第八章 スカルムーシュの舞 ①

紅穂…歴史勉強しとけばよかった

壬生沢英智…過去にあるのは教訓だけじゃない。未来を創る力だ


 自分の声で目を覚ます。

 見知らぬ景色、あるいは見知らぬシーツの手触りを感じる。

 途端、世界で自分が一人ぼっちな気分になる。

 頬が冷たい。

 悲しい夢を見ていたみたい。走る電車の中。Jが居て、ロンが居て、ウィルが居て。見えてはいないけど、他に茉莉花や班目達が居るのも分かっている。乗客は紅穂達だけで、他にはいない。淡い光の中を電車が走る。紅穂達の乗っている車両の後ろの車両に、人が乗っているのが分かる。親方?おじいちゃん?紅穂が手を振ると、気づいた人影が、後ろの車両からこちらの車両に向かって歩いてくる。逆光に照らされてよく見えないが、おじいちゃんだと気づく。振り返ると、さっきまで居たはずの皆がいない。前に向き直り、紅穂は思わず「おじいちゃん」と叫んだ。そして、そして…

 続きが思い出せない。喉元まで出かかってる。言葉じゃないから、その表現が間違っているのは知っている。でも、同じような物。思い出せそうな何かが、首の後ろの辺りまで 出かかってきて、そこから先には上がって来ない。

 諦めた。

 首を振って両手で伸びをする。

 ゴキリ、と音が鳴る。

 昨日は大した運動もしていないはずだが、体が強張っているようだ。

 ベットの上で、両手を前に投げ出し、お尻を上げて、猫のようにストレッチ。

「諦めた~諦めた~」と自作の歌を歌いながらシャワーに向かう。

 大人たちがお酒を飲むことにした時、紅穂はその場を離れることにした。その場の雰囲気に対する好奇心はあったが、眠気がひどかったのと、昔、柱に傷を刻みながらおじいちゃんが言った「必要以上に背伸びしないことだ」と言う言葉が頭に浮かんできたからだ。

 紅穂の申し入れを聞いた茉莉花が、部屋まで案内してくれた。

「大丈夫?寂しくない?一緒に寝る?」と茉莉花が冗談めかして言うのを、恥ずかしくて全力で断った。

 ああ、気ん持ちいい。

 思わずため息が出る。

 暑いシャワーはそれだけで元気をくれる。

 しばらく、黙って髪の毛をお湯に打たせるままにする。

 頑張れ紅穂。

 お湯だけでこれだけ気持ちいいんだ。

 シャンプーも、ボディーソープも、もっと気持ちいいに違いない。

 お湯を浴びるだけの体勢から、一歩一歩ゴールを目指し、無事完走し、シャワールームを出る。

 茉莉花の用意してくれた、新品の下着と、水神衆の女性用軍服を着る。

 サイズはピッタリ。

 姿見の前でポーズをとる。

 茉莉花の様に、色気を残しつつカッコ良くは着こなせない。まあ、まだ発育途中だから。

 でも、まあまあいい線いってる。

 ベレー帽の角度がなかなか定まらない。

 頭の後ろに絶妙な角度で立てかけるようにして、それで良しとした。

 スマホの充電あれば、インスタに上げないまでも、写メぐらい撮るんだけど。

 部屋に案内される途中で茉莉花に聞いてみたが「ああ、それはねえ。ダメ」と言われた。

 悲しい気持ちが顔に出ていたのだろう。

 「充電して起動したら、すぐに場所バレちゃうから」と理由を教えてくれた。

 それは、しょうがないこと。

 着替えを終えて、ベットに腰かけ脚をぶらぶらしていたが、ハッ、とする。

 まさか、もうみんな集まってて、あたし待ちだったらどうしよう。

 急に不安になって、急いで部屋を出た。


 見つからない。初動のまずさだ。せめて、飛び去った先を追尾するなり、追尾型ドローンに後を追わせるなりすれば、飛行経路が分かり、捜索も効率的に行えたのに。

 コニーは溜息と共に、空港の片隅のベンチに腰を下ろした。

 疲れが。精神的にも肉体的にも重い。

 生まれ育ったブルーフォレストなのに、居場所がない。

 これから田丸に報告に行かなくてはならない。

 不安定さが際立ち始めた藍姫の様子も報告するように言われている。

 いつからこうなった。

 J達に馴染めなかった。

 いつか見返してやろうと思っていた。

 それに成功した、はずなのに。

 何も変わらない。心が満たされない。むしろ、状況は悪くなっている。

 このままだと、責任を取らされる。

 精一杯やっている。他の誰が出来る?それにも関わらず。

「おい」

 ベンチに寄りかかってたまま、薄目を開ける。

「何をしている。報告しろ。どうなっている」

 質問、というよりは詰問だ。座ったまま、どうにでもなれ、と思う自分と別の誰かが、コニーをノロノロと立ち上がらせた。

「家令」

「家令、じゃない。なぜすぐに報告に来ない」

「申し訳…」

「うるさい。この無能が。分かってるのか?」

 こちらが分かっているのを、分かっていないのだろうか。分かっていて、質問しているのだろうか。どちらにしても、無能だ。思い通りに行かないと、こちらのせい。

「根の連中には渡っておりません。現在、壬生沢教授、壬生沢紅穂の生活圏、及び、地上にある、忘れられた遺跡をしらみつぶしに捜索しております」

「それで?」

「…」

「見つかったのか?」

「ですから…」

「うるさい。見つかるまで戻るな」

「しかし、報告は…」

「黙れ」

「はっ…」

 コニーはフラフラと歩きかけて、立ち止まる。眩暈がした。同情を装うためではない。だが、おそらく、疲れをアピールしている様にしか思われないだろう。家令の田丸は、そういう男だ。自分では何もしないから、共感性に著しく欠ける。やりきれない。

「おい」

 田丸が呼び止める。コニーはゆっくりと振り返った。

「藍姫が言っていたぞ。あいつは駄目な奴だ、そうだ」

 家令の田丸は、そういう男だ。コニーは少しでも楽になるようにその場を後にした。


「おっはよー」

 部屋を出ると、右手から茉莉花の大きな声がした。

「丁度良かった」

 Jの声。

見ると、茉莉花を先頭に、J、ウィル、班目が連れ添って歩いて来る。

「おはようございます」

 ちょこんと頭を下げる。

「グッキュ~」

「おはよう、ウィル」

「いいねえ!似合うじゃない!」

 茉莉花が言った。

「デへへ」

 前髪を掻く。

 ロンに馬鹿にされそうだ、と思って身構えたが、今朝はあの間の抜けた声がしない。

「あれ?ロンは?」

「ああ、やつは医務室だ」

「医務室?どっか悪いの?」

「いや、悪いと言うか…」

「グルッキュ~」

 Jが歯切れ悪く、ウィルと顔を見合わせる。

「何?何なんだい?あいつどっか悪いのかい?」

 茉莉花が言うと、Jが黙った。

「おい、百石。色んな事情があるんだろうによ。あんま余計な詮索すんじゃねえよ」

「いや、良いんだ班目。そうだな、話しておくか…」

「グッキュ」

 ウィルが頷く。

「作用と反作用。神魔器に付き物の話だが…」

 そう言って、Jは話し始めた。

 事の起こりは、ブルーフォレストを脱出し、脱出ポッドを乗り捨てて1週間経った日の事。

 追っ手を撒くべく、地上を逃げるように移動し、なんとか壬生沢博士の家に辿り着き、匿ってもらうことに成功したJ達は、藍姫の変貌から始まった問題の分析と解決を計画することにした。その日も3人で、ブルーフォレストから持ち出した機器で、過去の事例を当たり、そのプロセスと解決の文献を探す作業を行い、寝ることにした。異変が起こったのは、寝てからすぐ。考え事をしていたJが、ロンの異変に気付いた。冗談は言っても、泣き言は言わない男が「痛いよお。いてえよお」と泣くように呟いたのだと言う。Jはすぐに跳ね起き、ロンの元に行った。見ればロンは、汗びっしょりで、枕に顔を埋めている。痛みをこらえようと頑張ったのだろう、傍には引きちぎれたシーツがあったそうだ。異常な再生による、なんらかの反作用、というのにはすぐに思い当たったそうだ。が、思い当たったところで、解決には結びつくことのない思考。かと言って地上の医者に連れて行くわけにも行かない。意を決して、壬生沢博士に助けを求めるか、そう思った所に、ウィルが何かを抱えて小走りにやって来た。それは、脱出ポッドに常備されていた、救急キッドだった。ウィルは救急キッドを開けると、その中に潜り込む様に体ごと入り込み、何かを掴むとJに差し出した。それは、青の一族御用達、経口タイプの痛み止めチューブだった。

「それをロンに祈るような気持ちで舐めさせてな」

「そうなんだ…ロンが時々舐めてるあれ、単なる癖じゃなかったんだ…」

「そうなんだよ。とりあえずは痛み止めが効くと分かったが、数がない。救急キッドの中には1本しか入ってなかったからな」

 そこで、とJは続けた。

 月に2回。多ければ毎週のようにブルーフォレストに行って研究に携わっている壬生沢教授にお願いして、痛み止めチューブを持って来てもらうことにしたのだと言う。実験室には(皮肉なことに、軍事転用研究センターだけあって)痛み止めチューブのストックが、箱で置いてあったのを知っていたからである。かと言って、箱ごと持って来てもらう訳には行かない。いくら、天井人が在庫の管理に無頓着だと言っても、箱ごと持って歩けば、不信を招く。1回に2、3本。壬生沢博士のポケットに余裕で入る量をお願いした。面白いことに、天井と地上の行き来の際、武器所持と、カバンの中身の確認、パソコンの持ち込み持ち出しには徹底しているが、それ以外は基本的にノーチェックだとか。そこには、何かあっても地上人ごとき、後から何とでもなる、という天井人のおごりもあるらしい。そうして、騙しだましロンの頭痛を何とかしてきたのだが、困ったことが起きた。

「おじいちゃんが拉致された、んだ」

「そう。それによって、薬の供給が断たれてしまった。だから、あのどのみち、あのタイミングであそこから出るしかなかったんだ」

「そう、なんだ。あっ、ねえねえ。Jとウィルは何ともないの?その、反作用?」

「ある」

「あるのお?!」

「あるが、ロンほど深刻じゃない。気づいたかもしれないが、ウィルは言葉を話すのがだんだん難しくなって来ている。俺は、だんだん睡眠時間が長くなっている」

「…」

「あまり、猶予はないんだ」

「それは、水神の人達でもどうしようもないの?」

 紅穂は茉莉花に聞いた。

 茉莉花が憂い眉を作って、班目を見る。

「医療に関しては、うちらはからっきしで。医療系の神魔器は、基本、青の一族の独占状態なんす。ここの医務室にある薬も、青の一族から仕入れてるんですよ。例のチューブもありやすが、残り2本とか」

「行くぞ」

 茉莉花が唐突に言った。

「うじうじしててもしょうがねえ。すぐに青の一族のところにぶち込みだ、って親方に言いに行こうぜ」

 一斉に頷いた。

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