第6話 地平線5

 後はもう押しの一手で彼女をものにしたと言って、ジェレミーは豪快に笑った(照れ隠し?)。「だけど、女房の両親は猛反対した。そりゃそうだ、彼女はまだ17歳。俺は、学校もろくすっぽ行っちゃいねえ施設で育ったペーペーの軍人…出世のためには危険が付いてくる(危険度の高い任務を遂行する、怪我で勲章を貰うなどなければ、昇進する可能性は低い)。俺が親でも反対するさ」「でも、既成事実ができちゃったんでしょ?ジェニファが、彼女が生まれた時お母さんは18歳だったって言ってたよ」ジェレミーは私を見て微笑んだ。それは幸せそうな笑顔だった。「女房の家族には最低のひどい夫だと思われてたが、俺は幸せの絶頂だった。自分は最高に幸せな夫だと思ってた。天才の美人と結婚できたうえに、あんな美しい子どもまで授かった」しかも自分と同じ髪と目の色だ、可愛いに決まっている。「女房も、自分は最高に幸福な妻だと言ってくれた」

 しかし幸せな時間は短いものだった。ジェレミーと幼い娘を残し、マーガレットは無差別テロで命を落としてしまう。「娘を抱えて途方にくれたけどな、娘が居たから俺は立ち直れた」その可愛い娘は亡くした奥さんそっくりに成長していく。

 「俺は小さな女の子にどう接していいか、わからなかった。それに、どんどん女房に似ていく娘を見るのは嬉しくてたまらんのと同時に、俺は少し怖かった。俺は娘を娘として愛してるのか、女房の面影を見ているだけなのか…だとしたら、娘には悪い事していると思った」「ジェレミーって、なんて良い人!」「ありがとうよ!」彼はクスッと笑う。「任務でなかなか帰れないのをいい事に、女房の両親に任せっきりにした。娘と距離をとったんだ。たまに帰っても、娘には優しい言葉をかけてやれなかった…」自分は"良い父親"になれていない、という罪悪感からだったのだろう。

 「それにな、頭の良さも女房に似てて嬉しかった。だけどな、年頃になると、いろんな男を取っ替え引っ換えし始めて…俺の家系の悪い血が出た、と思った。それで、どうしても厳しい事しか言えなかったんだ」もう、それも過去の事だ。ダニーと婚約した後落ち着いたジェニファは、父親を理解して愛情をまっすぐ受け止めている。

 ジェレミーは、またクスッと笑った。「それに、娘の手癖の悪さ!」私も笑った。「びっくりしたよねえ!まさかあんな時に、あんな短い合間に」「俺に似たんだ、悪いところは」ジェレミーは愉快そうだ。ジェームズの結婚指輪は、事故や救出、治療の際に紛失してしまったと思われていた。奥さんの指輪と一緒に棺に入れるようにと彼の遺言だったが、ジェレミーは諦めていた。

 でも私は、何故か指輪があるように感じていた。ジェレミーから話を聴いた時、私達はダニー宅に居て、私は指輪はすぐ近くにある、と思った。「驚いたぜ、"小さなガーティ"のベッドの中から指輪が出てきた時ゃ」「ジェームズのエネルギーを追っていったら、そこだと思ったの」「まーったく、おまえときたらとんでもねえ魔女だ」

 皆でジェームズに最後のお別れを言いに行った時、その僅かな時間に、悲嘆の極みにあったにもかかわらず、ジェニファは彼の指から指輪を抜き取っていた。ジェームズの思い出を自分の手元に持っていたい一心での事だ。どう彼女に伝えるか、どう彼女を説得するか、私とジェレミーは何も手立てを考えられなかった。

 助け船を出したのは、ダニーだった。『ウィリアムとガートルードが、私達だとしたら、どう思う?…君が先に亡くなって、私が死んだ後、君と私の指輪を一緒に埋蔵して欲しいと遺言していたら?』ダニーが優しく問うと、ジェニファはやっと首を縦に振った。「娘は、好いやつと結婚した」ジェレミーは満足気に言う。「ダニーだって、とっても良い奥さんを貰ったと思うよ」「そうか」彼はもっと満足そうになった。


 搭乗手続きを済ませ、私はオーバーブーツを脱いで他の荷物と一緒に預けた。ジェレミーは、またカラーコンタクトを入れている。2人してラウンジに入ると、私宛てのメッセージがあった。ヤンからで、電話してほしいと見慣れない電話番号が記してある。ジェレミーは英国のビールに名残りを惜しむ、と言ってバーカウンターに行った。私は電話のブースに入る。

 私は電話を終え、ジェレミーの横のスツールに座る。「何だった?」ビールを飲み干したジェレミーが言った。「ヤンからだった。期間中天気が良くて、予定通り教習が終わったって。明日も晴れなら帰るから、本部の滑走路で待っててほしいって」「そうか。もう一機〈ガルフストリーム〉でも買ったのかもしれんな」「かもね」「なんだ、おまえは何も聴かされてないのか?」「うん。ダニーのやる事だよ、皆んなを驚かせたいんでしょ」「まぁそうだろうな」「だから、もしかしたら軍用機かもね。私はちょっと期待してるんだー」「俺も楽しみになってきたぞ」


 私達が乗る飛行機が離陸体制に入った。向こうに地平線が見える。やがて機体が浮き上がると、今度は水平線が見えてきた。ジェレミーが「…子どもの頃は地平線も水平線も、見た事もなかったし、ある事すら知らなかった。俺は仕方なく軍隊に入ったけどな、入った後は、良かったと思ってた。おかげで色んな所に行けたからな」と言って微笑んだ。それから、思い出したように「ヤンは、よくこんな短期間にライセンスを取れたな?あいつの事だから、学科も実技も難なくこなすだろうが、飛行時間をどうやってかせいだんだ?」「あー、ダニーが空軍の協力をとりつけたんだ」「さすがウチの婿だ!」「あはは、ヤンの事だから向こうが困るくらい飛んだかもね」

 シートベルトを外して良いとなった途端に、ジェレミーがコンタクトレンズを外しに行った。席に戻り、盛大に溜息をつく。「ああ、ホッとした。俺は目が良くて良かったぜ」そして私を見て「おまえは、メガネやなんかが必要にならなくて良かったな」と言った。「視力はかなり落ちちゃったけどね。…視力だけならパイロットになれたのになぁ。それ(可能性のかけら)すらなくなったよー」私がボヤくと、ジェレミーは笑って「視力うんぬんは俺もだ」と言った。「数学がどうにもできんでなぁ」彼もボヤいてみせる。「基礎が肝心なもんは、学校にほとんど通ってねえやつには難しいな」「あはは、私は学校にはちゃんと通ってたけど数学できないんだー。女は戦闘機乗りになれないってわかってから勉強する気がなくなったのもあるけど、ちゃんと勉強しても、おバカはどこまでできたかねぇ。…で、ヤンは学校って名の付くところには行った事がないんだって」「そうなのか?すげぇな」「バカロレアはとってるって言ってたんだけど」「そうか」「今だに何で私と付き合おうと思ったのか、謎」「俺もだ。女房は、他にいくらでも条件の良い男がいたはずだ」

 私はジェレミーの元の顔を思い浮かべる。「あのね、キースから飲みに誘われた事ある?」ジェレミーは戸惑っている。「なんだ、いきなり?ねえな」(キースの好みがわからんなー。赤毛はタイプじゃないのかな)「あのね、誘われたら、ぜひ応えてあげて。じゃなきゃ、ジェレミーから誘って?」「なんでだ?」「キースはね、自分自身の本当の姿、つまり、心を見てくれる人が、あまり居なくて寂しいんだよ。ジェレミーなら、その気持ちがわかるでしょ?」ジェレミーは深く頷く。そして、私の肩を軽く掴んだ。「そうだな…。だけどな、そりゃ、おまえにも言える事だぞ?外見や肩書き、数字で表せる能力、そんなもんは全部、心にゃ関係ねえ。学校の成績が良かろうと、山ほどカネを稼ごうと、心が貧しい奴はいくらでも居る。おまえの男だって、なんて呼ばれてた?」「あはは、『ターミネーター』だ」「だろう?どんだけ能力が高くたって、そんなもんは人間じゃねえ」「…そうだね。だから、キースと飲みに行ってみて?」「おう」

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