第7話 地平線6
ジェレミーが慌てて手洗いに行って、コンタクトレンズを着けてきた。もう少しで着陸体制に入る。入国審査に備えておかなければ。「こんな思いをするのは二度とごめんだぜ」私は「…たぶん、十年か二十年か後には、黒髪のジェレマイアでもなく、赤毛のジェレマイアでもないパスポートで旅行できるようになるんじゃないかな」と、我知らず言っていた。ジェレミーはしばらく私を見つめ、正面に向き直ってから言う。「…おまえがそう言うんなら、そうなんだろうな…」寂しさを感じさせる声だった。「うーん。…世界全部が平和で平等、なんて、"小さなガーティ"が生きている間も無理だと思うけど、この先も新たな紛争とか小競り合いは増えると思うけど、でも、不毛な対立を終わらせようとする人達も増えていくと思う。ウチの会社の存在意義でもあるけど。それより何より、だってさ、親や祖父母の代の恨みつらみを大事に抱えていたってねえ、やっぱり不毛だし不自然だと思うよ」ジェレミーは、無言で頷いた。
飛行機が高度を落とし、眼下に空港が見えてきた。私はジェレミーにわざとらしい笑顔を見せた。「なんだ?」ジェレミーは微笑んだ。悪戯っ子を温かく見守る父親のように。「あのね、私がパイロットになれない理由がもうひとつあった。重大なやつ」「なんだ?」「私、英語できない!」「わっはっは!そりゃ致命的だ」「学校で何年も勉強させられたんだけど、それでもダメー。私、学校の勉強でできるのって、ほんの一部だけだったわー。改めてそう思う」「おまえとヤンを見てると、学校ってえのは大したところじゃねえな」「ちゃんと通ってても、ちゃんと勉強しないとダメって事だよね」「勉強しようと思ったら、何処ででもできるってこったな」
「ところでさー、ヤンの話す英語って、聞き取れる単語もかなりあるんだけど。あと、ジェームズもだった。だけどランスの英語はほぼわかんないんだよね」ジェレミーがうんうんと頷く。「俺はランスロットの言ってる事がわかるが、俺の言ってる事があいつにはわかんねえみたいだ」「ごめん、私もジェレミーの英語聞きとれない」「そう言や、俺はキャプテン・ダイスケとも英語が通じてなかったな。ヤンが俺とダイスケに英語で通訳するってえ、ワケのわからん時間を無駄にする事になりかけて、フランス語に切り替えた事があったぞ」「不思議だよねー」「面白えよな」
「日本語もね、地域によってかなり違いがあるんだ。ヤンが日本に居た時、私と友達が話すのを聞いていて、全然違う言語を話してるようにしか思えないのに、当人同士が通じていて不思議だったって言ってた」「そうなのか?」「うん。でも、あんまり違いすぎて日本人同士でも通じない場合もあるよ、当たり前だけど。だってさ、固有名詞が違かったりしたら、もう無理だよね?」「そりゃ、どうしようもねえな」
飛行機は本日も定刻通りに到着し、今回の旅は順調に、そして上首尾に終わったと言えると、私は思う。
翌日の昼下がり、ダニーはジェニファを同伴して出社してきた。その二人と私も、手の空いている人達も、それぞれ防寒対策して滑走路の前に集合。滑走路はスタッフが総出で朝から除雪してある。ここは建設にあたり木の伐採を最低限にするため、森が途切れる所を選んであった。私達の前に伸びる滑走路の向こうには、草原と湖沼地帯が続いていて地平線が見える。
しばらくすると、私達の後ろに地上スタッフがやってきた。二機目の飛行機購入のために新たに雇った人達も居て、その中のひとりは乗降用ラダーを持っている。私はそのラダーと、新入社員達の経歴を思い出し、やはり民間機ではないようだと検討をつけた。
地平線上に小さな点が見えてきた。それからジェットエンジンの音が聞こえ始め、私は聴き覚えがあると思い、隣に立つ恵一を見た。恵一は目を見張っている。「恵一さん、これって?」「ああ、間違いない。…おまえ、よくわかったな!」もちろん恵一は、慣れ親しんだ機体のエンジン音は区別がつくだろう。「ほほほ、そのくらいは」私はわざとらしい笑いと得意顔で答えた。
みるみる飛行機が近づいて、間違いようのない、特徴的な二枚の垂直尾翼が判別できる。(14も18も二枚だけど、みんな尾翼の間隔や角度が違うんだよー)「15か!」恵一とは反対の私の隣に立つ葵も驚き、感激している。(さすが軍事マニア)
そのまま着陸するかと思いきや、直前で機体は急上昇。ぐんぐん高度を上げ、観衆の口を開けっ放しにする大きなループを描いた。「あれっ、複座?(F-15イーグルは単座)」コックピットをこちらに向けた時、そう言った私に「ようは教習機だな」と恵一が答えた。「なるほど」と私。私の後ろにいたダニーが、私よりも得意顔で言った。「教習用は武器を搭載しない、つまり、できないわけだ。譲って貰う条件のひとつだったんだよ」その場の全員が心の中で『それにしたって、どうやったらこんなもん譲って貰えるんだよ⁈』と言っている中、当社二機目の飛行機は、当社敷地内上空をぐるりと二度回り(捻り技も織り交ぜつつ)、優雅に着陸した。
乗降用ラダーが前席にかけられ、パイロットが降り立つ。ヘルメットをとると、メガネが光った(ヤンじゃない。タキシングさせて滑走路に向かっている後席がヤンだな)。メガネの彼は真っ直ぐ私達に近づいてくる。ダニーが、主に恵一に「紹介しよう、シャルルだ。この国の空軍から引抜いてきた。ケイと同じ経歴と経緯だな」と言って、彼は恵一に力強く握手した。「よろしくお願いします!」恵一の方が 15の飛行時間がかなり長いらしい。少し照れた恵一が、まだ若い(近づいてわかった)パイロットの手を握り返した。
「〈ガルフストリーム〉とあわせて、いつでも飛ばせるようにしてくれたまえ」ダニーが他にも、機体の引き渡し時期がなかなか決まらず塗装ができなかったなど、饒舌に話している。機体は全体が明るい灰色で、何のエンブレムも付いていなかった。機体ナンバーも無く、慌ててスプレーで消したという風情(わー、国籍不明機ー)。
しかし私は、その半分も話を聴いていなかった。格納庫からヘルメットを小脇に持って、こちらに歩いてくるヤンを見るのに忙しい。ある程度の距離で、私は駆け出して行ってヤンに飛びついた。「お帰り、ヤン!」彼は片手で私を受け止め、上得意で「ただいま」と言った。「凄いよ!あれに乗って帰ってきたなんて」「いや、さすがにあれの操縦は無理だ。"車庫入れ"が精一杯だよ」「でも、乗れるだけでも凄い!私のヤンが戦闘機に乗って帰ってきた!」
雪の季節という事もあって、今回はお披露目会は社内だけで簡単に、乾杯だけとなった。宿泊棟のラウンジに、スタッフが入れ替わり立ち代わりやってきては、ダニーとヤン、クラウスの経営陣と、恵一とシャルルに、会社に、お祝いを言って乾杯して行く。私はヤンの後ろに控えて立っていた。ダニーの側にはその妻。彼女の隣にはジェレミーが嬉しそうにしている。
同じようにクラウスの側に居た葵が、私に近づいて囁いた。「君も上機嫌だね」「うん」「君、本当に変わったねえ…。少し前なら『どうして自分は体力と体格に恵まれた男性に生まれなかったんだろう』って、海よりも深く落ち込んでいただろう?」私は恥ずかしくて笑った。「でも今は、彼氏が凄いって素直に喜んでいる」「うん、そうだよ」
ジェレミーがこちらを見ている。私は彼にも聞こえるように言った。「あのね、スティグのセッションでね、それは私が父親から認めてもらえてなかったからだ、ってわかったの。女の子で生まれた事も、私が私である事も、父親は受け入れてくれなかった。だから、私は無いものねだりをし、男性の愛情を信じてなかったんだよ。自分は男性から愛されない、と深いところから信じていて、男性には愛情がない、とすら思い込んでいたの」葵は黙って聴いている。ジェレミーも聴いていた。ヤンは恵一とシャルルとの会話に注意を払っていて、私の話を聞いていない様子だ。
「私が変わったのはね、ジェレミーとジェームズとの関わりの中で、二人の奥さんに対する愛を見たからなの。お父さんだったかもしれないジェームズに私を認めてもらえたからなの」私は顔を上げ、ジェレミーを見た。「…ヤンが変わったんじゃない、私が変わったんだよ。そしてそれは、ジェレミーとジェームズのおかげなの」ジェレミーは、何も言わずに微笑んだ。
葵も微笑み「それは、困難を皆で乗り越えてきたのが大きいな」と言った。ジェレミーが口を開く。「何気ない普段通りの日常を過ごしていても変わるだろうが、時間がかかるな」「問題によっては、一生かかっても変わらない、気付けない、かもね」と私。葵とジェレミーは、得心がいったと言うように頷いた。
(作者注:この物語の主な舞台は、あくまで"アメリカの隣にある、カナダのような気候風土の架空の国"です。また、カナダ空軍がこの時代にF-15を配備していたかは知りませんし、教習機が武器搭載できない云々も含めて全て作者の創作です)
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