第十一章 再生の青
紅穂…空とか水とか見てるとキレイなモノが生まれてくる気がする
壬生沢英智…青は藍より出でて藍より青し
1
空港の状況は伝わって来ない。
青の塔の内部では、許可のない一切の通信が掻き消されてしまうようだ。
幸でもあり不幸でもある。
次に目指すは片道の最終目的地99階。
藍姫の居る、御前である。
やることは分かっている。
後は前に進むだけ。
まずは、増田を70階に戻し、折り返しのエレベーターで70階から裏戸隠を全員引き上げ、80階で合流する予定だ。
2基のエレベーターを残し、残りを全て使用不能にする。セキュリティーの解除、プログラムの変更は、ウィルにかかればお手の物。
70階の人員を待っている間、各自が、装備の最終確認を始めた。
ここからの作戦で姿を見せる、J、茉莉花、裏戸隠の内6人は、光学迷彩蓑を脱ぎ、電磁バリアの装着と動作確認。その他は、蓑から顔を出し、麻酔銃のリロード、銃型スタンガンの充電確認。ロンは、「JETS」と書かれたスニーカーの紐を結びなおしていた。丸っこい体を更に丸くして、うんうん唸っている。紅穂は、ヒュプノクラウンとルベライトのペンダントを指先で交互に弄んでいたが、なんとなく、ルベライトのペンダントをポケットに仕舞った。
70階からエレベーターが戻って来た。作戦は頭に入っている。時間を無駄にせず、互いに頷き合うと、素早く二組に分かれて、エレベーターに乗り込み99のボタンを押す。
エレベーターのパネルの光がみるみるうちに上がっていく。デジタルの階数表示も、1秒経たずに変わっていく。
99階。
「行け!」
扉が薄っすら口を開ける前に、茉莉花が鋭く命令を下した。
エレベーター内に風が舞い、扉が開くのと同時に風は外に躍り出た。
光学迷彩の隠れ蓑を来た、裏戸隠が、エレベーターの左右に展開。
「なんだ貴様ら?!」
エレベーターの扉が開き切り、現れたJや茉莉花を見て、エレベーターホールにいた20人ばかりの青い軍服の中で、真ん中にいる口髭の男が叫んだ。略同時に、両サイドから順に、衛兵が床に崩れ落ちる。
何かは分からないが、何事かが起こっているのを察した口髭の男が、腰のホルスターから銃を抜き、姿の見えているJに向けた瞬間、茉莉花が正面から抜き打ちで麻酔を仕込んだニードルガンの引き金を絞った。
最後の一人が倒れ、エレベーターホールは味方のみ。
ウィルが手早く、乗って来たエレベーターのプログラムを書き換える。
30秒ほど待って、処理が終わった。
エレベーターの扉が閉じた。
これで、後は99階でボタンを押すまで、エレベーターは使えない。
残るは。
全員が、真っすぐに延びる廊下の先を見る。
目指す場所の、青く、大きな扉は、キラキラと誘うように輝いていた。
紅穂の家の屋根より高い。幅は、一枚で車一台分ほどもある。
駆け足で扉の前を目指す。
辿り着いた先で、Jが扉の真ん中で立ち止まると、左側一面を占めるガラス窓から差し込んだ稲光がその後姿を照らした。
意を決したように頷くと、Jが両方の取っ手に手をかけた。
2
扉が手前に引かれると、「御前」の景色が広がっていく。
100メートルはある青く光る床の先に、30段ほどの階段があり、その先に踊り場、更に階段、踊り場、階段と続いている。「御前の間」の両脇は、単なる壁ではなく、すべて、大きく格子の入ったガラスだった。
手前の空間に大勢の衛兵が待ち構えていた。
100人は居る。
その先の二つの踊り場にも、それぞれ50人ぐらい。
そして、最奥、階段を上がり切ったその先に、慈愛に満ちた表情で、まるで全てを抱きしめるかの様に両手を広げた女神像。その足元に、周囲の床から数段高くなった台座があり、3人は余裕で座れそうな背もたれの高い長椅子があった。
紅穂達の視線の先で、その椅子に、遠目にも、なおかつ採光性の高いガラスの壁とは言え、曇天で薄暗さを感じるにも関わらず、滑らかな光沢を放つ、青い髪を持つ女性が座っていた。
その左に、少し離れて小柄な男が一人。右に、もう少し離れて、男が一人。
「御前」の最奥、一番高い場所に座る青い髪の女性。
誰に言われるまでもない。
藍姫だ。
御前の間の兵士たちは、音もなく、銃を構えた。
茉莉花が唇だけを動かした。
空気が動いた。
「階段の下から失礼致します!お久しぶりです!藍姫!」
Jが向けられてる銃口を物ともせず堂々と前に進んだ。
紅穂は姿を隠したまま、見えないモフモフした手に手を引かれて、左のガラス面に向かう。
藍姫の前に居る男の内、小柄な方が口を開きかけた。
藍姫がそれを遮った。
「久しぶりだと?わらわにしゃべる犬の知り合いなどおらぬ」
その声は、鈴の様に美しく響いたが、御前の間同様、どこか寒々としていた。
「申し訳ございません。少し姿が変わってしまいました。名乗ればお分かり頂けますでしょうか?七川目です」
「七川目?貴様、逐電したと聞いたが。何をのこのこ。呼んでおらぬ。立ち去れ」「失礼ながら藍姫。ご無礼を承知で申し上げますが、それは嘘です。藍姫は騙されておられます」
「騙されている?わらわが?誰が創家の主たるわらわを騙すというのか。冗談を申すな。無礼にもほどがある。下がれ」
「いいえ、下がりません。お聞き下さい」
「聞かぬ。七川目。お前の横にいる女は誰じゃ?水神衆の女ではないか。聞けば水神衆がブルーフォレストで暴れているという。大方、水神に唆されて参ったのであろう。この裏切り者めが。よい、この者達を…」
「お聞きください!我らを捕縛するなら、それからでも遅くはない!」
Jの声は、稲光と共に力強く響いた。
立ち上がりかけていた藍姫が、椅子に座り直し、脚を組んで顎を手の甲に乗せた。
青い薄手の衣から覗く白い足も二の腕も、あまりに妖艶だった。
「3分。それ以上はやらぬ」
Jがふふっと笑った。
「相変わらず3分なのですね。話が面白ければもう少し時間を頂けますか?」
「面白ければな」
「そこもお変わりない」
「早く申せ」
「姫。最近体調にお変わりありませんか?例えば頭痛とか」
「…ある。頭痛がする。それがどうした」
「例え話です。ある創家で実験が行われました。仮に、その創家をシルバーとしましょう。シルバーで行われたのは、我々が定期的に行う再生に纏わる、禁断の実験です。それは、天井人の再生に、別の誰かのDNAを混ぜることで、一人の体に2つの意識を植え付ける実験でした。その実験の最初の被験者には、別の創家、そう、仮にブルーとします。ブルーの探索チームの一員である、Kが使われました。これだけでも、許しがたい行為です。他の創家の一員を、無断で再生にかける、しかも実験的な再生にかけるなど。あるいは、誰かしらの許可があったかもしれません。権力のある、誰かのね。ともかく、その禁断の再生は実行されました。しかし、それは、序章に過ぎなかった。シルバーの創家の狙いは、ブルーの創家の主である、女性にあったのです」
「シルバーだのブルーだのまどろっこしい。銀狐がわらわに何か仕掛けただと?ありえん」
「続けてもよろしいでしょうか?」
藍姫は、首を鳴らした。
「シルバーは、ブルーの内部にいる裏切り者を使って、そのブルーの主の再生にイレギュラーを仕込みました。そして、イエローの創家に対抗するべく、神魔器の軍事的転用研究をするように働きかけた」
「ありえん。証拠がない」
「頭痛です」
「頭痛?」
「姫。頭痛がだんだん酷くなってきていませんか?思考がまとまらないほど。先ほど申し上げた、最初にシルバーに実験に使われたKも、頭痛が酷くなっていた。立っているのがやっとの程にね。そこは、個人差があるかも知れません。元の精神の強さ。さすがは姫、といったところでしょう」
「くだらん。頭痛など…証拠にならん」
「そうでしょうか?失礼ながら、私の知る限り、姫は頭痛もちではない。創家の主らしく、全く持って健康体。よしんば、頭痛があったとしても、青の一族の医療技術であれば、すぐに改善される。医者に診てもらいましたか?見てもらったはずです。それでも治らないのでしょう?」
「…」
「更に、我々が証拠だと申し上げたと思います。私をこういう姿にした誰かが居ます。私の部下も同様に実験に使われた。その内の一人は、酷い頭痛に悩まされています」
「七川目。仮にお前の言う通りだとして、何が狙いだと言うのだ?」
「はい。シルバーの創家の主は、ブルーとイエローの相撃ちにより、漁夫の利を得ること。ブルーの創家の幹部の狙いは、ブルーの創家の主にとって代わり、その権益を欲しいままにすること」
「矛盾してないか?」
「はい。いずれ、狐とタヌキの騙し合い。あるいは、案外、ブルーの創家の幹部も騙されているのかも知れません…」
「うるさい!」
藍姫とJの会話に小柄な男が横槍を入れた。
「黙れ田丸!話が聞こえん!」
藍姫が田丸を一喝した。田丸は小刻みに震えると一歩下がった。
「七川目。話は面白い。久しぶりに見たお主の姿もな。だが、仮にそうだとして、わらわには何の影響もない」
「果たしてそうでしょうか?頭痛がするのでしょう?」
「頭痛ごとき、何のこともない。そして、わらわは藍姫。他の何者もの影響も受けん。わらわを使い、青の一族と根の民の間に騒乱を起こさせるつもりだと言ったな?」
「はい」
「そんなことはしない。わらわが神魔器の軍事的転用研究を命じたのは、そんなことのためではない」
「それでは?何故?」
「地上人のためじゃ」
「地上人のために軍事的転用を?」
「そうじゃ。見ろ。近年再び地上に緊張が漲っておる。技術は進歩し、文明は発達し続けている。だが、その精神はどうじゃ?文明が発達すればするほど、乱れに乱れ、醜く成り果てている。富は独占され、富める者はますます富み、権力者がその意のままに振る舞い、誰も他者を顧みない。貧しいことは悪とされ、金が無くては何も出来ない。本来、それを救うべき存在の国家は、権力争いと経済争いに明け暮れ、社会システムは弱者救済ではなく、民衆の自由を奪い、牙を抜くことを主として、権力者に都合のいい様に構築されつつある。権力を持った者は、須らく権力を盾に、いや、矛に、他人を自分の意のままに扱おうとする。文明の発達に対して、人間の精神は未熟過ぎる。2百年前のフランス革命時と、さほど変わらぬ。人々は希望を失い、レールから外れたものは、再び這い上がることすら難しい。希望を失い、人は人であることから逃げようとしている。それが、人口の減少を生み出している。七川目。お前だったら、苦しいだけの世界で、子供を産みたいと思うか?」
「私には…分かりません。私は天井人ですから。しかし、思うことはあります。そういう世の中に、希望の光を灯すのが、我々の役目ではないのですか?」
「そうかも知れん。そうでないかも知れん。わらわの考えはこうじゃ。まず、第三エリアの地上人を全員眠らせる。そして、いずれは全地球の地上人を全員眠らせて、文明を再構築し直す」
「再構築、とは?」
「知れたこと。人口を大きく減らす。今の3割、いや、2割だな。そこまで減らして、人口を抑制する。その上で、地上に積極的に介入し、文明の発達を緩やかにする。早すぎる文明の発達は、死を招くのだ。人は自らのスピードについて行けなくなっている」
「そんな!我々は神ではない!地上の安寧に、持てる全ての技術を使うべきだ!私の知り合いの地上人が言っていました。闇を見つめるのではなく、闇の中に光を探すのだ、と。私はそれに大いに共感します。全ての人間が悪ではない。時代や、文明の発達に悲しみや悪があるのではない!一人一人の人生にこそ、悲しみや悪が潜んでいるのです!もっと個を見つめ、すべての人間が、人間らしく生きられる様に、多くの人間が取り組む世界にするべきです!」
藍姫は、脚を組み替えた。稲光が、素足を白く浮き上がらせる。
「無理だ。基本的に地上人は愚かなのだ。自分自身の価値観に凝り固まり、他者の心情に寄り添うことをしない。こうであるべきを、自らの経験のみで語り、それを他者に押し付ける。よかれ、と思ってな。それでは、問題は解決できぬ」
「姫。それは、姫も同じではないですか?」
「なんと?」
「姫はこうであるべきを自らの視点で語り、私の見て来た心優しい地上人のことを知ろうとはしない。何が違うのです?愚かな権力者達と?それでは、誰も救えない。こうであるべきを一方的に押し付ける権力者は、それで誰かを救おうとしているのではない。自分を救いたいだけなんです。なぜなら、人は一人一人、別の意志がある」
「ふん。だとしても、愚か物は従うしかない。それが宿命だ」
「姫の言う愚かとは、力が無い者のことですか?あるいは、力があっても優しさがない者のことですか?」
「どちらも愚か者よ。地上は腐臭がする。今の流れを止めなくてはならぬ。それが創家の務めだ」
「それでも、地上の闇にはまだ光がある!希望という光がある!希望は赤く燃える永遠の炎なのです!その火を消してはいけない!」
「黙れ!もう良い!誰の考えでもない!わらわはわらわの意志で、地上に眠りをもたらす!黙って、ヒュプノクラウンを寄越せ!さもなくば消去する!」
大声で全ての意志を打ち消した後、藍姫は白く透き通る手首に巻いた時計を見て立ち上がった。
「3分どころではなかった。話は面白かったが、これ以上は無意味だろう。者共、反逆者を捕縛せよ!」
藍姫が右手を挙げた。
「七川目の旦那」
「ああ。話し合いになれば、と思ったが。やむを得ない。藍姫を拘束する」
階段下の兵士たちがゆっくり迫って来た。
茉莉花は慌てず、右手を挙げて振り下ろした。
「掛かれ!」
途端、手前の踊り場の兵士が、バタバタと倒れた。
急に背後で異変が起き、階段下に居る兵士達に動揺が走る。
「あ、慌てるな!近衛兵、藍姫と俺を囲め!親衛隊、七川目と水神衆を捕獲しろ!かかれ!かかれ!」
田丸が甲高い声で叫ぶ。
階下に居並ぶ親衛隊が、体勢を立て直すとJと茉莉花に殺到して来た。左右の裏戸隠が麻酔銃仕様のニードルガンを連射する。数の論理。Jと茉莉花を合わせて8人に対して、100人が殺到しては、捌ききれない。Jと茉莉花まで20メートル、15メートル、10メートル、5メートル。
「何をしている!さっさと捕縛せんか!」
田丸の激が走る。
踊り場の近衛兵は、数を減らしているが、重装備のため、麻酔銃が効果的ではないようで、勘のいい者が何もない空間に発砲している。光学迷彩は防弾仕様ではない。必然、藍姫を狙った裏戸隠も、弾幕を恐れ身動き取れず足踏み状態だ。
最初に異変に気付いたのは、親衛隊の最前列だった。目の前に捕縛対象者がいる。のに。進めない。目に見えない壁がある。
「おい、何してんだよ。進めよ」
「いや、小隊長。それが…」
「どけ!」
親衛隊右翼の第一小隊長が、前に進む。Jまで5メートル。柔らかな空気の壁に押し戻された。
「こ、これは…」
「実用化に成功したんだ。エアカーテンならぬエアウォール。君達は前に進めない」
Jが言った。
「いつの間に?!」
「俺の部下に優秀な奴がいてね。佐々堂って言うんだけど。俺が藍姫と話している間に、結界を張ったんだ。30分は持つ。悪く思うな。俺は正しいことをしているつもりなんだ」
「き、貴様!」
Jは悔しがる親衛隊を無視して大声を放った。
「親衛隊は無力化しました!大人しくこちらの指示に従って下さい!」
「ちっ!青山!応援を呼べ!」
藍姫が年かさの叔父に命令した。
「む、無理です…通信が阻害されています…」
「馬鹿か?エレベーター脇の階段を使え!」
「はっ、しかし…」
「早くしろ!」
藍姫の有無を言わさぬ口調に、青山が慌てて階段を降りる。
途中、踊り場で急にのけぞると、その場に崩れ落ちた。
「構わん!射殺しろ!」
今度は田丸が叫ぶ。
親衛隊が銃を構え、射撃を開始した。実弾である。それらは、全て、エアウォールで失速し、落ちた。
「無理です!弾が、通りません!」
「近衛兵!階段上から射撃!壁には高さがあるはずだ!」
藍姫が叫んだ。
「裏戸隠!第二幕!」
茉莉花が声を押し返す。
階段の踊り場で白煙が発生し、当たりは煙に包まれた。
「駄目です!狙撃対象が見えません!味方に当たります!」
「構わん!撃て!」
白煙に咽ながら田丸が叫んだ。
「そ、それは…」
「なんだ?貴様、逆らうのか!」
「拒否します!」
近衛兵の一人が、銃を足元に放り投げた。近衛兵達はお互いに顔を見合わせ、右に倣った。
「き、貴様ら~!憶えておけよ!親衛隊!階段上まで戻れ!そいつらはいい。いずれにしろ逃げ場はない!時間を稼ぐ!藍姫を守れ!」
前に進めず、射撃も出来ずにいた親衛隊が、階段に走る。だが、煙がある。必然、戻りは早くない。
「ロン!ウィル!紅穂!聞こえるか!親衛隊が戻る!その前に藍姫を眠らせるんだ!」
紅穂は無言で頷いた。煙で何も見えない中、右のガラス面に沿って移動する。右手は、モコモコした小さな手、左手は、より小さな手に導かれて。
藍姫の左手側に出る。そこは視界はいくらかましだった。
引かれるスピードが速くなり、離れた。一瞬、不安に襲われるが、自分のやるべきことを思い出す。両手で光学迷彩の隠れ蓑の内ボタンを外し、フードを上げ、胸元のペンダントを握りしめる。まだ、遠い。あと少し!
視界の真ん中、横顔の藍姫は、この世の者とも思われぬほど美しく、美しいが悲し気で、そして憂いを帯びていた。藍姫の横顔が、スローモーションで、こちらを向く。
「なんだ!お前たち!?」
藍姫の叫びに、田丸が気づき、走り寄ると、藍姫の前に立ちはだかりはせず、横に立った。
胸元から何かを取り出す。
藍姫まであと5メートル。
バッ、バッ。
紅穂の前に、ふたつの塊が現れた。
右の一体はコアラグマ。いいとこ100センチぐらい。もう一体はクワッカワラビー。いいとこ30センチ。足が短いのに、異様に速いな。在りし日の姿を見たせいか。まるで紅穂を守る騎士の様に走る2人は、小さいのに頼もしかった。
一瞬外した視線を、藍姫に戻す。
藍姫と目が合う。
驚いていなかった。
ただ、不思議そうに首を傾げた。
「止まれ!」
田丸の声がする。田丸は、胸元から拳銃を取り出し、すでに紅穂に向けていた。やだ、あたし狙われてる。これもまた、スローモーションで、田丸が引き金を絞った。
「紅!頼んだ!」
「グッキュ~!」
ロンとウィルが叫ぶと、前傾姿勢になり、履いている靴の側面を指で押した。
パン!パン!
花火の時、爆竹を鳴らした様な音が響いた。
一瞬、止まりかける。
目の前に影。この青い毛並み。
「ロ…」
青い塊が、空中で何かにぶつかったように静止した。
視界の隅で、白い塊が、塊ごと田丸にぶつかった。
田丸が後ろに倒れこむ。
紅穂は正面の青い塊を抱え込んだ。
手が濡れる。濡れた手を見る。赤い。
「ロン!」
「イデデ!」
「やだ!死なないで!死なないよね?」
紅穂はロンを抱きしめた。
「バカッ!」
頬が叩かれた。涙が出て来た。
「バカッ、って!何すんの?!」
「バカだからバカッって言ったんだ!早く藍姫を眠らせろ!ここで終わらせなきゃ、全部無意味になっちまうんだよ!行け!紅!今泣いたら、オデはお前を嫌いになるぞ!」
嫌だ。くそ。やってやる。紅穂はロンを床に置くと、藍姫に駆け寄った。
藍姫は、頭を抱えて、座り込んでいた。
彼女も。
苦しいのだろう。
紅穂は藍姫の横に静かに膝を着くと、その肩を触った。
藍姫が顔を上げる。
目には大粒の涙が浮かんでいた。
紅穂の目から、涙が零れ落ちた。
リンクする様に、藍姫の両目から、涙が零れた。
紅穂は、コニーのことを、おじいちゃんのことを思った。
「わ、わらわは…いつも誰かに…助けてもらいたかった…それが…こんな…頭が…」
紅穂は黙って、そっと抱きしめた。そうするべきだと思った。
暖かい。
青い衣を身にまとい、この寒々とした空間で、冷たい言葉を吐き出していた美しい女性の体は、しっかりと暖かかった。
少し、ほんの少しだけそうした後、紅穂は体を離し、藍姫の左手を握ったまま、右手でヒュプノクラウンを握りしめた。
再び目が合う。紅穂は、精一杯優しく見えるように、心を込めて微笑んだ。
藍姫が泣き顔のまま微笑んだ。
そして、ゆっくりと眠りについた。
雨は止み、雲は去り、空には青空が広がっていた。
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