあれで日本に戻るのは、いいとして、そしたらもうここに戻って来れないんじゃねえ?それによお。紅穂を帰したところで、俺たちが捕まったら、ヒュプノクラウンがあいつらの手に渡っちまう。かといって、隠しておくわけにはいかないしよお。こうなったら、イチかバチかブルーフォレストまで突っ走って、藍姫をもう一度再生し直すしかないんじゃねえ?だいたい、ヒュプノクラウンを使えるのは…」

「分かってる。女性だけだ」

「だろう?なあ、ウィル、どう思うよお?」

「グッキュ~一緒に行くといいと思うスケアクロウ」

「いや、まあ、そうなんだよな。かといってここにこのまま隠れていてもらったところで、俺たちが戻って来れる可能性は」

「五分キュ?」

「もないな」

「じゃあ決まり!わたしも連れてって!役に立つよ!100m17秒で走れるし!」

「それって早いかあ?」

「うるさい!」

「そうと決まれば出発だ」

「了解!J隊長!よろしくね!」

「隊長と呼ばれたことはないが…分かった。約束してくれ。無茶はしないと」

「かしこまった!」

「じゃあ行くべえ…のんびりしてたけど、そろそろ行かないともうばれる頃だべえ?」

「もうばれてるッキュ~」

「ええっ?」

「何?」

「マジか~?!」

 ウィルが手元のタッチパネルを操作すると、スクリーンには戦争映画で見た、レーダーのようなものが映し出された。

 まん丸の中心に向かって、無数の光点が迫っている映像が、映し出された。  


 

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