始まる世界で
『なぁ、スイ、頼むよ。お前以外にいないんだからさぁ』
「めんどい。おやすみ」
『あ!こら、ス――』
魔王城の一室で、スイは通信用魔水晶を放り投げた。それは床に落ちてヒビが入り、機能を失って通信先のアランの声が途切れる。
ユラユラユラ。
ここ最近のスイのお気に入りはロッキングチェア。椅子の足の下にカーブした板が付いているお陰で、微睡みの船の様に穏やかに揺れることが出来る。
揺れている事に何か意味があるのか。
魔水晶の向こうでアランに一度問われたことがある。
揺れることは手段じゃない、目的だ。
その時スイはそう言って魔水晶を割った。玉座なんかに満足しているお前ではこの素晴らしさがわからないだろう。
ところでそれは、いつのことだったろうか。
最近はずっと何気なく過ごしている。
それは平和で良い事なのだし、スイ自身こんな日々が永遠に続けば良いと思っている。怠惰なスイにとって、これ以上の娯楽はない。しかしそれを脅かす存在が、近頃新たに現れた。
アランだ。
彼は王に就任してからよく頑張っている。
人族をまとめ上げ、亜人や魔族の差別を無くそうと、様々な事を考えている。
少し距離を置いてしまう人もいるが、今では亜人や魔族でも人の街に入る事が許されている。ただ、見た目が人間らしくない者などはフードを被って姿をあまり見せない様にしたり、まだ遠慮や配慮を続けている状況だが、いずれは誰もが素顔で街を歩ける様になるだろう。
それから、人から亜人の元に向かう事も勧められている。ケモンシティの北部、獣族の里がある山はハイキングコースとして道が整備され始めているし、魔大陸には巨大な橋が架けられて、観光の名所となりつつある。橋だけでなく、魔大陸には大きな葡萄畑があって、そこで醸造されるワインは多くの人族にも愛されており、これが魔族が作っているというのだから、魔族と仲良くしたくなるのは、ワインラヴァーならば自然な事であった。
ただ一つ困った事に、エルフの里がある惑いの森には誰でも近付けるわけではなく、こんな噂が流れている。
悪戯エルフに認められた者だけが、里に招待される。
スイには悪戯エルフの正体がわかったが、彼女らはいったい森を訪れる人に何をしているのだろうか。
まあ、人族との関係は悪くはないし、エルフの悪戯を楽しみに足を運ぶ人もいるというのだから、何も言うまい。
スイは放任主義なのだ。
そんなこんなで世界は動き始めている。
ミラは魔法研究所で目覚ましい活躍を見せている。この通信用魔水晶を考案したのも彼女が率いる研究チームなのだ。壊してしまったけど。
そしてロイはなんと、アルバリウシス初の獣族騎士団長に就任していた。副団長のマルスが譲歩したのは意外だったが、彼はデヴィスの事を未だ引きずっているらしい。自分には出来ないと。
ならばその立ち位置で己を磨け。デヴがお前を庇ったのはデヴの意思だ。気負うな、だが励め。
スイの言葉に励まされたのか、今はロイの補佐としてマルスは努力を重ねている。きっと強くなるだろう。
ステュとフーガはアルバリウシスを観光するために旅に出た。今の世界を見るために。
そして時折アランと連絡を取って、一人の旅人として意見を交わす。このお陰でどんどん村が、町が、国が改善されていく。
一人一人が、自分の意思を持って生きている。
不器用でも必死に、躓いても支え合いながら。
この世界はもっと良くなる。
明日になればまた。
明後日になれば更に。
「だから俺はもう何もしなくていいんだ」
ゆらりゆらり。
幸福を噛み締めながら揺れている。
「もう、スイ。また壊したの」
部屋に入ってきた少女は床に落ちている魔水晶を持ち上げて、テーブルに置いた。その時にはもうヒビはなくなり、綺麗に輝いていた。
「ダメだ。直してはいけな――」
『スイ!やっと繋がった!また壊したんだな!マオがいるのか?ありがとう、助かったよ』
もうかれこれ何度目だろうか。アランがスイに連絡して、スイが魔水晶を壊して、マオが直す。
このサイクルはもはや日常だったが、今日はこれで終わらない。
『マオ、君にも頼みたいんだ。海の外には何があるか、どんな生物が暮らしているのか。いや、きっと人もいるだろう、過去に意思を疎通した例があるのだから。だから偵察に行って欲しい。そうすれば今後この国、アルバリウシスが取るべき方針がわかる』
そう、アルバリウシスとは世界ではなく、国。
きっと海の外には沢山の国があるだろう。
それはスイも元々考えていたし、魔法が解けた人々も自然にそう思うようになっていた。
今まで認識阻害で隠されていたこの国が発見されれば、外国からしたら突然新たな国が現れた、そんな印象だろう。
その国をどうするのか。まさか侵略されるなんて事はないだろうが、友好的だと盲信するのは平和ボケしすぎている。
だから何も知らずに未知と出会うより先に、世界を見てきて欲しい。
それがアランの頼みだった。
「まあ確かに、ミチルが作った船を操縦出来るのは私とスイだけだし、力を考えても他に選択肢はない。アランは正しい事を言ってるわけだけど……」
マオはチラリとスイを見る。
スイはボーッとしている。
戦いが終わってからずっとこんな調子だ。
それほど疲れたのか、それともこれが本来のスイなのか。
どちらも正しいんだろうな、と思いながらマオは苦笑する。
「まあ、悪いけどアラン。もう暫く休ませて。気が向いたら行くかもしれないから」
『もう、マオまでスイみたいな事を言って!……まあでも、よく頑張ったからな。あまり無理頼めないよな』
結局アランが折れるのは、偉業を成し遂げた勇者に敬意を持っているからなのだが、スイは聞いておらず立ち上がり、壁に立てかけた剣をゆっくりと持ち上げた。
「スイ……どうかした?」
マオが問いかけるが、スイが答えるより先に、現れる者がいた。
「ははは、久しぶり。寂しかった?」
『え……精霊様?』
アランの言う通り、現れたのは聖剣の精霊。
「何故消えていない」
「それ、辛辣すぎるよ。再会を喜ぼうよ」
スイは嫌な予感がしていた。
「世界の均衡を保つ為の聖剣。それが変わらずあるという事実。……アタマが痛い。説明してくれ」
精霊は腹を抱えて笑っている。煩いくらい上機嫌だ。
「君の予想通りだよ!君が救ったのはこの国。だけどこの世界はまだ異常を孕んでいる。それを正す為に僕の力が必要ってわけさ。さあ、共に、旅立とう!」
ため息を吐くスイ。魔水晶の向こうではアランの期待するような気配。
スイの隣ではマオの静かな微笑み。
「メリー、いるか」
「はい、ここにおります」
現れたのは魔王城に仕える唯一のメイドメリー。彼女のお陰でスイの怠惰には磨きがかかっていたのだが。
「留守番を頼んでいいか?」
その言葉に歓声をあげるアラン。マオも少し嬉しそうだ。
「勿論でございます。お気を付けていってらっしゃいませ」
――――――――――
スイは旅立つ前にやる事があると、数日間は魔王城から一歩も出なかったのだが、旅立つ前日、スイがどうして今まで魔王城に引きこもっていたのか、マオは漸くわかった。
「魔法陣を……起動可能状態にしたのね」
スイはこういう所がある。
一人で怠けてるのかと思えば、途方も無い苦労を全てその身に背負っていたり。
「言ってくれれば手伝うのに。魔力使いすぎて疲れたでしょう」
そう言ってもいつもと変わらず眠そうに「そんな事ない」と言うだけなのだ。
だからマオはずっと隣でスイを支える事を決めた。この旅にも、どこまでもついていく。
「でも、この魔法陣からは帰れないんでしょ?」
一体どうするの。
マオの疑問に答えようとするスイだが、メリーが来客を知らせにきた為、説明は後になる。
「久しいな、二人とも」
「お久しぶりです、スイ様、マオ様」
フーガと共に現れたステュは部屋に入って来るなり花が咲いたような笑みを見せる。
再会くらいでそんなに嬉しそうな顔が出来るとは、なんて純粋な子なんだろうか、とスイも微笑む。
「久しぶり、旅の途中で寄ってくれたのか?」
二人がアルバリウシスを周っている事を知っているスイは何気なく問うが、二人はキョトンとしている。
そして来客はまだいる。
「兄貴!マオさん!元気だったか?」
「ロイ、少し背が伸びたな」
「御機嫌よう、またよろしくね」
「ミラ……いよいよ皆、どうしたんだ?」
不思議そうなスイとマオ。訪れた客達まで目を丸くしている。
その時、部屋の空間が歪み、そこから現れたのはポチに乗ったアランだった。
「やあやあ、お揃いのようで。スイくん、マオくん、君達には言ってなかったけど、危険な旅に出て貰うのだから強力な助っ人を、と思ってね。彼らと共に行くがいい」
「な……皆、それぞれ役割があるだろう。騎士団は大丈夫なのか?研究所は?二人だってまだこの国を見てアランの目となるべきだ」
「気遣い無用さ。スイ、いつまでも君達に頼らずとも、人々はもう皆んな、自分達の頭で考えて成長出来る。君達六人いなくなったところで、アルバリウシスは傾いたりしないよ。だから我々を信じてくれ。海外の事は君達に任せたよ」
頼りになる言葉だ。当人であるミラやロイ達も頷いているから、本当に大丈夫なのだろう。
それなら思う存分楽しんでくるとしよう。
楽しい?
そうか、自分はもしかしたら、この仲間が、旅が、好きなのかもしれない。
でもそれを言うのは照れ臭いから、いつも通り応えよう。
「めんどっちぃけど、任された」
その後、吟遊詩人のユヒトを呼び、このメンバーにメリーを加えて、絵を描いて貰った。
「あ、ユヒト、二枚描いてくれ。同じものを」
「大変な注文だけど、わかりましたよ勇者様!」
彼の絵はとても上手いと王都で評判になっている。アランは「一度描いてもらいたかった」とワクワクしながら彼を呼んだ。
スイもどんなものかと楽しみに被写体になっている。
ああ、そのうち魔力による撮影用カメラも開発されるんだろうな。そんな事を考えながら。
「スイ、さっきの話だけど」
隣のマオに問われて思い出す。
「ああ、父さんに手紙を送ろうと思ってな。頑丈な空き瓶に入れて魔法陣を通せば、水の中に落ちるからどこかに辿り着く。届くかわからないが……いや、届いたら奇跡だが、そんなものに縋るのも悪くないかもしれない」
「それは凄く良いアイデア!この絵もきっと喜んでくれる」
「そこ、お二人。あまり動かないで。勇者様は怠惰なんだから動かない事が得意でしょう」
さすが詩人、見事な皮肉だ。しかしなんたる無礼。
抗議しようとするスイを宥めるマオと、それを見て笑っている仲間達。
そんな幸せそうな様子が、筆先から生まれていく。
手紙は何を書こうか。ボンヤリと考える。
こんな日常の些細な事を、たくさん書こう。
くだらないような小さい事。
ありきたりな出来事。
そこかしこに散らばる物語。
自分の事も、みんなの事も、知らない誰かの事も。
沢山書いてもいいけど、短い方が自分らしくていいな。
再び冒険に出ることも教えたい。また、同じ仲間で。
伝えたい事は沢山あるけれど、だからこそ悩んでしまう。
でも最後に書く言葉だけはもうずっと決まっていたんだ。
たった一言だけど、ただ一つ、皆んなに知っておいて欲しいこと。
俺は今、幸せです
怠惰な勇者〜異世界救いはメンドクサイ〜 木下美月 @mitsukinoshita
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