誰かのため、自分のため
「腕握られたときとか、二人きりで話すときとか、実は最近ずっとドキドキしてた。私ね、広大の、周りに気配りできて、冗談もいっぱい言えて、でも真面目に頑張れるところ、大好き」
右手が彼女の手にぎゅっと包まれる。
優しい握り方で、こいつの手、こんなに小さくて柔らかかったんだ、と気付く。
「だけど」
右腕に重みを感じる。彼女の頭の重みがかかってくる。
「私、広大の、なんでもないふりして、いつも自分を隠して、他人のことばっかり気にしちゃうところ、大っ嫌い……!」
制服の紺色に染み込めば、きっと見た目にはわからない。だけど彼女の目からこぼれるものは、俺の右腕を少しずつ重くしていく。
「なんでいつも誰かのためなの? 自分のためにやりなよ! 痛くてこのまま試合に出てたらもう走れなくなるんですって言いなよ!」
手がぎゅっと握られる。強く、どんどん強く。
「さっきの子、後輩でしょ? 年下に心配させておいて何が他人のためなの? 先輩たちにしたって、もしこれで広大がぶっ壊れたら、絶対後悔させちゃうよ? 俺たちが気付いてあげられたらって、止めてあげたらって、あいつは来年もまだあるのにって!」
彼女の声も、涙も、手も、熱を増していく。
「ねえ、こんなときくらい自分勝手になりなよ、今の私くらい自分勝手になりなよ! 自分があってチームがあるんだよ!」
転勤族は空気読むのが得意なんだ
周りの様子を見るのが
観察眼が
「私は支えるから! 何かあっても今度は私が守るから、私には何も隠さなくていいから!」
支えてやるから
ただのお節介
「もう、我慢しないで……」
父さんまた転勤が決まってな、毎回ごめんな、広大
広大くん、みんなに優しいし、私が彼女じゃなくてもいいんじゃない
アイツはFWしか合わないし、悪いけど須田くんは一時的に
先輩、恋人じゃなくてボランティアで一緒にいさせてくれるだけに思えて
大丈夫、須田くんなら委員長向いてるって、なあみんな
ペイシェント、意味は「我慢強い」だから――
はあっ。
「負けだ負けだ」
「何……が?」
彼女の頭に腕を回し、胸元に抱き寄せようとした。と、逆に彼女から先に飛びつかれ、面食らってしまう。
「……今日くらい、私に広大を守らせて」
「いや、おい」
「慣れないんでしょ」
図星だった。
「いつも自分が他人のため、だもんね。慣れなくて、嬉しくて泣きそうなんじゃない?」
「そんな訳あるか」
目をしばたいて、空を見上げてみる。星の無い夜空の下、灯りにぼんやり照らされる黄色と黄緑色のイチョウ。潤んだ視界には、その葉っぱはまるで天の川みたいにきらきら流れている。
「私、思うんだ。世界で一番辛いのって、いつも誰かのため、って思ってる人なんじゃないかなって」
さやかが母親のことで苦しんでいたから、坂井がさやかのために何かしたいって思っていたから、越野がみんなについていけなくて困っていたから、
「一人で抱えられる量なんて、たかが知れてる。だから最初に自分を消しちゃうんだよ、きっと」
真に気持ち良くシュートを決めてほしいから、先輩にもっと喜んでほしいから、次期キャプテンとして期待されているから、
「だからさ、逆にその人をそっと支える誰かがいないと、絶対どこかで上手く回らなくなる」
「お前、よくそんなことに気付くな」
「幸か不幸か、自分の大事な人がそういう人だからねー」
クスクス笑われて、凄く複雑な気分だ。だけど彼女の発言には納得するしかない。
ある意味では、自分を抑え続けてきた人生だったのかもしれない。転校続きでも我慢して、誰かを喜ばせるために頭を回し続けて、ケガを耐えてチームに貢献しようとして。それを、全部一人でなんとかこなそうとして。
そっか、そうなのか。
「辛かったのか、俺って」
「何それ、鈍感。……いや、断言はしないよ」
そっと、労りを込めるように、両頬に手が置かれる。
彼女の赤い頬が、彼女の前髪をゆったりかすめていく黄色い葉が、潤んで見える。
「だけどこれだけは言えるよ。よく頑張ったね、広大」
あっ、もう無理。
目元から一つ流れて、彼女の手に、俺の涙が触れる。
「抱えられなくなったらね、誰かに話せばいいんだよ。これは私が学んだ大事なこと」
一つ流れ落ちれば、いくつもの筋が跡を辿って流れていく。隠していた葛藤も、抑えていた苦悶も、押し込めていたわがままも、何よりケガをしてしまった悔しさと自分への憤りも。
雨漏りは全てバケツのように、さやかの手が受け止めてくれる。雨音が一度立てば、また次の雨が流れ、だけど彼女の手はいつまでも溢れることなく受け止めてくれる。
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