魔法使いの杖


「指揮、奈穂しかいないと思う」


 去年のこの時期、幹部決めのときに誰かがそう言った。


「え、でも」


 指揮者、と聞いて、私は先輩の姿を思い浮かべる。


 その先輩は昔からずっと指揮者に憧れていたらしく、とても上手で、その年度には部もコンクールで久しぶりに上の賞をもらったりした。

 いつもの合奏で、彼女が軽やかに、ときに激しく動かす棒は、奏者一人一人の指先と繋がって、音楽という糸を全員で紡いでいるように見えた。

 先輩の指揮棒は、まるで魔法使いの杖だった。たとえ上手くなくたって、彼女の杖から音の花を咲かせるのはとても楽しい時間だった。


「大丈夫だって、岡田さん、音楽詳しいし」


「うん。サックス吹きなのにさ、トランペットのCDとか教えてくれたじゃん」


「私、奈穂が楽典がくてんの勉強したり、スコア読み込んだりしてるの知ってるよ。指揮に興味あるんでしょ、やってみようよ」


 私は口ごもってしまう。気付けば、みんなが期待の目を向けていたからだ。


 そんなことが問題じゃない。確かに、音楽や、吹奏楽や管楽器のことはいっぱい勉強してきた。でも、そんなに勉強したから余計に思う。

 指揮者は、知識や技術だけじゃどうにもならないよ、きっと。


「奈穂」


 私は顔を上げる。

 先に部長に指名されていた杏が、優しい眼差しで見つめてきていた。


「一緒に頑張ろ」


 優しくて、決意に満ちた目だった。私はその勢いに押されて、頷くしかなかった。

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