三章 漆黒

冒険者ギルド

 

 スイの朝は早い。


 日が昇る少し前に目が覚め、直ぐに二度寝を試みる。しかしこの万能な身体になってから二度寝が成功した事はない。

 仕方なく身体を起こして自身に『浄化』をかけ、水属性魔法『水球ウォーターボール』を発動し、綺麗な水を飲む。

 自室の本を読みながら太陽を待つ。因みに今日読んでいる本は『ギルドの歴史』である。


 手に職のない者達が集まり、冒険者ギルドが設立されたのは三七五年前。その仕事は多様だった。探し物や話し相手、浮気の調査までやっていたのだから寧ろ探偵とも言える。

 だが、魔法が発達し魔物が脅威になってくると、次第に冒険者の仕事は用心棒や魔物退治が本命になってくる。

 そして今から三百年前。冒険者の一人が魔族を発見する。曰くそれは魔物を超越する力とと悍ましさを持っていた。

 その年から冒険者の心得に『魔族絶対排除』が追加される。

 逃げる魔族を追い、攻撃し、それでも逃げようとする魔族を更に追う。次第に魔族は大陸の北端に追い詰められていく。同様に様々な亜人族が大陸の端に追い詰められていたが、彼らには魔族程の強い力は無く、人族は亜人を放っておいた。

 そして今から二百年前。遂に追い詰められた魔族を一掃しようと、過去最大の戦争が起こされる。手柄を立てようとする武力派貴族や冒険者、人族の為にと魔法研究所の者や騎士団が集まり、北の大陸に押しかけた。

 戦争の詳細、並びにアリシス・ラウレヌス王の暗殺、それに伴う政治改革については『アルバリウシスと王都の歴史』を。

 尚、戦後の貴族廃止により冒険者ギルドは『貧民の集まり』と揶揄されることはなくなった。寧ろ戦争で貢献した故に今の誇り高き冒険者ギルドがあるのだ。


 スイはそっと本を閉じて棚に戻す。隣の『アルバリウシスと王都の歴史』を取り出そうとして、やめた。間も無く太陽が昇り始める。ホワイトローブを羽織り、机の上のバスケットに入ったリンゴを手に取り、開いた窓から飛び出す。四階の勇者部屋から上に二階分、飛行魔法で一気に屋根まで上がる。

 東を向き、屋根に座ってリンゴを齧る。昨日の獣族の里のリンゴより食感は固く、甘みが強い。こっちの方が好きだ、とスイは思う。シャキシャキと咀嚼しながら、まだ顔を覗かせたばかりの太陽に向かってブーメランを投げる。勿論太陽を攻撃するわけではない。

 スイが身体を動かさずとも意思だけで自由に舞うようになったそれは、紫からオレンジに変わろうとする朝空を背景にひとりでに踊る。まるで主人に歓びを表現している様だった。


「獄炎」


 スイはリンゴの芯を火属性の上級魔法で灰も残さず消滅させる。同時に踊っていた武器も帰ってくる。

 立ち上がって大きく伸びをしてから、屋根から飛び降りて自分の部屋に戻る。太陽がちょうど半分顔を出したのだ。この時間になると王城の者達は活動を始め、太陽が完全に出る頃に王都は賑わってくる。

 自室に戻ったスイはベッドの下に隠した製作中の作品を取り出す。

 内側からの衝撃には非常に強いが、外側からの衝撃には然程強くない。意図してその様に作った拳大のそれは水属性初級魔法の『氷球アイスボール』で、数は両手で数えられないほどだ。

 スイは一つずつ壊さないように内側に魔力を注いでいく。ついでに数を増やす。

 怠惰なスイだが、いや、怠惰なスイだからこそこの朝の日課は欠かせない。有り余る勇者の魔力がスイの意思に反して身体に力を漲らせる。その為、適度に消費しておかなければ働きたい衝動が抑えられない。心地良くダラける事が出来ないのだ。

 ある程度消費したら再びベッドに戻る。微睡む事は出来ないが、少しの疲労感を抱いたまま放心するのは堪らない怠惰な娯楽だ。




 ―――トントントンッ。


「おはようございます」


 怠惰を貪っていたスイが、腹が減ったと考え始めた時に入って来たのはメリー。太陽が完全に顔を出した時間だ。


「うむ」


 いつも通りの返事をしてスイは部屋から出る。その後を続くメリーはにこやかだ。


 食堂に着いた二人は、この近辺で栽培されている王都芋のポタージュを飲みながら今日の予定を話す。


「本日は冒険者登録をして頂くとの事です。今後はミライア様がスイ様にお供する事が多いでしょう。朝食後、王城門へお願いします」


「わかった」


 嫌な顔をして答えるスイ。ミライアが嫌いなわけではないが、彼女は面倒だ。小言が多いし頭が固い。人族至上主義の考えが脳みそにベッタリ張り付いている、スイはそんなイメージを持っていた。

 そんなミライアとは逆に、メリーは全く面倒では無い。寧ろ世話をしてくれる彼女は、自分を怠けさせてくれる有難き存在だ。それにメリーは頭も良く、柔らかい。

 遠いメイドの自室がある棟から毎朝やってくるメリーに「面倒だろう、隣室を使えばいい」と言った次の日、メリーは隣室に引っ越して来た。毎回の食事もスイの一言により、共にとることになった。これが頭の固いメイドだと、身分を弁えてと遠慮するのだが、スイはそういった効率を悪くする礼儀が好きではなかったし、敬われる事自体心地悪かった。




「仕方ない……そろそろ行くか」


 空になった器を少しの間見つめていたスイは重たい腰を上げた。因みにこの独り言は、周囲の人間に自分がどれほど働きたく無いのか知らしめるためのものだ。

 この場ではメリーだけがそれを悟り、案外子供っぽい所もあるんだな、と微笑みながらスイを見送った。






「おはよう、スイ」


 門に着き、ミライアに迎えられたスイは片手を上げた。


「メリーから聞いたと思うけど、今日は冒険者ギルドに登録して貰うわ。依頼も一つくらい受けてみましょうか。わかってると思うけど、王城の外には勇者に期待する人々が沢山いるの。くれぐれも……」


「ミラ、そんなに俺が信用ならないか?」


「……失礼したわ。スイなら大丈夫よね、では行きましょう」


 本当は、依頼なんて面倒臭い、なんて言い出さないかミライアは心配だった。しかし昨日のスイを疑うという粗相を思い返したら反論など出来なかった。


 そんなミライアの気まずい空気と、門衛の尊敬の眼差しを無視し、スイは城の外へ歩き出した。






「あ、ミライア様!おはようございます」

「と、隣の美少年は勇者様……だよな?」

「ミライアさまー!勇者さまー!」




 朝から騒々しい民衆に、スイはこめかみを抑える。

 お堅いデヴィスと歩いた時はこれ程では無かったが、民衆人気の高いミライアと歩くと気安く声を掛けられてしまう。これは良くない。スイはそう考え、後で必ず文句を言う事を決めた。






 ――――――――――――――






「あ、おはようございます!遂にいらっしゃったんですね!!」


 木造の広い三回建の冒険者ギルドに入っても目立つ二人は、受付嬢の屈託のない笑顔に迎えられる。不規則に並べられたテーブルと椅子は半分近く埋まっており、その全員が静かにスイを見ていた。



「彼が勇者スイよ。早速だけど登録をお願いするわ」


 ミライアは手短に済ませようとする。門を出てから止まない声に、スイの表情がどんどん不機嫌になって行くことに気付いていたからだ。

 機嫌の良さは顔に出さないくせに、嫌な事は直ぐに顔に出す。そんな勇者を民衆に見せたくなかった。


「はい!ではスイ様、よろしくお願いします!ミライア様が着いておられるので、ギルドの説明は簡単にさせてもらいます!」


 小さく頷くスイに、次々に説明がなされた。


 ギルド内での禁止事項や、報酬について。依頼表の説明など。中でも最も重要だったのはランクについてだろう。一番下がDランクで、そこから実績を積み上げてCランク、Bランクと上がって行く。Bランクになれば冒険者としての信頼は高く、町や村に襲撃があった際など呼び出される事も多い。Aランクになればどんな依頼も任され、Sランクになれば王がその人物を求めるほどだ。因みにミライアとデヴィスはAランクだそうだ。冒険者が本職ではないからだろうとスイは予想した。


「約束を守って頂けるなら、このプレートに魔力を通して下さい!」


 そう言って差し出されたのは、掌に収まる硬く白いカード。魔力を流し込めば、そこには『スイ Dランク』と文字が現れた。


「それが本人証明になりますから、依頼を受注する時は提示願います!」


 どうやら魔力の質で本人か否か判断出来るらしい。指紋認証の様だとスイは思った。アルバリウシスには船がなかったり、技術が遅れているのかと思っていたが、この世界にはこの世界の技術がある様だ。


「では、勇者スイ様のご活躍楽しみにしておりますっ!」




 元気な受付嬢に背を向け、依頼ボードの前に来た二人。


「さて、じゃあ依頼をこなして行きましょうか。スイにしたら物足りないかもしれないけど、Dランクの依頼でも難しいものも多いのよ。この人喰い草の赤ちゃんの退治なんてどうかしら。他の草に混じってるから見分けにくいのよ。初仕事に良さそうね」



 ミライアの話を聞き流しながらスイは考える。


 ――何故こんなに怠いんだ?


 体調が悪いのとは違う。ひたすらに怠くて面倒なのだ。


 何故か。


 潜めようともしない声が不躾に自身の評価を各々語っている事か。

 勇者を民衆を操る道具の様に扱い、自身に制限をかけるこの魔法師か。

 それともだらしのない笑みを顔に貼り付けてズカズカと近寄ってくるこの大男か。



「やっだぁ〜、近くで見ると本当イケメンねぇ〜?撫でても良いかしらぁ?」



 ――否、全てだ。



「んぎぇやぁぁあ!!いったぁい!保護魔法!?全っ然気付かなかったわ、ていうかアタシは魔獣扱いかっての!」



「なっ!ギルドマスター!スイ、なんて事を!」


 いやらしい手つきでスイに触れようとした大男――ギルドマスターは、保護魔法にバチバチと弾かれた。



「ふむ。お前の事は知っているぞ。単独のSランク冒険者アミゴ。依頼の最中に現れた魔族を一騎打ちで仕留めたらしいな。まさかこんな気持ちの悪いオカマとは知らなかったが」


 もはや『勇者たる態度』を忘れ去ったスイの毒舌は止まらない。

 全てを面倒に感じたら、何もかもぶち壊して仕舞えばいい。これは怠惰の究極奥義である。


「まあ知りたくて知ったわけではない。今朝読んだ本に書いてあったんだ。ところでオカマスター、魔族はどうだった」


 いつも人名を省略するスイが『オカマスター』なんて長い呼び名を使うのは喧嘩を売っている様にしか見えない、とミライアは焦る。普段は無口なスイが何故今日に限ってこんなに毒を吐くのかミライアには理解出来なかった。


「あぁん、素敵な愛称ね」


 そう言ったアミゴは蕩けた表情を一変させ、真剣な顔つきで言った。



「…………そうね、魔族は強い悪よ。一人で相手しちゃいけないわ」


 アミゴが真剣に話す事は珍しいのだろうか。それとも数年前にボロボロで帰ってきたアミゴを思い出していたのか。スイを品定めしていた冒険者の取り巻きたちも息を飲み、緊迫した空気が漂った。

 しかしそんな空気の中に毒は広まる。


「ふん、使えないオカマだ」



「な、なんて事を言うのよスイ!ギルドマスターが忠告して下さったのに」


 ミライアを皮切りに冒険者達からもブーイングが起こる。そもそもスイが何を思って問うたのか、この場の誰も理解していなかった。



「ふぅん、スイさん?イケメンだからって傲慢になっちゃダメよ?貴方の力は凄いのかもしれないけど、それだけで魔族に勝てる筈ないの。ミライアさんの話だと実践もまだなんでしょう。ギルドに入ったら勇者の身分なんて関係ないのよ。あまり高慢な人はイジメられても助けてあげないわよ」


 そもそも魔族と戦うと言っていないスイは、論点が違うと呆れながらも、思いついた案を実行する為に重たい口を開いた。


「構うもんか。寧ろ俺を虐げたいならそうすればいい。俺はこんな小姑の様な女と行動を共にするより、独りでいたい。それが叶うならお前らの罵声など、子供の笑い声の様に聞き流そう」


 スイが投げる武器の様に、思わぬ所で方向転換した毒はミライアを侵す。

 当たりが酷いとは思っていたが、まさかそこまで嫌われているとは。ショックに打ちのめされるミライアは自身の仕事――勇者の監視を忘れる。


「な、だったらこうしましょう!三日間の内にSランクに昇りつめるのよ!それが出来たらスイの単独行動を許しましょう。無理ならば謝罪して下さい!そして今まで通り私が着きます!」


 救世の魔法陣で召喚された者が裏切るとは考えられなかったが、強大な力が他に行ってしまえば、良からぬ事が起こるだろう。それを危惧してつけられたのは監視役のデヴィス、ミライア、メリー。因みに本人しか知らない事だがデヴィスとメリーは既にその仕事を放棄している。スイを想う故だ。

 そんな実は一人の監視役ミライアは独断でスイに条件を提示した。


 ――三日でSランクに昇りつめる事。


 突如現れた天才、『漆黒の英雄』は五日でSランクになったという。それ自体異例のことだ。勇者の力でも三日など無理だろう。故にミライアは怒りに任せて勝手に条件を下した。それにもしクリアしても、いま最悪の印象を撒き散らしている勇者の名誉を挽回出来るならと考え、それはそれでいいかと投げやりになる。



 そしてスイの答えは――




「受けよう。今から三日間だ。……ミラ、自分の言葉に責任を持てよ」


 最後の言葉を聞いたミライアは少し冷静になって「自分の立場がまずいかもしれない」と考える。しかし全てを見届けた野次馬達が歓声を上げるから、後には引けない。


「「「うぉぉぉぉお!!!」」」

「最高にイカれたかけが始まるぞ!」

「面白え!綺麗な顔してとんでもねえ毒吐いたな!」

「はっは!傲慢だが嫌いじゃない!俺は勇者を応援しよう」

「ミライア様が感情的になる所、あたい初めて見た……」



 最後の方に聞こえた声に再度焦る。そうか、ここは荒くれ者の多い冒険者ギルドだった。なら今のスイみたいに生意気を言った方が好感が上がるのかもしれない。それならば名誉など気にする必要はなかったのか。寧ろミライア自身の名誉が傷つきそうだ。

 ミライアは後悔を抱きながらもスイの瞳から目を離せなかった。




「ミライアさん……これはアナタを成長させるイベントでもあるのよ……」


 熱気を帯びて騒々しいギルド内で、アミゴの小さな呟きは誰にも拾われなかった。

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