第八章 スカルムーシュの舞 ②
3
「おおう!遅えじゃねえか!先に食っちまってるぞ!」
「遅いよお」
長話のせいか、ロンが先に来ていたようだ。
檀衛門と、堀切川、ロンがご飯を食べている。
昨日と同じ部屋の大きなちゃぶ台の上には美味しそうな匂いのする朝ご飯が並んでいた。
紅穂はなんとなく、ロンを直視できず、少し離れた席に座った。
伏せられたご飯茶碗と、稀に見るでっぷりした鮭の切り身。パリパリと音がしそうな海苔が、扇状に乗った小皿。大根おろしと鰹節が乗った、ほうれん草のお浸し。ナスと味噌を炒めて和えたものに大葉が乗っている。紅穂は遠慮なく、味噌汁の椀の蓋を開ける。中から湯気と共にお出しの香りが広がった。海老のお吸い物。殻は軽く炙ってあるようだ。
堀切川が促し、各自から茶碗を受け取ると、ご飯を盛ってくれた。
「よおし!食え食え!食わねえと始まらねえからよ!食いながら相談といこうや!」
小学生の頃までは、家族みんなで食卓を囲む、なんてこともあったが、ここ最近はあまりなかった。紅穂はこういうのいいなあ、と思った。今だけ、かもしれないけど。何だか、無性に家族に会いたくなった。
しばらく、黙々とご飯を食べる。
結局、話が始まったのは、ご飯を食べ終わって、お茶が出されてからだった。
今朝はほうじ茶。
冷房が効いているから、むしろ有難い。
「んで、話は見えたのかい?」
檀衛門がJに聞く。
「ええ、まあ仮説ですが、それなりにリンクは繋がった、と思います」
「聞かせてくれ」
「はい」
悪魔で仮説ですが、と再度言ってJは話し始めた。
卵が先か、鶏が先か。中国中央エリア管区の目覚ましい発展が先か、エリア担当の根の民の発展が先か。100年前までは、五島藍姫率いる「青の一族」とベルウェール伯爵率いる「銀狐ファミリー」によって持ち回りの様に選出されていた第三エリアの創家筆頭の地位に、いつしか龍黄弦率いる「根の民」が絡んでくるようになった。むろん、1000年2000年の歴史を紐解けば、不思議ではない。広大なエリアと人脈を要する彼の創家である。
むしろ、必然。だが、その必然を、ベルウェール伯爵が面白くなく思うのもまた、必然。飄々としているように見せて、プライドの高いベルウェール伯爵が何か企んでも可笑しくない。
しかし、策士である彼は、自ら矢面に立って正々堂々戦うとは考え難い。そこで、悲しみコニーを抱き込み、青の一族に神魔器を流し、それを軍事転用することで、根の民の力を削ごうとしたのではないか。そう考えると、伯爵とコニーの関係性、コニーがどこからともなく手に入れて来た神魔器の出所について、説明がつく。
「なるほど。だけどそれだけだと弱くねえか?一番の問題ごとの、藍姫が変わっちまった、ってのにはよお」
檀衛門がぎょろり、と目を動かして言った。
Jが頷く。
ロンが言った。
「叔父貴よお。オデ、今のJの話聞いてて思い出したんだけどよお。コニーも変わっちまったんだよお」
「グッキュ」
「そうなのかい?なんちゃらだか、コニーだかも、変わっちまったのかい?」
茉莉花が言うと、班目と堀切川が同時に「神室川」と言った。
「そうだんです。我々は姿が変わった。だが、藍姫とコニーは、どうにも中身が変わったんです。それを俺たちは、コニーの慢心ゆえ、と考えた。しかし、よく考えると、慢心にしても変わり過ぎな気がするんです。小心者でしたし、あそこまで狡猾に大胆なことが出来る男でもなかった」
「んだよお」
「じゃあ、なにかい。狐の野郎が裏で糸引いて、コニーとかいうやつを変えちまって、その勢いで藍姫も変えちまった、って話かい?」
「ざっくり言うと」
「にしてもよお。そんなこと可能かい?コニーやらはともかく、藍姫は厳重に守られてるだろうが。しかも、どうやって天井人の人格を変えるってんだよ?」
「そうですね。だから、事はそう簡単ではない、そう考えました。人格を変える話は後で説明差し上げるとして、五島家の幹部に少なくとも、もう一人は協力者が必要だ、そう思いました」
「誰よ?」
「家令の田丸です」
「そんなはずはねえ、とは言えねえな」
「そうです。田丸は藍姫を快く思ってはいない。五島家の、青の一族のトップは自分にこそ相応しいと自惚れている男です」
「カリスマの欠片もねえのによお」
「グッ」
「ふん。じゃあ七川目、おめえ、家令の田丸が黒幕だってんだな?」
「いえ、違います」
「じゃあおめえ」
「黒幕の一人、です」
「じゃあベルウェールか?」
「それも、一人です」
「なんだ?!まだ他にいんのかよ?!」
「おそらく。それに気づいたのは、ベルウェール伯爵とコニーの線が繋がってからです。俺たちは5年間、壬生沢博士の隠れ家で調査を続けました。それまでは第三エリアでの事例を当たっていたのですが、ある日、ウィルが教えてくれた資料が、おそらく人格の変質についての答えだと思います。ウィルはふと思い立って、第二エリアの資料を当たってみたそうです。それは…」
200年前。第二エリアの第4管区。地上で言うフランスの辺りを管轄している創家で、禁断の実験をした天井人がいたらしい。その名は、ルイ・アントワーヌ・ド・サン・ジェスト。「社会は粛清されなければならない。粛清を妨げるものは社会の腐敗を欲する者であり、社会を腐敗させるものは、社会の破滅を欲する者なのだ」と言う発言で有名なフランス革命の一翼。またの名を「死の大天使長」。彼は、地上に置いては革命の主導者の一人であり、創家においては統治管区の民主化担当者だったが、その急進的な手法を咎める同僚を強制的に眠らせて、ある手法を用いて、トランスエバーノートにかけ、その人格を転向し、革命に従事させたと言う。
トランスエバーノート自体は、今更説明するまでもなく、あらゆる創家で使われている「再生」専用マシーン。二つのポッドの片側に、古い体、もう一方に12歳まで成長させたクローン体を入れ、再生液と呼ばれる特殊溶液を満たし、再生を開始する。
再生が開始されると、旧体の方は溶液に溶かされ、予め設定されている通り、必要な情報を新体に送り込む。
サン・ジェストは、古い体の入ったポッドの溶液に、再生対象者とは別の人間(地上人)の脳の一部(海馬周辺)を切り入れる事で、再生後の人格に、故意にノイズを起こしていた、という。
神魔器の使い方は分かるが、仕組みについては不明確な物も多い。
ましてや「再生」という生命活動を根本的に左右する物については、三千年前のシステム確立以来、怖くて誰も触れない領域。それ故、はっきりした理由は分からないが、何故か、再生すべき本体の情報より、海馬のみ投入したはずの記憶の方が、優先されて「再生」されてしまうらしい。
サン・ジェストがそれに気づいていたのか、はたまた偶然か。
今となっては確かめようがない。
彼は、その独断と、同僚の天井人(30人にも及ぶ)の「不良再生」、神魔器の持ち出しにより、その罪を問われ、結果的に第二エリア創家の暗殺部隊により、デリートされてしまったからである。ちなみに、その遺体は、一度埋葬された後で、再度、別の場所に埋葬されている。一説では、その頭部が行方不明だともされている。
「古い資料ですし、他のエリアの不祥事。これ以上詳しい情報は、見つからなかったのですが、おそらく、この事件を知っている誰かが仕組んだことではないか、そういう仮説です」
Jが言うと、檀衛門はムフウ、と体ごと息を吐いた。
「藍姫が変わっちまったのは、それが原因、て訳か。怖えな、おい。確かに黒幕も何人か必要だな。そんな大それたこと、一人二人じゃ出来るはずもねえ。しかし、七川目、これがベルウェールとどう関係があるよ?」
「お忘れですか?『銀狐ファミリー』は、第二エリアの最有力創家『霧の王家』の縁戚に当たるとされ、彼の国の囚人を受け入れていたことを」
「あっ!」
全員が驚きの声を上げた。
「じゃあ、そのつながりでサンなんちゃらのやり方を仕入れた、って訳か?」
「おそらく。もっと深読みして考えれば、実はサン・ジェストはフランス革命では殺されておらず、ベルウェール伯爵の元に護送され、あらゆる手法を用いて自白させられたか、或いは、頭部だけ送られて、保存されていたか。その可能性はあると思います。藍姫は、神魔器の軍事転用を研究し始めた。これは、明らか生命に対してダメージを与えることを狙った行為。それは、創家かも知れませんし、地上への粛清、かも知れません。その思想は…」
「サン・ジェスト」
班目と堀切川が同時に応えた。
4
少しやることがある。
朝ご飯の後の衝撃的な(壮大な)話の後、檀衛門がそう言って、午後にまた、集まることになった。
その場には、班目と堀切川が残り、茉莉花が水神の館(龍の洞穴)を案内してくれると言う。
Jは、寝ないと持たない、と言って自室へ引き上げた。
紅穂は、ロン、ウィルをお供に、茉莉花に連れられて、館内を散策することにした。
龍の洞穴は、縦12層、横に円環上に7つの区画で84区画。
最下層の一番小さい輪っかが、親方の部屋で、上の6層が軍事、執務、貯蔵、管理監視、商業、製造エリアになっている。
下6層は、大部分が居住区で、一部食料生産エリアと、娯楽エリアが散在している。
紅穂達は、第7層の第一円環、海底公園に来ていた。
「うわあ!すっごーい!」
海底公園は、周囲360度ぐるりだけでなく、上下も完全に水中を映し出している。
本物なのだろうか、薄いブルーの光の中で、右側では魚の群れが一匹の大きな魚の様に規則正しく動き、頭上では、エイやサメが泳いでいる。左側のスクリーンが少し暗くなったと思ったら、大きなクジラが、おおおおおんという響く鳴き声と共に尻尾を上下させてのっそりと現れた。エレベーターの通っている筒ですら、画像で加工されているのだろう。完全に海中を歩いているような気分になる。
「どうだい?なかなかのもんだろ?」
茉莉花が胸を張った。
海底公園の中には、洞窟のようなトンネルや、所々に海底の岩を模した場所があり、そこには、椅子やベンチ、パラソルとテーブルが置かれ、控えめにライトアップされている。
その内のひとつ、岩とダミーの昆布(紅穂の身長ぐらい)に囲まれた場所に腰を落とした。
「ちょっと待ってな」
茉莉花はそう言って、近くのスタンドに向かった。
どうやら飲食物も売っているようだ。
茉莉花が両手でトレーを持って戻って来た。
「はいどうぞ」
言って、テーブルに置く。
「ありがとうございます」
礼を言う。
トレーの上には、飲み物が入ったコップが4つと、四角いバケット。バケットには、ポテトと何かの揚げ物が入っていて、横にタルタルソースが添えてある。
「イモだイモ!あとサカナだサカナ!」
ロンが騒ぐ。
「フィッシュ&チップスって言いなよ」
茉莉花が呆れたように言った。これが噂のフィッシュ&チップスか。紅穂は噂には聞いたことがあったが、まだ食べたことはなかった。
「飲み物は適当に買ってきちゃった。特製のトロピカルジュース。お茶ばっかりで飽きたでしょ?飲んで飲んで」
そんなことは、と言いつつ飲むと、舌が茉莉花の意見を肯定した見解を伝えて来た。甘い、けど、甘すぎない、ココナッツとか、マンゴーとか、フルーツの味がしっかりしているけど、喉に全く絡まないすっきりした飲み口。しかもこれは…タピオカ入りじゃん!ブルーのほんのり甘い、もちもちしたタピオカと、少し小さめで半透明なプチプチしたタピオカの2種類が入っている。感動した。そして優しい甘さに癒された。
横では、ロンがハグハグと、ウィルがカリカリと、ポテトを食べている。
茉莉花がフィッシュフライを摘まんで口に放り込み、紙おしぼりで手を拭き拭いて、ロンに話しかけた。
「ロン、あんた体大丈夫なの?」
「あん?ああ、大丈夫だよお」
暑いのかハフハフ言いながら話すので、「ライジョウフダロオ」としか聞こえない。
「そ。ならいいけど」
茉莉花が肩を竦める。
「でも、今日の朝医務室行ったんでしょ?」
言いながら、紅穂もフィッシュフライを一本手に取った。ちょっと迷ってタルタルを付けて、齧る。なにこれ、美味しい。思わず噛み切った断面を見る。揚げたてで、湯気が立っている。白身だが、繊維がみっしりとしていて、鳥のささ身のような噛み応え。じんわり染み出ている油は、臭みのない旨味。食べる端から唾液が出る。これは、ハマる。
「おお。行ったよお。チューブ2本もらってきたよお」
ロンが紅穂に答える。
「2本?足りんの?」
茉莉花が聞く。
「足りるも足りねえもよお。2本しかなかったんだよお。聞いたらよお。青の医療品の流通が、ここ2か月滞ってるらしいのよお。多分、俺たちのせいなあ。それによお。どうせあと2、3日以内には蹴りつけなきゃなんねえだろおしよお」
「えっ?そんなにすぐに?」
紅穂が驚く。フィッシュフライは2本目だ。
「えっ、ってよお。紅穂が驚くことかよお。紅穂は早く帰りてえだろお?」
「そりゃ、そうだけど…」
「2、3日ってのはどうだろううねえ?」
茉莉花が顎を擦り擦り言った。
「マツリよお。そこしかチャンスはねえよお」
「グルッキュ」
ロンとウィルの意見に、茉莉花が聞き返す。
「どういうこと?」
「今よお。5年ぶりにオデたちが現れてよお、そのチャンスをあいつらが逃す訳ねえ。ましてやよお、根の連中や、銀の連中も出張ってきちまったしよお。こうなりゃ、早い物勝ちになるよお。ここでじっとしてたら、すぐに見つかるし、そうなりゃ叔父貴やマツリにも迷惑掛かけることになるしよお。やつら、多分、地上のあらゆる所探してるからよお。逆に、ブルーフォレストは手薄だろうしよお」
「ああ。そう言われればそうだね」
「それによお…」
ロンはハグハグしてたポテトを、口元から話した。何やら言いにくそうにして、紅穂をチラリ、と見る。
「何?あたしなんか変?あっ、タルタル付いてる?」
紅穂は慌てて口元を拭う。
「タルタルは付いてるけどよお、そうじゃねえよお。オデ達が伯爵を味方に出来ると思ってたのが間違ってたんだけどよお。そのせいで、紅穂の存在が相手にバレちまってるのが、問題だと思ってんだよお」
「あっ」
茉莉花が口元を抑えた。
「グルッキュ~」
ウィルが悲し気な声を上げる。
「えっ?どういうこと?」
紅穂はピンとこない。
「それは…言いにくいけど…紅穂ちゃんの家族が危険にさらされるかも知れない、そういうことよね?」
茉莉花がロンの代わりに答えた。
「そういうことだよお。それによお、壬生沢教授はもう捕まってるからよお。こっちにその孫がいると知れた以上、出てこないと壬生沢教授を殺すとか言われたらよお」
「ええっ?!なんで?そんなすぐに殺しちゃうとかウソでしょ?」
紅穂は思わず大声を出した。
通りすがりの水神衆がこちらを見る。
「ごめんなさい」
紅穂は両手を膝の上に置いた。急に食欲が無くなった。
「グッキュ~」
ウィルが紅穂の膝の上の手に、そっと小さな手を置く。
ロンが続けた。
「そんな簡単には殺さない、よお。ただ、そう言われたら、オデ達は、Jは、出て行かなきゃなんねえ。そういう話だよお」
「脅し、ね」と茉莉花。
「そうだよお」とロンは言い、更に続けた。
「そでによお。オデもそうだけど、Jもウィルも、この姿では、もう限界何だと思うんだよお。隠れ家にいた時もそろそろアビねえとは思ってたけどよお。動き回ったせいか、症状が進行してる気がすんだよお」
「グッキュ」
「なあ、ウィル。多分Jも同じこと考えてる気がするよお。だから、今、寝てんじゃねえかなあ。午後になったら、一気に作戦を立てるつもりでよお」
「グッキュ。グッキュ」
「まあ、あんたらが言うなら、そうかも知れないねえ。紅穂ちゃん、そう心配しないで。ウチラも一応は創家だから。いざとなったら家族ごと守るよ」
茉莉花が優しく言って、紅穂の髪を撫でた。
紅穂は下を向いたまま、コクリと頷いた。
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