勇者の仕事
ヒタヒタヒタ。
冷たい床を歩いてる。
その足音以外に音は無く。
キリキリキリ。
軋むように痛んでる。
その痛覚だけを感じてる。
真っ暗闇で、見つけたもの。
明るい世界で、見つけたもの。
どちらもたくさんあるけれど。
堕ちてる時には何もない。
手放して身軽になったのに。
躰の重さは増している。
それはきっと、手にしたもの達が君の事を支えていたからだ。
誰かが言った。
余計なものが増えれば重くなる。けれど、失くなることで重くなるものもある。
では手放さない方が良かったな。
そう言ったけれど。
もう遅いよ。
そう返ってきた。
不意に寂しくなった。
こんな感情忘れていた。
独りにしてくれと願ったのは君じゃないか。
そうだったろうか。独りになりたいと願うのはどんな時だろうか。
逃げたかったんだろう?
そうかもしれない。ずっと昔から、多くの事を避けて歩いていた。
そうだ、君は弱虫だ。
それは紛れも無い事実。正しすぎて反論の余地がない。
でも、どうして、こんなに辛いのか。
上にいた時の方が痛くて、苦しかった。
なのに今すぐ立ち上がりたい。痛くても構わないから、守りたい。強く強く、そう思う。
ならばそうすればいい。
出来るのか?自分みたいな弱虫に?
出来るけど、役に立たない。でも、何かしなくちゃ変わらない。
そうだな、役に立たなくても、やってみよう。
早く行け、出鱈目に頑張れ。
わかった、行こう。
それからお前、何処かで出会った事あるか?
あるよ。
そうか、もう二度と出会わない事を願っている。
ああ、強くなれよ。
――――――――――
それはミラにとって残酷な戦いだった。
神のような魔法使いに、どうしてただの人である自分の魔法を向けなければならないのか。
なんたる不敬。恐れ多くて、情けなくもある。
こんなもの余興にもならない。
何も面白くないだろう。
それでも生かされているのは、ロイの身体能力強化魔法がリクハートにとって興味深いからで。
自分はおまけで。
それでも生きている限り歯向かい続ける。
無駄でもいい。
諦めた瞬間に、何処か暗い場所へ落ちてしまいそうだから。
「凄いな。呼吸するように使える簡単な魔法だけど、極めればここまで至れるのか。今までは魔力解放の下位互換と認識していたけど、削る魔力に対して強化出来る機能が多いな。非常に良い効率だ」
一瞬の隙も与えぬようにロイは攻め続ける。
呼吸する暇もないんじゃないか。そう思えるほど。
なのにリクハートは魔力解析を行いながら、余裕でロイの剣を凌ぐ。両腕に結界を纏って応戦しているのは、ただ近くで魔法を観察したいからなのだろう。
これっぽっちも脅威になっていないのだ。
屈辱。
ヤケになって魔法を放つ。
しかしミラの魔法は興味の対象外。
リクハートは見向きもせずに結界で防ぐ。
「まあ、私や勇者の様に魔力が多いなら魔力解放を極めた方が強くなれるけどね。これはあくまで獣人に特化した、固有魔法みたいなものだろうか。私には使えないな。いやあ、それにしてもさっきの魔力解放は凄まじかったなあ」
リクハートの雰囲気が変わる。
もう飽きてしまった、そんな空気だった。
容赦の無い攻撃が来る。ミラとロイは体を強張らせる。
「じゃあ、次は私の番だね」
凄まじい魔力。
何も考えたく無い。
この時だけは知能が邪魔になる。
知りたく無い。
相手の強さも測れないくらいの愚か者になれたら、恐怖さえ感じないで済む。
吹き荒れる魔法。
風の様で、
炎の様で、
氷の様で、
土の様で、
雷の様な。
美しい。綺麗だと感じてしまった。
見惚れてしまった。
この魔法に葬られるなら、光栄なのかも。
それ程の畏怖があって。
呆然と立ち尽くすミラ。
諦めてはいけないのに、身体が動かない。
迫る魔法をただ最後まで見つめていて。
「ごめんなさい」
救えなかった事、強くなれなかった事。
もう終わりだと受け入れてしまった事。
だけど、謝罪を受け入れない人がいた。
「謝っても、死んだら、許さねえぞ」
真っ黒い壁で目の前を覆ったミチルは、息も絶え絶えにミラに説教する。
「まだ何も……終わってない!」
血反吐を吐きながら。
不屈の精神力で立ち上がる。
そしてそれは、ミチルだけでない。
「くたばれ……」
未だ闘志を燃やしたままの瞳で、マオはその両手から獄炎を放つ。踊るように舞えば、それに合わせて湾曲し、リクハートにあらゆる角度から襲い掛かる。どんなに結界に阻まれても、燃え尽きる事なく。
「うおおおお!」
ロイもまた、諦めかけていた己を鼓舞する。
瀕死の戦士達に感化されて。
「まだやるか……まあそうすると思ってトドメを刺さなかったんだけどね。手負いの獣が恐ろしいって所、見せてくれるかな」
しかしリクハートはこれまで予想済だったようで、どんなに攻撃しても決して通らない。
「しかしスイは目覚めないのかな。あの魔力解放をもう一度見たかったけど……残念だ」
スイは壁にもたれて俯いたまま動かない。もう無理をしすぎた様だ、魔力だって空だろう。ミラはスイの分まで攻撃の手を増やす。
バリ、バリ、バリ。
戦いの音に混じって不思議な音がする。
だが構っていられない。
余裕が無い。
バリ、バリ、バリ。
しかし退屈そうに攻撃を凌ぐ王は、手を止めて一点を見つめている。
バリ、バリ、バリ。
「……狂ったか?一体何を……」
思わず振り向くと、グッタリしたスイが何かを食している。
口から、血を流しながら。
「ずっと、何に使うか、不思議だったんだ」
それはポーチから出したのだろうか、始まりの日に着ていた白銀の鎧だった。
もう既にほとんど食べ尽くしていて、今は硬そうなチェスト部分に噛り付いている。
「この世界では、愛、なんていう不確かで、宗教みたいに掴み所のない、実在するのかわからないものが重要らしい。それがあれば、大したことの無いローブでも、それなりに強固な防具になるそうだ」
ゴホゴホとむせるスイ。咳に血が混じっている。口内も体内も傷だらけだろう。いくら顎を強化していても、鋼より硬い物を飲み込んでいるのだ。
「では、この鎧は、何故召喚されたのか。答えは簡単だった。受け取るためだ。人々からの、期待、願い、好意や愛も、受け取る。それが鎧を強くするんだ」
リクハートはもう戦いの手を止めて苦笑している。「じゃあその鎧を食べて君は強くなったか?」
「いいや、強くなる為、ではない。それどころか、俺はこの鎧を、滅多に着なかった。だからそもそも、あまり、強い鎧ではない」
だからこそ噛み砕けたわけだがな。スイは笑おうとして再び咳き込む。
「……トドメを刺そうか。見ていられないよ」
リクハートは憐れむ様な目でスイを見ている。
可哀想に、おかしな行動をして、自分の行動の理由もわからないのか。
もう精神までボロボロなのだろう。
幾多もの命を奪ってきたリクハートだが、強く凛としていたスイがここまで壊れてしまったことは、少し不憫に感じていた。そしてそれが自分のせいである為、ケジメをつけようとも。
だが逆に、今度はスイが問い掛ける。「聞こえないのか?」
「何のことを……」
「お前が魔法を解いた、影響だ」
その時に漸く、全員が気が付いた。
外から聞こえる、声援に。
「クソガキィ!しっかり頼んだぞぉ!」
「ちょっと!王都凄い事になってるじゃん!何?スイが戦ってるの?頑張ってよもう!」
「ほらみろ、あの少年は勇者だったじゃないか!この!しっかり勝って飯でも食おう!」
「スイさん!?負けたら承知しないわよ!?勝ったらアタシからのご褒美あげるからね!」
地上にいる人々にはスイの姿が見えなくて、壁にもたれて死にそうなスイにも外の人々が見えなくて。
それでもそこにいて、ハッキリとお互いを認識して、願いを託し託され、応援し応援され、希望の光となり。
ルシウスも、ウェンディも、冒険者ダブルも、アミゴも。
それだけでなく。
「勇者様!必ずご無事で!」
「スイ様!どうか勝って!」
名前も思い出せない依頼主も、挨拶した事もない人々も、皆がスイを応援する。
それは何かを守ろうとする優しい少年に、正義の道しるべになって欲しいから。
「くっ……」
その時スイが苦しむ。胸を押さえて、床に倒れこむ。
「まさか……一人一人から魔力を受け取っているのか!?声に乗って運ばれて、君の体内の鎧が、その魔力を……?」
「ぐ……があぁあ!」
悲痛な叫びがリクハートの問いに答えている様で。仲間達は心配してスイの元へ走る。
「スイ……君は短絡的すぎる。腹の中に魔力を溜め込んだって、それが体内を正常に循環しなければ、その身を滅ぼすだけだぞ?ましては今の君に、魔法発動に耐えられる程の体力などないだろう」
「……なるほど、助かる」
助かる?もう助からないぞ。
リクハートが言おうとするが、直後スイの行動に再び瞠目する。
「ぐがあぁ!」
「スイ!何してるの!?」
手に持った聖剣で、その腹を貫いている。
なんて馬鹿な。
リクハートの呆れに、スイは笑みで返す。
「身体が耐えられなければ、別の媒体を通して魔法を発動すればいい。世界の均衡を保ってくれるのが聖剣なら、俺の魔力と体力のバランスくらい、保ってくれるだろう」
スイは「そうだろう?」と視線を向けながら、ゆっくりと剣を抜く。
もう痛みすら感じない。
現世にいない様な、曖昧な感覚。
それでもこの身は朽ちて居ないのだから、スイは諦めない。
腹から抜かれる剣は、更に輝きを増して、辺りにオーラを撒き散らして眩いほど。
スイの中で暴れていた魔力は、聖剣に移行した。
普段ミラが
「俺たちはどうやってもお前に勝てない。けどそれは、個人、或いは、少人数の場合に限る」
リクハートはもう無表情。スイがその身に受けた魔力を制御出来ている事を理解していた。
「この世界の多くの民は、戦いに巻き込まない様に気を付けていたのだが、それは、俺達のおこがましい配慮でしかなかった。何故なら、この世界の民一人一人が主役で、皆こそがお前と戦うべき者だったからだ」
仲間に支えながらスイは立ち上がる。目を凝らせばまだまだスイの魔力が膨らんで――いや、魔力を受け取っていることがわかる。
「それでも何と戦うべきかわからないから勇者を求めた。そして力が無いから、この剣に託したのだ」
スイは強く言った。「だから!」
「だから俺は、託された願いを叩きつけるためにここにいる。もう思い上がらない。俺はお前みたいな孤高の強さをもっていないし、俺は誰かを守れるほど強く無い。だからただ、皆んなを代表して剣を振るう」
そして大きく振りかぶる。
リクハートも静かに、左掌を突き出す。
最後の足掻きを、見せてみろ。
冷たい瞳の中で、全てを飲み込む様な深淵が、スイを見据えて。
ならば放とう。スイは口を開く。
「極大魔法――」
これは独りでは絶対に辿り着けない魔法の頂き。
そしてスイ自身も二度と使える日は来ないだろう。
今日、この時、リクハートの為だけに使用される。
「――
振り下ろされた剣は碧煌の輝きを解放し、リクハートに襲いかかる。
その光の中に感じたのは畏怖か、それとも尊信、或いは敬愛。
自らが王だと信じていたリクハートにとって、己を圧倒する存在にはただただ平伏するしかなくて。
それは全てを放棄する怠惰にもよく似ていて。
お前は十分働いた。もうゆっくり休め。
そんな慈愛が聞こえてくる様でもあった。
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