敵わない相手

 

 ロイとミラがセバスと対峙している時、スイ達三人も戦闘を開始していた。


「烈火雷光波!」


 荒れ狂う魔力の渦の中で、スイが放つ輝く衝撃波は、真っ直ぐリクハートの元へ届く。


「へえ、なるほど。君の独創魔法オリジナルか。火属性と雷属性で威力を底上げ、光属性はスピードを上げているのかな。強力だね、でも私の元には届かないよ」


 リクハートは呑気に解析しながら左手を差し出す。その指をタクトの様に振るうと、灰色の魔力の波がスイの魔法を飲み込んだ。


「チッ」


 バカげている。規格外の魔力量を、目眩がしそうなほど精密に操作している。

 それによってスイの魔法の未熟な一部を乗っ取られて飲み込まれたのだ。

 生半可なオリジナルでは通用しないということか。


「深淵ノ覇者」


 次に発動したのはミチルの広域魔法。

 リクハートを囲う様に現れた黒紫の魔法陣は真っ黒に染まる。

 闇の上に変わらず立っているリクハートは少し楽しそうにこれから起こる事を待っている。


「葬る手よ」


 ミチルの呼びかけに応じる様に、闇の中から同色の巨大な手が現れる。それはリクハートを叩き潰す様にして振り下ろされ、そのまま闇の中に還っていく。

 だが攻撃を受けたかの様に見えたリクハートは、今も闇の上で立っている。彼の周囲にはいつの間にか結果が張られていた。


「飲み込め、暴食の幽獣」


 ミチルは構わず闇の中に呼びかける。

 次にそこから這い出たのは巨大な口。

 獣の様な鋭利な牙が、自らの泉に迷い込んだ獲物を捕らえようと、リクハートを背後から覆いかぶさる様に丸呑みにした。

 直後、割れる音。

 結界を破壊したのだと理解したマオは、右掌を闇に覆われた場所に向ける。

 闇の中から光が輝き、ミチルの魔法を打ち破った無傷のリクハートが現れるが、そんな事は予想済み。

 無防備なリクハートに向けて、息を吐くのと同じくらい自然に、マオの掌から獄炎が放たれる。

 それを打ち消そうというリクハートの意思がこもった様な灰色の渦が迫ってくるが、その炎は生きた龍の様に曲がり、身をくねらせ、威力を上げながら目標へと迫っていく。


「これは凄いな!まるでドラゴンのブレスじゃないか!さっきの竜化といい、マオは中々成長したね」


 全てを焼き払うほどの業火に狙われているにも関わらず、リクハートはただただ愉快そうに魔法を観察する。

 そして目の前に炎が迫った時、漸く動きを見せた。


「水龍」


 スイは初めて彼の魔法を見た。

 なんて美しい。

 魔法陣も、そこから生まれた魔法も、いや、それ以前に。

 突き出した白い指も、小さく詠唱したその唇も、優しく発音したその声も。

 全てにおいて高貴で、品があり、魅力的。

 魔法が発動する為のプロセス一つ一つをおざなりにはせずに、丁寧に、真摯に、それでいて燃え盛る火炎の様に、或いは塞き止められない濁流の様に強かに。

 そうして現れた水の龍はマオの炎とぶつかり、互いに長い身体を少しずつ消滅させながら、やがて静かになる。辺りに水蒸気を残したまま。


「楽しいよ、実に楽しい!まだまだ隠し玉があるんだろう?見せてくれたまえ!」


 白い靄の中から優雅に歩き姿を現わす孤高の王。

 スイ達にとってここは戦場でも、彼の認識ではここは学芸会程度なのかもしれない。

 君達の今までを魔法で表現してみろ。

 そう言っている様に、スイは感じている。

 この化け物。

 いや、そんな事はわかっていた。わかっていて挑んでいるのだ。

 ならば我武者羅に行こう。


 魔力解放。


 早い内に彼の美しい魔法を見れたのは幸いだった。あれほどの怪物が、魔法に関してだけは大切に、愛おしいものの様に扱うのだ。

 それはすなわち、唯一無二。

 誰よりも長い時間をかけて、誰よりも真剣に、生まれ持った恵まれた才能を伸ばしていったのだ。

 誰も敵うはずがない。奴に生半可な魔法は通用しないのだ。

 しかし構わない。戦いようはいくらでもある。

 現に彼はミチルやマオの魔法を興味深げに眺めている。そして解析しているのだ。

 彼の知らない土俵で戦えば通用する事が必ずある。

 どんなに強い者でも、守りの薄い場所を狙えばそれは有効な攻撃だ。


 スイから溢れ出す碧色の魔力を見て、ミチルは頷く。

 マオも一歩前に出て、指先に炎を灯す。

 面倒なサポートは彼らに任せよう。

 スイは大きく振りかぶって、背中のブーメランを投げる。


「おお、懐かしいな。まさかこれほど強力な武器になっているとは」


 リクハートの感嘆。ルシウスとの過去でも思い出しているのだろうか。

 大きく弧を描いて背後から迫るブーメランを、リクハートは細い身体を僅か動かし、紙一重で躱す。


付与エンチャント


 ブーメランは躱されてもスイの手元に戻る事はなく、青い稲妻を輝かせたまま、その上から炎の竜巻を纏う――マオの付与魔法の効果だ。

 そして常にリクハートを斬り裂かんと、或いは燃やし尽くそうと追い続ける。

 一方リクハートは風の魔法でも使っているのか、僅かに攻撃を逸らし、偶に自らの身体を動かして、楽に凌いでいる。

 いつまで余裕でいられるのか。

 遂にスイはリクハートに接近する。右手で抜き放った聖剣で彼の胸を突き刺さんと、捨て身のタックル。

 とらえたのは無色透明の結界。貫く事はかなわず、勢いは止まり、その場に足をつく。

 だが結界は砕けた。

 ノーモーションで自らを守る結界を形作る彼だから、この瞬間からは寸分たりとも余裕を与えない。

 振り払い。

 ブーメランの攻撃に合わせて踏み込み。

 避けられても構わない。

 その足元からは炎の柱。マオの補助だ。

 次に踏み込んだ場所には剣の刺突。

 完璧な連携。

 攻撃が敵に届く事はないが、時間は整う。


「待たせたな。準備できたぜ」


 スイは後ろを振り返らずとも、ミチルの顔に笑みが浮かんでいる事を知っている。

 これが隠し玉。

 リクハートに手の内を知られる前に発動出来たことは重畳といえる。


「それでは、最高の旅へご案内」


 この広い王室全体を覆うほど大きな紫色の魔法陣。

 それは強く光り輝き、ミチルの詠唱によって完成される巨大な世界。


闇色世界ブラックワールド鎮魔歌レクイエム


 広がったのは暗闇。床も壁も何もなくなった黒い世界に、たった二人、スイとリクハートだけがいた。


「ん?魔力が……鎮められたのか?しかし何故君は魔力解放を維持していられる?この効果は空間の影響ではなく、対象を選択できるのか?」


 知らない魔法に興味を示すリクハート。

 彼の言う通り、この世界に閉じ込められた者は魔力を鎮められ、魔法を操る事が出来なくなる。

 では何故スイにその影響はないのか。

 これは実は誰にもわかっていないのだが、スイは密かに聖剣が闇の力を打ち消しているのではないかと考えている。

 理由がどうあれ、スイはお喋りするつもりはない。

 そんな余裕も無ければ、確信を持って説明出来るほど物知りではないのだ。


 この空間で己がすべき事。

 それだけに意識を向けて、スイは剣を振るう。

 振り下ろし、横薙ぎ、返す刃で引き斬り、小さく刺突。

 相手の動きは見ていない。

 躱したり、手で受けているようでもある。聖剣で斬れない腕という事は、何か仕込んであるのか。

 いや、どうでもいい。

 瑣末な事だと、あらゆる思考が頭から離れていく。

 ここにあるのは、青い稲妻を纏った躰。

 軽さと速さはどれくらい?

 手に持った剣の長さは?

 いや、これは身体の一部だ。

 他の情報も全てを知っている。

 この頭が、この胸が、この腕が、手が、指が。

 踏み込んだ足から生まれるエネルギィの値までも、この勘が全て知っている。

 ならば意識はいらない。

 踊ろう。

 これほど昂ぶっているんだ。

 煌めく星は、闇が深いほどよく目立つ。

 この世界でも同じ。

 輝こう。

 光の強さが自己の強さだと主張する様に。


「すごい……凄いよ!なんて輝きだ!魔力解放の上位互換?変換効率は、もしかして百を超えているのか!?ぐっ、速い、しかもなんてパワーだ!想像以上だ!」


 魔法ばかりと戯れていたリクハートは、シンプルな魔力解放の先に在る境地を知らなかったようだ。


 “魔力解放・碧煌”


 スイだけが纏える、碧い稲妻。それこそスイの魔力の質で、それを極めた先には、どこに至る事が出来るのか。

 そうして辿り着いたのが、碧と黄金の稲妻を纏う魔法。まるで自分を膨大な魔力の一部の様に変幻自在に操るオリジナル。


 変わらずダメージを受けないリクハートだが、明らかに余裕が少なくなっている。

 もっとも今のスイは、そんなくだらない観察を行っていない。


 ただ踊る。

 水が低いところへ流れる様に、

 星が広大な宇宙を流れる様に、

 時が一定の方向に流れる様に。


 そしてこの闇色世界ダンスフロアの創造神は、踊り子にただ一人ステップを踏ませるなんて寂しい事をさせない。


 起動準備完了。

 我は現在から破壊神なり。

 言葉に反応して、世界に穴が空く。

 二人を閉じ込めた空間に光が射した。

 そう思ったのも束の間。

 漆黒の稲妻を纏った紅蓮の焔が真っ直ぐに降りてきて。

 合成魔法。

 まるで闇の炎。


 そしてスイはその強大な魔法にすら意識を向けない。

 意識を向けずに、変わらず剣を振るう。

 変わらぬ速さ。

 変わらぬ力。

 それでもその“時”を待っていたかの様に、知っていたかの様に、聖剣は碧煌を膨れ上がらせて。

 ペースを乱さず、何も求めず、何も目指さず。

 そうして振るわれた無の剣は、まさに唯一無二の斬撃を放ち、それと同時に闇の炎がリクハートに刺さった。


 二人の合成魔法と、一人の聖剣撃。

 それを直撃したリクハートは。

 しかしそれを確認する前に、激しい力で三人は吹き飛ばされる。


「はは、はっはっは!本当に驚いた、やるじゃないか。思わず解放してしまったよ」


 なんと、無傷。

 彼は受ける直前に闇色世界を破り、全ての攻撃に迎撃していたのだ。

 魔法が使えなかったはずなのに、一体なぜ。

 その答えは簡単で。


「驚いた顔をしてるけど忘れていたのかい?ほら、アルバリウシスに掛けていた魔法を解いてしまったんだ。恒常的に魔力を持って行かれていたからね、その力を君達の対応の為に使ってしまった。誇っていいよ、それほど強力な攻撃だった」


 彼はずっと、リクハートの箱庭を維持したままで戦っていたのだ。それはつまり、魔力の大部分に手を付けていなかったという事。

 リクハートが全ての魔力を解放すれば、闇色世界も簡単に破られてしまうのだ。


 なんて出鱈目。


 繊細な魔法を扱うと思えば、とんでもない力技で対抗して来たり。

 この天才をいったいどうすればいい?


「でも、流石にもうおしまいだよね。楽しかったけどそんなもんか。最後に私の全力で君達を攻撃するから、どうか見事な防衛魔法でも見せてごらんよ」


 そこからは一方的な蹂躙。

 偶にリクハートが目を見張る場面もあったが、膨大な力の前に為すすべなく。


 無念。

 絶望。

 激痛。

 悲鳴。

 恐怖。

 諦念。


 もはやこれまでか。

 やはり自分達は不正解?

 嫌だ。

 死にたくない。

 証明を。

 正しさの証明を。

 正義を勝たせて。

 偽善者を倒して。

 誰か助けて。


「嘘……でしょ……」


 ミラか?

 ロイもいる?

 目が開かない。

 ああだめだ。

 来るな。

 助けなくていい。

 父さんとマオを連れて逃げてくれ。

 声が出ない。

 無理だ。

 やめろ。

 誰も倒せない。

 無力感。

 見ないでくれ。

 情けなくて。

 怖い。

 失う事が。

 もう手放したくない。

 近寄らないでくれ。

 折角出会えたのに。

 引き裂かないで。

 離れたくない。

 ああわかった。

 もう何もいらないから。

 もう何も望まないから、

 俺が間違っていたと認めるから、

 こんなに酷い最期くらい、

 せめて、

 どうか、

 頼むから、

 独りにしてくれ……。

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