始まり、出会い

 

 少し裕福な家庭で彼は生まれた。

 病的なまでに白い肌、尖った耳と漆黒の瞳と髪。本人が自覚するのはずっと後になるが、人族ではあり得ないほどの魔力量。

 当時まだ魔族が発見されておらず、亜人の存在も広くは知れ渡っていなかった。

 そんな時代に人間の親を持った亜人は、死よりも苦しい生を過ごす。


『都市フォート』

 人魔戦争後に要塞都市フォートとなる、大陸の北にある都市で、リクハートは育った。

 幼少期の記憶は悲惨な事ばかりだ。

 いつもボロ布を纏い、家の清掃をしていた事ばかりが思い出される。そうではない時は、屋内の練習場で、人間の兄から一方的に暴行を受けていた。

 だが幼いリクハートは自分が奇形児なんだと諦め、悲しみ、理不尽に怒る事は無かった。

 外の世界を知る機会もなく、人族の家庭で奴隷の様に囚われたまま月日を重ねた。


 ――自分も家族と変わらぬ姿で生まれたかった。同じ食卓で同じ物を食べて、両親と、兄弟と、談笑を交わしてみたかった。

 残飯を急いで口に詰める日々で、何度そう思った事か。

 全て自分が悪い。

 生まれた事を悔やみ、家族に謝意を持ちながら生の中で尽くす。

 これだけがリクハートの道であった。


 だが、転機は訪れる。

 幼い亜人の小さな行動が、軈て世界を変えるなど、この時は誰も想像できなかった。


 醜い姿を外から見られてはいけないから、窓に近寄ってはならない。常々厳しく言われていた事を破った理由など、今となっては思い出せない。

 まさに運命の導き。

 心地よい空気が漂う方向に身を乗り出す。

 何かがあるのか、いるのか。

 学を与えられなかったリクハートの、無数の好奇心の中で最も大きな興味。

 今まで想像する事もタブーだった欲望が押し上げてくる。


 ――行ってみたい。


 この囚われの箱の外に。

 何かと出会える、その場所に。


 自分の願望を理解した少年には、明日の生活を考える余裕も無かった。

 開き方の分からない窓を叩き割り、足をかける。


「おい!何をしている!」


 音を聞いて走ってきた父の手を振り払い、脚に力を込める。


「待て!出来損ない!」


 もはや何も耳に入らず、二階から少年は跳んだ。


 ――なんだ、世界はこんなにも広くて、近かった。


 生まれて初めて浴びた外の空気、太陽の光。

 その気持ち良さを堪能するあまり、都市の人々の悲鳴もどこ吹く風で。


 知らなかった。

 身体がこんなに軽いなんて。

 後に知ることになるが、この時がリクハートの魔力が開花した時だ。

 魔力の存在すら知らない当時の彼は、無我夢中で人外の跳躍力に行き先を委ねる。


 そうして容易く関所を越えた先、向こう側の大陸とこちら側の大陸をつなぐ様に浮かび上がった大地の上で、彼を見つけた。

 姿形はまるで人間の少年。

 黒髪黒目で人形の様に綺麗な顔だ。

 しかし、その雰囲気は人よりも高位にある。

 そう、人間より優れているのだ。

 それなのに、少年は目の前の人間から攻撃を受けていた。


「来るな化け物!」


 これが初めて魔族が発見された時。

 一人の冒険者が膨大な魔力量に怯え、悲しそうな表情を見せる魔族の少年を一方的に嬲ろうとした時だ。

 尤も、力の差が大きく、少年には一切の傷も与えられていない。皮肉だが、この現実が魔族に対する恐怖を増幅させたのであった。


 軈て冒険者が逃げ帰った後、全てを見届けたリクハートが少年の前に歩み寄った。

 しかし何を言うべきか。

 引き寄せられて来たものの、コミュニケーションの取り方を知らないリクハートは少し迷った。

 漸く開いた口が言ったのは初の自己紹介であり、思い付いただけの、自分自身で付けた名前だった。


「……私はリクハートだ」


「……!僕はデミアンだ!」



 二人はとても気が合った。



「北の大陸には僕らみたいな者が多く住んでるみたいだな」

「私は家族に奇形児として疎まれ続けていたが……私らの様な者が集まった集落などもあるのだろうか?」

「人族から生まれたのか……苦労を察する。僕も始まったばかりだから世界を知りたい。共に旅をしよう」



 二人は何処でも歩いた。北も南も、東も西も。時に魔物に襲われ、時に人族に攻撃されて。

 だが、その度に二人は強くなって行ったし、歩く程に見聞は広まった。



「私らみたいな者は意外に多いんだな」

「そうだな、総称して“亜人”と呼ばれている様だ。その中でも僕は魔族。君は……なんだろうか?」

「北の大陸に私と似たのがいたじゃないか。エルフだったか?」

「うーん、確かに……しかし、似て非なる様な……」

「それよりデミアンの生まれは?」

「僕は運が良かったのだろう。気付けば存在していたのだから。場所は北の大陸の最北端。これはあくまで想像の話になるが、僕は魔物から進化したんじゃないかと考えている。僕にはたてつかない魔物が多いし、魔力の質も、奴らと慣れ親しんだものを感じる」



 誰も知らない様な沢山の“魔法”を創り出したデミアンに教わりながら、時にリクハートも魔法を創り出しながら、二人は力や知識を共有していった。



「やはりリクハートも魔力の扱いに長けているし、量も尋常ではない。魔族と呼ぶのが適してるだろうか」

「そんな事どうだっていいさ。この世界には虐げる者達と、虐げられる者達、この二種族しかいないんだ」

「中々言い得ているな」



 生みの親に従順であったリクハートだが、時を重ねる毎に世界の見方は大きく変わっていった。



「おい、デミアン……今の見ただろう?」

「……ああ、人の街では亜人族は奴隷にされる。汚い欲を満たす為、労働させる為。主人の身を守る為に身代わりの盾になって死ぬ者も多い。……リクハートも労働奴隷だったのだろう?」

「ああ……今考えれば酷い生活だった。……彼らを助けられないか?」

「……あの街は他と比べても特に奴隷が多いみたいだな。街中の家をひっくり返せば沢山の亜人が見つかるだろう。……だけど、そうする事でまた人族は僕たち魔族を恐れ、敵対する。僕は出来れば、全ての種族が隔たりなく暮らせる世界になって欲しいんだけど……」

「デミアン……何を言ってるんだ?人族の、亜人族に対する仕打ちを考えれば、そんな世界は非現実的だってわかるだろう?」

「……!そ、そうだな」



 皆と手を取り合いたいデミアンと、虐げられる者達を助けたいリクハート。

 この世界において似た境遇の彼らだが、僅かにズレた目的のせいで、歩み続けた先、遠い未来で二人は離別する。

 尤もそれは、この時の二人が知る由も無い悲劇である。



「結局……全壊だな」

「彼らの苦痛を考えれば当然の結末だろう」

 二人は焼ける街と人族の死体の山、それから解放された亜人達を見つめた。

「大陸の北には人族がほとんどいない。お前達、安心した生活を送りたければ共に来ないか?」

 二人を希望だと顔を輝かせる者も、暗い表情が染み込んでしまった者も、リクハートの言葉を熟孝する。

「そうか、お前達は家族を救いに行くか。高尚な精神だ。その後は北に避難した方が良い。魔素が濃いから魔物も強く、人族にとって居心地の悪い環境だからだ」


 そうして何人かの亜人を残し、他の者達を連れ帰り。

 二人はこんな活動を何年も続けた。



「なあデミアン。私達も国をつくらないか?亜人族も多数避難してきたし、今の様な集落暮らしは見窄らしいだろう」

「国か……しかし勢力をつけ発展する亜人族を、人族が放っておく事はないんじゃないか?」

「私達は決して潰されない。私とデミアンがいれば人族に思い知らせる事が出来るだろう。亜人の強さを。奴らがそれを認めないなら、打ち倒すのみだ」

「……本当に僕達は人族と分かり合えないのだろうか」


 北大陸の最北端、海岸を歩きながら二人は思案する。


「デミアンの望みだから私も出来る限りは叶えたいと思う。だが、沢山の人間を見てきただろう?どいつもこいつも……。デミアン、お前が王になれ。亜人族が暮らす国、“魔国”を建国するんだ。人族の王と手を取り合えるなら君の本望だし、それが出来ないなら――この世界に王は一人で十分だ。君が魔王となり、この世界の全てを支配するんだ」


 リクハートはデミアンに多大な信頼を寄せていた。

 何せ屋敷に囚われていた少年が、初めて出会った“友”である。この友と世界を共に歩き、嘘偽りなく語ってきたのだ。

 デミアンが統べる世界ならば、心正しい者が笑える場所になるだろう。今の様な、心穢れた者が醜悪的な笑みを浮かべる世界よりもずっと良い――


「マオー?」

「「――ッ!」」


 二人の死角から聞こえた声。既にこの世界で上位の力を身に付けていた二人だが、感知出来なかった気配に同時に身構える。


「……子供?」


 だが目の前にいたのは幼い少女。構えを解いた二人は目を丸くする。


「血まみれだな……君、言語を理解しているかい?」


 真っ白な肌を返り血で染め、それと同じ真紅の瞳をもった少女は、首を傾げて黒髪を垂らした。


「リクハート、この子はもしかして……僕と同じかもしれない。あの洞窟から出て来たのだろう。ついさっきまで魔物だったのかもしれない」


「ふむ……およそ人間では無い姿勢だし、その推測には私も肯定だ」


 人間にしか見えない外見ではあるが、少女は犬の様に座り、あどけない表情で二人を見上げる。

 そしてデミアンをジッと見つめた後言った。


「……とーさま!」

「え?」

「デミアン、子供が居たのか」

「マオー!」

「いや、魔王は私じゃない」

「リクハート、この子を育てよう。勿論、僕は父ではないけど。名前は……この子の第一声からとって、マオだな。よろしくな」

「ヨロシク、とーさま、マオーさま」

「……躾は頼んだぞ、とーさま」




 少しずつ魔族の出生率も高くなり、北大陸にいくつもの集落が出来、それは年月をかけて発展し、デミアンはそれを受けて決心し、遂には自らの城を築いた。


「荘厳だな……これぞ魔王城」

「でも僕は態々他の町や村を統治するつもりはない。今まで通り皆んなが助け合って生きていければ、誰かが上に立つ必要なんて無いんだ。特に人族の貴族制度なんて絶対に不要さ。……しかしここ数十年、やけに静かだったな」


 デミアンやマオ、その他幾人もの亜人族で魔王城と都を建設している傍ら、リクハートは何度か人族が住む南の大陸へ訪れていた。

 時には人間に化けながら、時には亜人族を救う為に戦う事もあり。

 北の大陸を訪れた人族の冒険者を、一人残らず消していたのもリクハートだ。

 しかしこれらのことはデミアンに話していない。

 軈て人族総出で押し寄せてくる可能性も考えたが、それでもリクハートは幸福なひと時を邪魔されたくなかった。


「これからも静かに暮らせるとは限らない。幾つかの地方に実力者を送ろう。平和ボケしないように皆を鍛えるんだ。人族の敵意に抗えなければ昔の様に囚われの生活に逆戻りさ」


 デミアンと出会ってから何十年も過ぎた。しかし、未だにリクハートは思い出す。

 実の子供に何も教えず、理不尽を正当化し、身体を傷付け精神を害し、極限の労働を強いて。急いで詰め込んだ残飯の不味さだって思い出せる。

 どんなに幸福を重ねても、傷は消えない。

 自分と同じ様な者が沢山いる。

 願わくば、皆を助けたい。

 その為に人族と全面的にぶつかるならば、構わない。

 人族の町で拾った絵本では、亜人族が悪者として描かれていた。そういった常識を刷り込ませる事で、人間は自分を正当化した上で悪を犯すのだ。

 分かり合えないし、分かり合いたくもない。

 デミアンは北の大陸で生まれたから分からないのだろうが、人族と手を取り合う事など不可能だ。

 だから戦争は必ず起こる。

 幾つかの街を潰してしまったし、それは免れないだろう。

 備えるのだ。

 亜人族が前を向いて歩ける世界を目指して。



「リクハートおじちゃん」

「おじちゃんじゃない」


 魔王城を見上げる二人の元へ駆けて来たマオの外見は、出会った当初より少しだけ成長していたが、数十年経ったこの時でも、まだ少女と呼べる程度だ。しかし老いない外見は二人も同じ。


「人間の大陸の北東にエルフの里が出来たみたい」

「……遠視魔法で見たのか?」


 リクハートの問いかけに「そうだよ」と頷くマオ。

 並みの魔族では出来ない事を平然とやってのけるのは、デミアンの教育のお陰か、マオの才能か。


「因みに北西には獣族がいたよ」

「もしかして私達が救った亜人らが、避難した場所で里をつくったのか?」

「確かに北に行けと言ったけど……こっちの大陸に連れて来るかい?」

「いや、西には山が、東には森が広がっていただろう?どちらも濃い魔素に当てられた凶暴な魔物が生息している。矮小な人間では越えられないだろうから、安全ではある筈さ。まあ、近いうちに様子を見に行ってみるよ」




 この後にリクハートはルシウスと出会う事になる。

 そして戦争の予感を感じたのもこの時期だ。尤もそれはリクハートだけではない。


「キナ臭いよな。向こうの大陸で何か企んでいるのだろうか……リクハート知ってるか?」

「さあ……いよいよ仕掛けて来るかもね」

「僕は……争いたくはないな。けど人族が侵攻してきたら、守る為に力を振るう……もどかしいよ。思い通りに行かない望みが」


 デミアンとは永く共に暮らしていたが、彼の望みだけが唯一共感出来なかった。


 ――人族との共存。


 リクハートには、その先に亜人族の幸せがあるとは到底思えなかった。


「はは、理解できないって顔してるな?まあ、僕も正直なところ何が正解なのか不安になっている。ただ、明らかに間違いである現状を打破する為に……僕も覚悟を決めないとな」




 そして遂に、人族は総戦力で押し寄せて来た。

「北大陸の亜人族を殲滅するつもりか」

 リクハートの忌々しげな呟きは、共に偵察に来ていた魔族の一人を震え上がらせた。それ程憎しみが籠っていた。


「全亜人族に告ぐ!下劣な人族どもが我々を、北大陸を蹂躙しようと攻めて来た!大陸最南、大陸を繋ぐ大地の上で食い止める!尊厳を踏み躙られ、己を惨めだと絶望したあの日々に戻りたくなければ、人族より優れたその力を、今こそ振るうんだ!!」


 リクハートの規格外の魔力により、北大陸の全亜人族に通信魔法で情報を知らせた。


 その後リクハートは遠目から、魔法だけで人族の足を止める。先陣を切る者達を炎で焼き尽くし、その後に続く列に雷を落とし、それはまさに地獄絵図。

 神の怒りに触れた生命体が行き着く終着点。


「烏合の衆が」


 リクハートにとって、人族の殆どは警戒すら必要ない。

 だがそんな脆弱な生物達が集まり、知恵を絞り、無抵抗な別種族を蹂躙する、この事実がどうしようもなく腹が立った。

 そして決して強くはない力でも、圧倒的な数の所為で亜人達が傷付けられる、この悔しさも許せなかった。


「リクハートおじちゃん!あれが人族なんだね……」


 リクハートの声を聞いた亜人達がやって来て、彼らは直ぐに人族の前へ躍り出た。

 先頭にいた少女は膨大な魔法を放ってからリクハートの元で止まった。


「マオか。目に焼き付けておくんだ。奴らがこの世界に蔓延る害悪。知性があっても頭が固いから、私達の話など通じないんだ。共に過ごして来た仲間達を守りたければ、奴らを叩き潰すしかない」


「確かにアレと手を取り合うのは難解……」と呟くマオを見てリクハートは思い出した。


「デミアンはまだ来ないのか?マオより足が遅いって事はないだろうに」

「お父様は魔王城でやる事があるって。でもすぐ来るって言ってたから……あ!」


 その時二人は頭上を、遥か上空を高スピードで過ぎ去る者を見つけた。

 視力の良い彼らにはすぐわかった。


「デミアン!人族の王城へ向かっているのか?一体何を……」

「おじちゃん!こっちが押されてるよ!人族の大陸にいる亜人は加勢してくれないの?」

「くそ……あいつらは我関せずを貫いている。私達で対処するしかないんだ」


 話しながらも魔法を放ち続ける二人。

 しかしリクハートの攻撃は、一人で南に向かった友の事が気掛かりで乱れていた。


「おじちゃん!まだまだ亜人族は応援が来る、私もいるし大丈夫!お父様を追っていいよ!」

「……感謝する。それと、私はおじちゃんじゃない」


 実力がある小さな少女にこの場を任せ、リクハートは飛行魔法で空を駆ける。


 デミアンは自分から人族に仕掛ける事は決して無かったし、リクハートにもそれをさせなかった。

 しかし仲間である亜人が関わってくる時だけは、やむを得ないと力を振るった。

 そうして亜人を救う為に、人族の街を幾つも破壊した。

 だからリクハートはこの戦争をチャンスだと思った。

 人族の侵攻から仲間を守る。これを大義名分にして人族を叩き潰そう。それがリクハートの企みであった。


「しかしデミアンがいなければ厳しい戦いだ……」


 矮小な人族だが、その中でも優れた者は何人かいる。彼らが集えば、リクハートと言えども無事を確信できない。


 後方の争いの音を聞きながら、前方の王城を目指す。

「覚悟を決める」と言っていた友は、何を決意して何を成そうとしているのか。


 その時、目指していた王城が光を帯びた。


 リクハートは速度を上げ、膨大な魔力が渦巻いている部屋に飛び込んだ。

 窓を割る大きな音を響かせながら転がり込んだ場所には、追いかけていた友の姿と、人族の王アリシス、騎士団長のロマネスが揃っていた。


「リクハート……すまない」


 片膝をついて重力に耐えているロマネスと、何かを覚悟した様なアリシスの表情を見て、既に一悶着あったのだろうと悟った。


「デミアン、一体何をしようって言うんだ?……その膨大な魔力は……この魔法陣は?いや……そんな事より、それ以上魔力を使うな。死んでしまうぞ」


 外を見れば、王城を覆う程巨大な魔法陣が展開されていた。

 光り輝く渦の中心にいるデミアンを止めようと手を伸ばす。


「リクハート、僕は……この世界の歪みを正したいんだ。君の辛い過去は知ってるけど、虐げられたから復讐するなんて、僕は認めたくない」


 より一層強まる力に、リクハートはたじろぐ。


「“救世の魔法陣”って知ってるか?実はメール鳩を使って、海の向こうの知らない国の者と何通かやり取りしたんだ。彼が教えてくれたのは、世界の均衡を保つ為の召喚魔法陣。これによって召喚された勇者は、術者の意思を継いで、世界の汚点を浄化してくれるんだ」


 知らなかった。海の向こうに国がある事も、救世の魔法陣の術式も。

 リクハートは一切知らされていなかった情報に戸惑った。


「はは、自分達の世界の事を未だ見ぬ召喚者に委ねるなんて……情けないよな。でも、僕達は無力だったんだ。僕も、リクハートも、そこの人族の王も。だからせめて……未来のアルバリウシスの為になる魔法陣を残しておこうと思ってね。この王城と、魔王城に。二人の勇者に、僕の全てを受け継いでもらう」


 その瞬間、天高くに伸びる光の柱に包まれた。それはリクハート達がいる王城と、誰もいない魔王城からも放たれていた。


「いつの間にこんな事を……デミアン、ずっと計画していたのか?戦争の混乱に乗じて王城に乗り込み、救世の魔法陣を残す事を」


「リクハート……君だって、戦争を建前にして人族を殲滅する気だったじゃないか」


 淋しげな瞳に見られて、リクハートは言葉を失った。

 ずっと、二人はすれ違っていたのだ。

 そしてお互いがそれをわかっていた。

 わかっていながらも知らないふりをして、共に過ごして来た。

 共に過ごして来たのに、異なる望みの所為で共有できる情報は多くなかったのだ。


「認められるかよ……どうして……何故お前が犠牲になる必要があるんだ!!既に戦いは始まっている!私達がやるべき事は、参戦し、犠牲になる亜人族を減らす事だろう!私利私欲の為に私達を嬲ろうとする人族など、死んで当然!なのにその人族と均衡を取る為にお前の全魔力を、命を犠牲にする必要が……あるわけないだろう!!」


 悔しかった。

 わかって貰えなかった事が。

 全幅の信頼を寄せて貰えなかった事が。

 許せなかった。

 勝手に自らを生贄にしようとしている事が。


 リクハートが見てきたデミアンの中で、最も強大で、途轍ない魔力量だが、リクハートも負けるつもりは無かった。

 必ず止めてやる。

 こんな別れは許さない。

 そんな強い意志で、リクハートも魔力を解放し、術式解除を行おうとデミアンに近付く。

 だが――


「リクハート」

「――ッ!」


 初めて恐怖を感じた。

 自らを虐げてきた人族でも、理性の無い魔物でもなく、最も長い時間を過ごして来た友に対して。

 きっと、止める事は出来る。

 力は負けていない。

 それなのに、もう動けなかった。

 デミアンが言っていた“覚悟”の大きさを、この時に初めて知ったのだ。


「初めて人族に会った時、僕は何度も攻撃を受けた。自分は生きていてはいけないんだと思った。でもその後直ぐに君と出会った。僕とよく似た君に。お陰で、風当たりが強い世界でも生きていける事を知ったよ。共に仲間を救い出した時は感動したよ。……ただ、人を殺したのは……間違いだった」


 一層強くなった光に、渦巻く風に、リクハートの視界は悪くなる。


「出来るだけ間違いを犯さない勇者が召喚されたら良いな……人にも、亜人にも優しい……そんな人が世界を救ってくれたらな……」


「おい……デミアン……まだいるんだろう?いかないでくれ……」


「僕が消えたら、マオの事を頼んだよ。魔国の亜人達も守ってやってくれ。そして……出来る限り人族に手を掛けないで欲しい。勇者が創る世界に賭けてみようよ……」


 そして収束した光が一際輝いた後、


「さようなら――我が友リクハートよ」


 声だけを残して、霧散した光の粒と一緒に消えてしまったデミアンの姿。


「……あぁ」


 ――なんて結末だ。

 私はこんな事を望んでいない。

 どうして勝手な事を。

 知らない勇者より、禄でもない世界より、リクハートにとって大切なのはデミアンだけなのに。


「う……そ……リクハート……」


 振り返れば、夕刻の紅色の空を背景に、似た色の瞳を持った少女が震えていた。


「見てたのか……マオ」


「止められたんじゃないの?ねえ、お父様は……ねえ、貴方に……任せたのに……」


  「分かり合えなかった……どうする事も出来なかったんだ」


「お前がそれを言うか……!父様を、返せよ!」


 何もかも、どうでもよかった。

 生まれた家を飛び出して、デミアンと出会えた。それが希望の始まりだった。

 しかし百年経って、デミアンはいなくなった。

 百年越しに独りぼっちになってしまったリクハートは、家を飛び出したまま誰とも出会えずに途方に暮れる、そんな錯覚に陥ってしまった。


「私にはもう……誰も必要ない」


 少女の背後に魔法陣を展開する。

 マオに一歩ずつ近寄る。


「父様の犠牲に対して出た答えが、それなのか?父様だって、お前の事いつも話していたのに……少なくとも父様は、お前の事を分かろうとしていたのに!」


 落としていた視線を前へ向けた。

 目に映ったのは、怯えた少女の表情。


「マオ、うるさい。二度と会いに来るな」


 石のように固まった少女の肩を押すと、彼女は背後の魔法陣に吸い込まれていった。

 その転移魔法陣の先にある魔王城の室内に落ちる直前、恨みの篭った表情でマオは叫んだ。


「お前が父様の思想を理解出来ないなら、私は必ず仇を打ちに来る!父様が望む世界に、お前は邪魔だリクハート!」


 マオを通してから閉じ、消えた魔法陣。後に残ったのは静けさだけ。

 友に別れを告げられ、友が大事にしていた少女にも敵意を向けられ、もうリクハートの隣には誰も残っていなかった。



「…………騎士団長は赤子を連れて逃げたか」

「……!どうか、彼らだけは見逃して欲しい……我が全ての罪を償う!」


 首だけで振り返り、蚊帳の外であったアリシスに視線を送る。


「いいよ、もう……興味無い」


 まるで少年時代に戻ったかのような、力無い瞳でリクハートは床に座り込んだ。

 アリシスはリクハートをどうするわけでもなく、ただその場に突っ立ったまま話し始めた。


「……デミアンと言ったな、先の者は。彼は手薄になった王城に突然現れ魔法陣を展開した。騎士団長ロマネスの抵抗も虚しく、我々は為すすべなく、見届けるしか出来なかった。魔族の少年は我の質問に答えることもしなかった。そうだな……まるで、今まで魔族の事を良く知りもせずに攻撃していた、そんな人族に対する当てつけの様だった」


 デミアンとリクハートは過去に一度だけ、亜人の姿のままこの王城に訪れた事があった。

 デミアンの願いで「人の王と話がしたい」との事だったが、城門の門衛は二人が人族の所有物では無い事を知ると、武器を振るって捕らえようとした。

 これがこの世界なのだ。

 異質な者に人と同等の権利は与えられない。

 それ以降、デミアンは人族に会いたいと言わなくなった。

 思い返せばデミアンも世界を憂い、人を恨んでいた。

 ただ、リクハートと決定的に違う事は、命に対する価値観だったのだ。

 全てを守りたいデミアンと、人の命を安易に捨て去るリクハート。

 二人は違う。

 なら何故彼を王にしようとしたのか。


「リクハートよ。我は今更命乞いなどせん。今のお主らの悶着で、人族では到底太刀打ちできぬ事も悟った。亜人が……魔族がこれ程強大だとは、人族は見誤っていた。特にお主とデミアンの存在は規格外だ。今戦っている戦士達には悪いが……お主には我らの未来に影響を与えるだけの力がある。先も言った通り、我らは罪を償う必要がある」


 人族の王アリシスにも、デミアンと同じ様に大きな覚悟があるのだろうか。リクハートはそんな疑問をぼやけた頭に浮かべながら見つめていた。

 対するアリシスは、一際力強い瞳でリクハートを見据えて言った。


「簡明直截に言おう。我の代わりに、この国を、いや、この世界を統べてくれ」


「……私には力がある。お前に頼まれなくても、無理矢理全人族を殺す事も出来る。亜人だけの世界を創る事が出来る」


「勿論そうしてくれて構わない。しかしお主はそれをしない。デミアンが遺した願いをなおざりにはしないだろう?」


「面倒くさいな、お前の言う通りだよ」


 アリシスは一息置いた後、部屋の中を歩き回った。


「リクハートよ。お主は義理堅く、優しい。心眼で物事を見る事が出来るのだろう。虐げられた亜人達は強い心で今を生きている。その美しさをお主は守ろうとしているのだろう?故に敵対する人族を殺す事を厭わない。そこが先の少年と食い違ったのだろう?」


「そんな事わかっている」


「では、友との約束を破れないお主は、これからどう生きるのだ?まさかその強靭な魂を投げ棄てようとは考えておるまい?」


 わからない。

 デミアンはリクハートを縛り付ける約束だけを遺した。

 それは破る事が出来る。

 しかしその気が起きないのは、リクハートがデミアンの存在を否定したくないからだ。

 彼の望みは愚か。

 それでも彼は本気だったし、そんな彼と過ごす時間はリクハートを強くした。

 デミアンの願いを無下にしてしまえば、自身の力の使い道がわからなくなってしまう。

 それこそまさに、友が拒んだ破滅への道だ。

 アリシスにもリクハートの考えがわかったのだろうか、次の提案にリクハートは目を見開く。


「正義とは、人の数よりも多く存在する。同じ方向であっても、枝分かれした大樹の様に、細かく道が分かれている。リクハートよ。お主の正義もデミアンの正義も、等しく正しく、等しく愚か。だから、残ったお主が世界を統べるのだ。そうだな……デミアンの先の願いを尊重するならば、全人族を傀儡にして仕舞えば、全てを守れるだろう?」


「人族の王がそれを提案するか……」


「詳細は違えど、似たような正義を掲げるものは沢山いたのだ。書物を見ればそれは明らか」


 たった一人の人間が頂点に君臨する事。


 思想や信仰するもの、守りたいもの、様々な違いが人と人を争わせる。

 今では“亜人”という目立った敵を作る事で解消しているが、人間同士で争うのも時間の問題だろうと、アリシスは言った。

 そこで必要なのが、たった一人の正義。

 全てを掌握し、手の平で転がせる程の偉大な存在。

 人々が信仰する者がその一人だけならば、戦争など起こりようがない。


「出来れば我がなりたかった。だが、力無き者では不可能。どれほど高尚な正義を掲げても、それに反発する者も必ずいる。それすら纏められる程、強大な力を欲していた。そして、お主らと出会った」


「確かにお前と出会った。だが、私は人族の王なんかの為に力を使わない」


「言っただろう、罪を償うと。我を殺せ。お主がここに君臨し、世界を創り変えろ。亜人達と手を取り合えなかった事……今更だが、不甲斐ない我を許してくれ。人族を第一に考えた故、虐げられる亜人達を見ぬフリした事は我の愚かさだ」


 自分では手に負えなかった、そう言っている様にリクハートには聞こえた。

 しかし事実なのだろう。

 アリシスの瞳には恐怖や打算などない。疲弊した表情で、真っ直ぐリクハートを見据えている。

 人族の未来を託すかの様に。


「……何故だろうな。唯一の友の願いよりも、お前の願いの方が受け入れ易い」


「お主の友が語ったのは理想だ。それに限りなく現実味を持たせたのが、今啓示した“方法”だ」


 そう、アリシスがリクハートに提案したのは、方法の一つでしかない。

 だがリクハートにとって、他に選択肢は無かった。

 友を失った悲哀から生まれた虚無感。それが思考を停止した結果かもしれない。

 でも構わなかった。

 寧ろ、最初からこうしておけばよかったのだ。

 たった一人の強大な友に依存し過ぎていた。

 それは“解”を出す責任の放棄。

 無責任に力だけを振るってきた報いがコレならば、受け入れる他ないだろう。

 そしてまた、デミアンもリクハートや勇者に責任をなすりつけて消えてしまったのだとしたら、それは彼の弱さ。

 力を持った弱き者。そんな二人が片方だけになってしまった。

 デミアンはこれまで、先頭に立って亜人族を守ってきた。

 リクハートはこれから、頂点に立って人族を操る。

 これでフェアだ。


「リクハートよ。一つだけ人族の願いを聞いて欲しい」


 跪いたアリシスに、リクハートは白く細長い人差し指を向ける。


「道を示してくれた恩があるからな」


 助かる、と呟いた後、アリシスは笑った。



「我の子孫と勇者が出会う時代まで、お主が創る“偽りの平和”を守ってくれ」



「……はっは!わかった。期待はしないが楽しみにしていよう。その時まで、私が王となろう」


 言外に“勇者召喚”と“ラウレヌスの子孫を守る”約束まで取り付ける図々しさに笑ったリクハートは、指先から圧縮された魔力の渦を発射し、アリシスの額を貫いた。


「安らかに眠れ、力無き強き者よ」


 これで道が決まった。

 簡単ではないが、単純で良い。


「戦争は終わりだ……新しい時代を始めよう」


 リクハートは城に火をつけた。

 外から人々のどよめきが聞こえる。

 混乱した人間の精神は操り易い。

 アルバリウシス中に精神汚染の魔法を広げる。

 気が狂いそうな勢いで魔力が削られていくが、はじめの一歩は踏み出せた。




「アリシス・ラウレヌスは暗殺された!只今より、私が王となる!」



 焼失したラウレヌス城跡に立つリクハート。

 アリシスの死を悼む声の次には、新たな王の就任に歓声を上げる人々。

 これが第一の世界改変。

 リクハートの行いに、存在に、誰も違和感を持たない。いや、持たせないよう魔法を掛けたのだ。



 ――亜人との関わりも切っておくべきだな。


 新たにリクハート城を築き、その玉座で魔法式に改良を入れる。

 亜人に対する嫌悪感を増大させる。

 そうすれば奴隷にしようとも思わない。

 嫌悪され、追いやられ、人族の暮らしと亜人族の暮らしを完全に別つ。

 そもそも身分の差も必要無い。デミアンもそう言ってた。

 貴族制度は廃止だ。

 王である自分の下にいるのは、皆等しく操られる人形。


 ――海外からの干渉も受け付けない。


 デミアンは海の外と情報交換したと言っていた。『救世の魔法陣』も海外の技術だ、アルバリウシスよりも進んでいるのだろう。

 もし外の者にリクハートの魔法が効かなかったら脅威になるかもしれない。

 大陸全土に隠密、認識阻害の魔法を掛ける事にする。

 逆にアルバリウシスの者も、海の外に興味を持たない様に精神汚染を付け足す。

 低レベルであり続ければ、王に対抗できる者は永遠に生まれないだろう。


 ――反乱分子には呪いを。


 どうしても王に、この世界に、悪影響を及ぼそうと考える者が出て来たら、そいつの精神は黒く塗り潰してしまう。

 理性を失くさせ、負の感情のままに暴れ回る『魔人』にしてしまえばいい。

 人族はそれを魔族と勘違いして、戦えばいい。

 いつか、マオが魔族を引き連れて復讐に来るかもしれない。

 その時に対抗できる程度の強さは持たせておくのだ。



 こうして様々なルールを創り、改変を起こし、リクハートはたった独りで誰とも会わずに、玉座の上で世界を弄んだ。

 魔法式を書き換える度に魔力の消費が激しかったが、何度も行う事によって膨大すぎる魔力を手に入れたし、できる事も増えていった。


 そしてリクハートが王になって僅か数年で、彼は自分の力だけで創り上げてしまった。


『アルバリウシス』という名の、“リクハートの箱庭”を。

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