それぞれの旅立ち

 

「みんな……本当に……」


 ロイの言葉を遮る様に里の民は言った。


「感傷的になるなよ!これからが本番だ、しっかりやってこいよ!」

「そうだ、帰る場所は守っとくからな!」


 たった数日でほとんどの獣族は身体強化を身につけたし、ロナやリラは結界魔法や攻撃魔法もいくつか使用できる。

 全て勇者スイのお陰だ。

 昨日魔力が切れたのか、雪豹師匠は消えてしまった。だが、彼に教わることはもうほとんどなく、後はここで各自成長していける。

 だからロイも安心して旅立てる。


「この恩を返す為に、俺は勇者様と世界を救う!」


 わっと沸き上がる民を背に、ロイは歩き出した。


「おにーちゃん!!託したからね!」


 ロイが一人で山を下りる事に心配し、寂しがっていたロナも今ではしっかり者で。

 ロイの強さを信用していたこともあるし、最近訪れた獣人リラを姉の様に慕っている事が、寂しさを紛らわせているのかもしれない。

 全ての悩みは綺麗に片付き、ロイは清々しく山を下りるのだった。


「皆んなの想い……託されたぜ」


 ロイの冒険は、今始まる。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 王都の外れ、小高い丘の石碑の前にスイは座っていた。


『二十代目騎士団長 デヴィス』


 この世界に墓はなく、偉大な事を成し遂げた者や、王の役に立った者だけがこうして石碑に記される。






 王都魔物襲撃事件から二日後、夕方にスイは目覚めた。王都の医務室のベッドだった。

 側に控えたメリーはうたた寝をしていたが、スイが目を覚まして直ぐにいつも通りに背を正した。


「おはようございます、スイ様。気分はどうですか?」


「スッキリ爽快」


 スイは特に何も考えずに答えたのだが、この答えが予想外でメリーは目を丸くしていた。

 当然だ、怠惰なスイの答えにしては清々しすぎるし、病み上がりの目覚めである。

 しかしスイは不思議な程気分が良く、医者とメリーの制止も聞かずにこの石碑の前まで来た。






「全く……一時はどうなるかと思ったよ」


 人がいない丘の上で、夕陽に照らされた場所に精霊が現れた。


「だから呼んでもないのに……」

「今回は本当に危なかったよ。漆黒の英雄が来なかったら君は君ではなくなっていた。死んでいたよ」


 精霊の言う通りだった。

 魔人が死に、標的を人族に変更した所で、スイは漆黒の英雄に抑えられた。

 周りの者は皆、『侵食の波動イロージョンウェイブ』の中で動けずにいたが、彼だけはスイに近寄り、更にスイの呪いを解いてみせた。一体何者か――


「欠落勇者が世界を壊さぬか心配だ、また訪れよう。彼はそう言って去って行ったよ。全く、欠落勇者は大変だね」


 精霊の嫌味に反論する気は起きなかった。面倒だから、でもあるが、それどころではない。


「彼は何者だ?お前なら知っているのではないか?」


「僕が何でも知ってると思ったら大間違いだよ。ま、人間として彼に感謝しなくちゃいけないことくらいは知ってるけど」


「後でな」


「それにしても魔人に握られている時間は苦痛だったよ。負のオーラに埋め尽くされて消えるかと思った」


 精霊は余程不満を伝えたい様で、オーバーに身振り手振りを交えてスイに訴える。


 それをスイはシカトして、自身との対話を思い出す。


 ――更なる孤独を貫くの?


 それが皆にとってよい結果を招く、とスイは答えた。

 果たしてそうだろうか。

 呼んでもいないのに精霊は出てくるし、メリーはいつの間にか側に控えている。スイ自身もこうしてデヴィスを思い出す場所に来ている。そして漆黒の英雄は、スイを助けてくれた。

 孤独を貫くことが出来るだろうか。

 所詮自分達は傷を塞ぎ合い、寂しさを紛らわせながら助け合って生きていく、弱き生物なのだ。

 それならば“孤高”は幻想か。

 わからない。

 スイは今、あの時の問いの答えに自信が持てなかった。


「まあ、文句はこの辺でよしておくよ。さて、魔人についてだね。君の推測は凡そ間違いではないだろう。問題は魔人と魔族の違いを人族が信じるか。信じたとしても、対策が取れないけどね。原因を探る必要がある。呪いか、恩恵か……」


「恩恵?」

 スイは訝しんだ。


「そう、だって恨みを晴らす力を与えられるわけだからさ、汚れきった人間にとっては恩恵と言えるよ」


「なるほど。問題は人の意思から起こる出来事なのか、人以外の何かが関与しているのか、だな」


「君はあの時、魔人を殺したいと願ったの?」


 スイは少し考えてから口を開いた。


「それよりも自分の弱さを憎んだ。その負の感情に飲まれて暴走したんだ」


「それなら、後者が正しいだろうね。人以外の何か……一体なんだろうね?」


 精霊は疑問だけ掲示して消えてしまった。

 背後からミラが来る気配を感じたスイは振り返る。


「やっぱりここにいたのね。スイ、お願いがあるのだけどね」


 なんとなく、予想はついた。

 襲撃の騒動であやふやになってしまったスイとミラの賭けだが、スイは自身の冒険者カードがSランクになっている事を確認していた。

 ミラもきっと知っているのだろう。

 しかし二日前の暴走を考えれば、とても一人にして欲しいなど要求出来ないだろう。


「わかっている。冒険に出る時はしっかり見張っていてくれ」


 いつまた暴走するか。あの時のスイを見た冒険者は勿論、スイ自身も不安があった。


 ミラは少し驚いた表情の後に、少し微笑んだ。


「獣族の里でロイに会ったわ。彼が旅に同行するのは許したそうね?少し、スイが望む世界の在り方がわかった気がしたわ」


 そう、ロイもやってくる。もう孤独を貫く事は出来そうにない。


 また仲間が死んだら呪いに飲まれるのか。

 その時はまた誰かが助けてくれるだろうか。


 スイにはわからなかったが、出来るだけの事はしようと思う。

 暗闇の中で考えた事と矛盾しているが、助けられてしまったのだ。

 スイの意思とは関係なく伸ばされた寿命の中で、スイの意思とは関係なく救ってくれる人々に囲まれ、それならばやるしかないと諦念する。


「面倒だなぁ……」


 身体の奥まで染み込んだ怠惰は決して剥がれ落ちる事はないが、幼い頃憧れた正義感も未だスイの中にあったのだ。


「ミラ、次に漆黒と会った時に大事な話をする。王城では話せぬ」


 リクハートがどれほどの監視能力を持っているかスイにはわからなかったが、アランと結託してリクハートを敵と見なした以上、少なくとも王城で魔族の味方になるような話はしない方が賢明だろう。

 スイは魔人の正体と呪いについて、話したかったのだ。


「え?ええ、わかったわ。それにしても漆黒の英雄に目をかけられるなんて光栄な事ね。近い内に会いに来ると言っていたわ」


 彼の正体については、やはりスイにはわからなかった。

 だが、どんな面倒事を引き受けてでも、彼とは対立しない方が良い。認識阻害のベールに包まれた男であるが、生物の本能が彼と敵対する事を許さない。


「さて、これから何をするべきか……」


「エルフの里を探してみてはどう?長寿の種族ならスイの疑問も解決してくれるかもしれないし」


 以前のミラではあり得ない提案をするのは、彼女がスイに影響されたせいだろう。彼女はもう、亜人排斥の精神は持っていない。その上、スイの望む世界に興味を持っている。

 これから彼女は大切な仲間になってくれるだろうとスイは予感した。


「そういえばパーティを組んでいなかったわ……近い内にギルドに行って正式に勇者パーティを組みましょうか」


 パーティを組む事に大きな意味は無いが、勇者パーティの場合は一つ意味がある。

 それは知名度だ。

 勇者が纏めるパーティと知られれば、そのメンバーにも注目が行くし、全員が強者だと認められるだろう。

 ミラの提案はこれから仲間になる亜人が、勇者パーティとして皆に認められる事を望んだものだった。


「そうだな……しかし勇者暴走で評価が落ちてやしないだろうか」


 スイもそんな事を気にするのかと、ミラは意外に思ったが、きっと同じパーティになるロイを思っての事だろうと解釈した。


「スイがいなければ危ない戦いだったから……悪い評価はあまり無いわ。人情的だとか、少し残酷だとか、そのくらいかしら」


「そうか」


 もうあんな無様は晒してはいけないな、とスイは心に決めた。面倒だが、これから人族の勘違いを正すために行動を起こす必要がある。その為にも勇者の印象は良くなくてはならない。


「ミラ」


 相変わらず眠そうな目でスイはミラを見ていた。しかしその瞳は常よりも輝いて見えた。


「俺は救いたいものを救う。しかしそれは誰かの意思に背くかもしれない。それでも――」


 スイはミチコの言葉を思い出していた。


『あなたはお父さんによく似ている。自分の信じた道を行くのよ』



「わかってるわ。私は、私もデヴィスさんも、スイが歩く道を共に行くわ」


「……助かる」


 スイはそれだけ言うと王城へと歩いて戻って行った。


「やっと勇者らしい事言ってくれたわね!」

 背後から聞こえたミラの声に「やかましい」と、スイは小声で応えた。

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