優しい世界
眩しい白。
優しい白。
暖かい白。
穏やかな白。
少しずつ収まって、軈て世界に色が戻る。
倒れるスイ、支えるミチル。
向こうの壁には、足を投げ出して壁にもたれるリクハート。
「だから君は、甘ったるいんだ」
掠れた声はリクハート。
言いたいことが、スイにはよく分かる。
「私は、まだ、魔法を使える。それに対して、君はもう死にそうだ。さあ、どうする」
トドメを、刺して欲しいのだろうか。
スイはミチルに目配せをし、肩を借りてリクハートの元へ歩く。
少しずつ、近寄る。
「わかってないな。さっきも言った通り、俺は人々の願いを、実現しただけだ。それが、聖剣を持った、勇者の仕事。お前が生きたって事は、共にこれから、歩めると思ったからだろう。俺も、そう思う」
霞んで前が良く見えない。
だから近くに来て、漸くわかった。
リクハートは一つも傷を負っていない。
なんだ、なんて優しい世界なんだ。
スイは笑った。
何度も咳き込みながら、長い間笑った。吐血しても、それもまた面白かった。
俺はこんなに傷だらけなのに、それをした奴は傷付けなくていいのか?
勿論恨んでなどいない。
誰も悪くないし、誰も傷つけたくない。
だからこれは良い事だ。
人々の願いがこもった攻撃は、リクハートに害を与えなかった。
奪ったのは戦意だけ。
或いは、休息を与えたのか。
ああ、きっとそうだな、腑に落ちる。
「リク、お前は、働き過ぎた。俺とは逆で、忙しい奴だ。よく頑張ったな、お疲れ様」
リクハートは眠そうな目でスイを見上げる。
スイはしゃがみこんで目線を合わせた。立っているのが辛いからでもある。
「私は、独りで、ずっと……間違いを続けていたんだ。労いなんていらないよ」
「何を言ってる。この二百年、お前が全て背負っていたんだ。何もかもを独りきりで守ろうとして、いや、事実守ってくれていた。だから……ありがとう。」
スイの言葉がリクハートに届いた時、泣きたくなるほど暖かい気持ちが生まれて。
自分が感謝されたのか。
忌み嫌われ、迫害され、逆襲すれば恐れられ、守ることが出来なければ恨まれていた。
そんな自分が、間違いだと薄々気付きながらも続けていた、人々の事を軽視する様な事を、感謝された。
甘ったるいと罵った自分が恥ずかしい。
彼はもっと高い所にいる。
スイがリクハートを“孤高”だと敬う様に、リクハートもスイを“優麗”だと心を震わせた。
「君達、勇者二人に教えたい事がある」
リクハートは少し目を閉じて、呼吸を整えた。
次に目を開けた時、彼の瞳は強い眼差しをスイとミチルに向けた。
「元の世界に帰りたければ救世の魔法陣で帰れる。魔力が溜まれば発動出来るが、あれは一度の往復で効果を失う。だから帰れば最後、二度とこちらの世界に来る事は叶わない」
唐突に始まった話は、二人にとって重要な事だった。
「次に注意点なんだけど、時間の経過は戻せない。こちらの世界と君達がいた世界、時間の流れ方はそんなに違わないんじゃないかな。だからここにいた分、向こうでも時が経っている」
それはスイも予想していた。ミチルがいなくなった時、ミチルがこの世界に滞在した時間。それらを考えれば時の経ち方は同じだ。そしてそれはミチルとも話してあった。
「次に場所だ。魔法陣は位置を固定している。王城の魔法陣を使用すれば、スイが居た場所に帰れる。魔王城の魔法陣を使用すれば、漆黒の英雄がいた場所に帰れる。因みに場所というのは高度も正確にそのまま、変わらぬ場所に魔法陣が現れると思うから、つまり、時間が経って足場が無くなっていれば落ちるね」
スイはふと、嫌な予感を感じた。ミチルを見上げると、彼の顔も強張っている。
「最後に、エネルギィについて。魔法陣を通れば君達の姿形、力、身に付けていたものは全てここに来る前の状態に戻る。君達のエネルギィは保存されていたって事になるから、世界の時間に関わらず、君達は転移前の状態に戻るのさ」
「それって……」ミチルの声は震えていた。
「例えば、落下途中に魔法陣に吸い込まれたとする。再びその世界に戻れば、落下速度はそのままで、同じ場所に、戻るのか?」
リクハートは当然のように頷く。「もちろん、それもエネルギィだから保存されているよ」
スイも目を見開いたが、ミチルは音を立てて膝をつく。
なんて事だ。帰ったら待っているのは死じゃないか。
じゃあやっぱり、もう家族には会えないのか?
しかしスイはまだ質問を持っていた。
「リク、俺は王城に召喚されたわけだが、魔王城の魔法陣から帰る事は可能か?」
「可能さ。姿形は君のものに戻る。でも、さっきの話の続けだけど、運動エネルギィだけは位置に固定される。つまり、どちらかの魔法陣が落下中に発動したものなら、その魔法陣から帰ればどうやっても落下の衝撃を受ける」
これで確定した。もう運命は変えられないのだ。
諦めたミチルに、スイは言った。
「良かった。父さん、俺の魔法陣から帰るといい。俺のベッドの上に帰れる筈だ……母さんが片付けてなければ、の話だが」スイは笑いながら言う。「まあベッドが片付けられていても、床に落ちるだけだ。俺が静止している状態で魔法陣は発動したからな」
「待てよ!それって、スイは……」
スイは当然のように言う。
「俺はこの世界に残る。ここが好きだ。ここに好きな人達がいる。これ以上の理由があるか?それに前話したけど、母さんにもマサにも挨拶はしてあるんだし」
「スイ……」
あまりにも明るい笑顔でスイが言うから、ミチルは言葉に詰まってしまった。
「まあ、魔力が溜まるまで待たなきゃいけないし、後で話そう。あと何年かかるかな」
それもそうか、と頷きかけたミチルを、リクハートは手で制した。
「話を聞けば、魔王城の魔法陣は使えないようだね?」
スイとミチルは頷く。
「ならば王城の魔法陣を起動させよう。転移者はミチルでいいね?悪いけど時間は与えられない。今こうしている間にも、私の魔力は削られている。そういう魔法なんだ、君の魔法は」
そうだったのか、それにしては元気そうだな、とスイは思うが、その前に意味を理解しかねる言葉があった。
「起動?この魔法陣は、描かれてから発動するまで二百年近くかかったんだろう?人為的に魔力を注いでも相当な年月が必要な筈だ」
「あのね」リクハートは少し面倒くさそうに言う。
「生物の魂っていうのは、普段使っている量とは比較できないくらい大量の魔力を秘めている。だからデミアンは魂を擲って魔法陣を描いたんだ。今の私の魂ならば、その魔法陣を起動させるくらいは出来る。ただ、もうこれ以上時間は与えられない」
「おい……それって」
スイの言葉を待たずして魔法陣が光りだす。
周囲に吹き荒れる風は、砂塵が舞うようにキラキラ輝いている。
「ありがとう。私は今日、初めて自分が報われた気がした。罪は償えないけど、戻らないものは多いけど、せめて役に立たせて欲しい」
お前がそこまでする必要はない。命を無駄にするな。
スイは叫ぼうとするが、リクハートは微笑んで首を振った。
なんだ、そんなに優しい表情も出来るんだな。それならばこれからの世界を、共に生きれる。どうか、これからは、隣で。
そう言おうとしてるのに、言葉が出ない。
風は強くなる。
いつかリクハートが話してくれた、デミアンが魔法陣を描いた時のこと。
デミアンの覚悟にリクハートは手を出せないと言った。それほどの強さがあると言った。
今、リクハートにも同じ強さがある。貫き通そうとしている信念を感じる。
ならば自分達は止めるべきじゃない。
「リク、ありがとう、お前の今までは無駄じゃない。デミアンが遺した魔法も、アリシスが託した世界も、リクが創った魔法も、全て無駄じゃない。全て繋がって今があるんだ。だからこれからは、俺たちが繋げていく。必ず理想を叶えるから、任せてくれ、安心してくれ。そうだ、願いがないか?代わりに何か、俺が果たそう」
「私は……名前を貰った事がないんだ。最期に、私に名前を、つけてくれないか?」
「勿論だ……お前はリクハート・アルバリウシス。この世界を守り続けた栄光を、その名に刻む」
今日、何度も、沢山の魔力を見た。
けれども、その中で一番、綺麗で、暖かくて、優しくて。
そんな魔力だった、リクハートの魂は。
それが本来の、彼なのだろう。
「ありがとう……それからすまないのだけれど、私が消えたらすぐに魔法陣が発動してしまう。ミチルを元の世界へ帰してしまう。だから、ミチルとの挨拶を急いだ方がいい。じゃあ、君達がつくる世界、期待してるよ」
そう言って、風と煌めきだけを残してリクハートは見えなくなった。
「当たり前だリクハート!お前がやったより良い世界をつくるから、父様と見守ってろ!」
マオの返事に応えはなく。それでもどこか満足そうにしているのは、きっとマオだけじゃない。
その時、ミチルの体を光が覆い始める。
「あぁ……スイ。お前、スイは、みんなと会えなくて……」
「いいんだってば。俺は本当に、ここに残りたいんだ。母さんとマサにもそう言っといてくれ。ここに……幸せを見つけることができたって」
マオがスイの隣に来て、ミラとロイも、それからステュとメリーもやって来て。
「それに、何より、父さん。貴方に出会えて本当に良かった。ずっと心に残っていたんだ。でも、この世界で出会って、一緒に過ごし、力を合わせて、お陰で強くなれた。だから俺は旅立てる」
声が出せずに涙だけをいくつも零して。そんなミチルに、マオも声を掛ける。
「ミチル、貴方がこの世界に及ぼした影響は大きい。そして私も貴方に救われた内の一人。どうか忘れないで。私達は皆、貴方の幸せを願っている。貴方も私達の幸せを願ってくれているのなら、その別れは決して辛いものじゃない。お互い、必ず幸福になれる」
ミチルはスイとマオを、二人まとめて抱き締める。
スイは勿論、マオのことも我が子のように大事にしてきた。
共に戦った仲間たちも。
「皆んなも……ありがとう!出会えて、本当に良かった……!」
とうとう薄れていくミチルの体を、やはり寂しそうに見つめるスイだが、今度はミチルが笑いながら言った。
「スイ!この世界を、頼んだぞ!」
「任せろ、父さん」「任せて、父様」
目を丸くして驚くミチルに、スイとマオは無邪気にはにかんだ。
朝を迎える星の様に、少しずつ消える光の中で、祝福するような優しさと、生まれ変わるような新鮮な空気を感じた。
きっとうまくいく。
皆が一つになった瞬間を、忘れずにいれば。
もう誰にも、魔法をかけなくて大丈夫。
スイは転移の門を開き、アランを呼んだ。
痛む手を強く握られ労われたが、戦いを終えたスイとは違い、彼にはこれから頑張って貰わなくてはならない。
仲間に支えられながら、地上の人々から見える場所まで歩いて行く。
一歩ずつ。
この優しい世界を、確かに歩み始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます