見上げる


 越野が来ない。


 早朝練じゃなくて、放課後の練習に、だ。


 一年生には体調不良だと聞いていた。確かに今日の朝練のときは遠目にも顔色が悪そうだった。仮病ではないと信じたい。だけど、やはり色々考えてしまう。

 例えば俺を避けていること、例えば他の一年生と――。


「だいしゅきな後輩ちゃんがいなくてしゃびしいのね、よしよし」


「真。確かお前、ドラえもんと土佐衛門となら後者の方が好きだったよな?」


「なんだよその遠回しな『死ね』は!」


 さすがにこの水飲み場では沈みようないよな、と真はぶつぶつ確認している。俺は蛇口の先をくるんと回して、そんな彼の顔に思い切り水を浴びせる。


「わっぷ、やめろよ! お前が今日集中力ぶつ切れだからだよ、心配してるだけだっつーの」


「どーもすんません」


 水の勢いを弱め、蛇口の角度を変えて自分の顔に水をかける。十月末になっても、運動した後は体中が熱源になっている。濡らした顔を空気が冷やしてくれて、とても気持ちいい。


「今日、ランニング遅えしパスも適当だし。今は越野より試合だろ。気になるのはわかるけどさ」


 次がベスト4のかかった試合。勝てば部の最高記録だし、ここまで来たら優勝もちらついてくる。優勝となれば保護者たちもOBも大喜びだし、何よりまだまだ先輩たちと練習ができる。

 真はこんなやつだけど、そういうことの意味も自分の責任も、きっと本当はきっちり理解している。俺たち二人が原因で負けるわけにはいかないだろ、と。


「ああ、そうだな」


 だけど俺は適当に返事を放って、制服のポケットの中のことを考えていた。あの魔法とかいうやつ、越野が使ったらどうなるんだろうな、と。


 結局、あの後ミサンガは持ち帰ってしまった。ちゃんとどこかで使うように、と部屋を出る前にさやかは言っていたが、イマイチ信用できずまだ結んですらいない。

 ……かと言ってそんな得体の知れないものを後輩に使わせるのは最低だな、と思い直す。それにそもそも、あの言いぐさなら俺以外が使っても本当に効果ナシなのかもしれない。


 水飲み場の横の段差に腰掛けると、日陰なだけあって尻がひんやりとする。


 具体的には分からないが、越野は何かに困っているのではないか、そう感じていた。

 そう言えば、あの生徒会室で出くわしたとき、アイツは大和田に礼を言っていた。もしかして部屋の中に用があったのかもしれない。それが何かまでは判断がつかないが。


「なあ、真、生徒会室のこと何か知らないか?」


「え? いや入ったことないし、噂も別に知らない」


「だよなあ。大体、北棟の四階自体あんまり行かねえよな」


「いや、社会科係だからたまに行くけど。生徒会室と、社会科準備室、音楽室、被服室、地学教室と、あと何かあったっけ」


「美術室か」


「あ、それそれ」


 俺と真は共に頭上に目を向ける。この水飲み場は北棟の真下にあたり、角度的に四階の窓の向こうは全く見えない。「で、なんでそんなこと」と真が言いかけたとき、ちょうど監督から集合がかかった。


「おっとっと、行くぞ、広大」


「ほいほい……あ、タンマ」


 きょとんとする彼に、俺は靴を指さす。


「石入ってるから、先行って」


 なるほー、と言って走っていく彼の向こうに、こちらを見つめる人影を認めた。しかし、俺が気付くとすぐに目を切って、走り出した。


 さやかは、確かにぐっと口を結んでいた。


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