強く生きないと


 高飛びの練習中、後ろから、サッカーボールの弾む音が聞こえ続ける。

 彼らも久々の練習で嬉しいのだろう、声のトーンが普段よりもいっそう大きい。快晴の空に吸い込まれていく声の中で、私はどうしても広大のよく通る声を捕まえてしまう。


 坂井の表情。広大の表情。


 それらは脳内からいつでも再生できてしまう。あれからずっと考え続けていたけれど、今まで知っていたなけなしの情報を繋ぎ合わせても、あの二人の接点は特になかった。中学校も、広大は離れた学校だし、坂井はもっとこの近所の出身のはずだから確か違うはずだ。だからこそ、より気になってしまう。


 例えば、もしかして、知らないうちにこっそり付き合っていたとか。


「さやかちゃん、どうしたの?」


「あ、大丈夫です、すいません」


 先輩の声に、我に返った。

 遠くのバーを見つめる。あの門番は今日もじっと佇んでいて、私を待ち構える。


 集中しなくちゃ。せっかく跳べるんだから。


 一歩目を踏み出す。二歩、三歩。


 だけど、サッカー部の声は聞こえ続ける。広大の「パス、パス!」という叫び声が耳に届く。


 その声が消えた瞬間、私の脚はバーに絡まっていた。


 反射的にバーを脚から離そうとしながら、マットの上に倒れ込む。はあはあと息をしながら、私は呆然としていた。バーはまだ練習初めの無理のない高さだ。こんな高さで失敗するなんて。

 青空に黒い鳥が横切り、私はバーを手にして元に戻そうとする。その無機質な冷たさに、少しぞわっと嫌な感じを覚えた。


「さやかちゃん、しっかり!」


「はい!」


 小走りに持ち場へと戻っていく。その横を走っていった先輩がきっちりと跳躍を決める。 

 視線を前に戻すと、サッカー部が見える。広大は今、ピッチの上で走り回っている。


 広大が誰と付き合おうが自由だ。ただ、彼の存在がとてもありがたいのも事実だ。


 転校初日、一人で廊下を歩いている私に、アイツはわざわざ声をかけてくれた。

 色々なことがあった上での転校で塞いでいた私の気分は、アイツの相変わらずのバカさのおかげで随分と軽くなった。そのおかげで、クラスや部活でも少しずつ馴染んでいこうと思うようになった。小学生の頃も、今回も、アイツのおかげで居場所を確保できた。


 だからアイツが離れるのはやっぱり寂しい。いや、何より、その原因が坂井というのが気に食わない。


 ――あー惜しいっすよー、次、コーナーは決めてくださーいー!


 お金も、ビジュアルも、気ままな生活も、彼氏も。坂井は何でも手にする。私が絶対に手に入れられないものも、易々と手にできる。


 ――おいバカヤロー、るっく・あっと・みー、オーケイ?


 私にはきっと一生見えない世界を、彼女は見ている。

 神様が同じ年にこの世に送り出したときから、私たちは違う景色を見ることを運命づけられている。


 ちくしょう。


 私の番が回ってきた。目を閉じる。息を速く吸って、辺りに広げるように吐く。目を開けると、バーがある。


 脚を前に出す。バーはぐんぐん加速度的に近づいて、直前で視界が回る。脚がしなる。空は、青く澄んでいる。


 今は、私の世界を見るのに集中しないと。


 私は、強く生きないと。


 マットの柔らかさに体を受け止められながら、そう思った。

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