第18話:母の想い

 学院から市場までの道の途中、普段は誰も通らないような道がある。

 一見すると獣道のようだが、ミリスは特に気にする事無くこの道へと入っていった。

 道中の小川に置いてある桶に水を汲むと、引き続き山の斜面を慣れた足取りで登って行く。

 しばらく行くと、突然目の前に一面に広がる花畑が現れた。

 ミリスが初めて来た時、ここはそこかしこに風化した石柱が散乱する廃墟だった。

 そこから毎日根気よく片付けと掃除、そして花を植え続け、今では見事な花の絨毯に浮かぶ立派な祭壇を作り上げていた。

 ミリスは手際よく掃除を終えると、祭壇の階段部分に腰を掛けて一息入れる。

 心地よい風が、ミリスの髪と花壇の花たちの間をそよいでいく。

 今の時期は、ピンクのガーベラと、薄紫のシオンが咲き乱れており、ミリスのお気に入りの風景の一つとなっていた。


「毎日、精が出るのう」


 いつの間にか、ミリスの横に座っている老人が声をかけて来る。


「もうすっかり、慣れましたからねぇ」


 特に驚く様子もなく、ミリスは老人を見るとにこやかに応えた。


「じじいの気まぐれに、よくも付き合ってくれるもんじゃ。今日も働きもんの嬢ちゃんには、わしからのご褒美じゃて」


 老人が右手の人差し指をくるくる回すと、ミリスの胸元が光った。


「もうちょっとで、半分ですねぇ」


 光っているプレートをミリスが胸元から引っ張り出すと、表裏くるくるして老人に見せる。

 プレートにはマス目が引かれており、星印が並んでいた。あと四つで全体の半分が埋まろうとしている。


「掃除だけじゃったら、もう六年かかるのぅ」

「そしたらミリスは、十九歳になってしまいますねぇ」

「もっと早く集める方法があるぞい」


 ミリスはプレートを額に当てると、「う~ん」と唸りながら何かを考え始めた。


「早く集めても、使う予定がありませんねぇ」


 にこやかな笑顔に、すこし困ったような顔で老人に応える。


「ふむ、まだ『生きる意味』が見つからんのか?」


 老人からその言葉を聞くと、ミリスの顔から笑顔が消え、困り顔だけが残った。


「まだ分かりません。今は両親が『生きていてくれていることが嬉しい』と言ってくれたので、生きている様なものです。私にとって、何をする事が『生きている意味』なのか……」


 ミリスは膝を抱え遠くを見つめる。


「じゃぁ、聞いてみるかいの」


 老人が左手の人差し指をくるくる回すと、ミリスの前に光る物体が現れた。


「あら? あらあら。ご無沙汰しております。いつも、うちの娘がお世話になって」


 光の塊から、三者面談にやってきた母親のような声が聞こえると、その姿は徐々に一人の女性へと変わっていく。


「お母さん! はぶゎっ」


 ミリスは飛び上がり女性に抱きつこうとするが、その手は空を切り顔から地面へとダイブした。


「ミリス、あなたまだ悩んでたの? あと、相変わらずそそっかしいわねぇ」


 ミリスの母は「あらあら」とすり抜けたミリスを振り返ると、優しく語り掛けてくる。


「だって、生きる意味なんて、何したら良いか分からないし」


 ミリスは顔の土を掃いながら立ち上がると、母に甘える様な、ちょっとすねた声で答えた。


「ふふ、大きくなっても甘えん坊さんね」


 母はミリスの視線までしゃがむと、にこやかに微笑みながら話を続ける。


「まだ小さかったあなたには難しかったわね。『生きる意味を探す』という事は、『やりたい事をやりなさい』って事なの。決して『やらなければならない事』じゃないし、『たった一つの事』でもないの。どんどん色々な事をやってみなさい。その中で楽しい事、辛い事、色々あると思うわ。それを続けるか、辞めるかもあなた次第。その中から人生をかけて続けたい事を見つけられれば、それがあなたの『生きる意味』になるの」


 ミリスは、母の言葉を頭の中で反芻する様に、黙って頷いていた。


「いい? ミリス、悩んでる暇なんて無いの。そんな暇があったら、どんどんやって、どんどん失敗しなさい。一回で見つかるなんて思わないのよ」

「わかった。お母さんは、生きる意味を見つけてたの?」

「お母さんの生きる意味? あったわよ」


 母は立ち上がり両手を頬に添えると、恥ずかし気に呟く。


「それはね、お父さん。キャー言っちゃったー!」


 ぼんやり光る母が、娘の前でぴょんぴょん飛び跳ねていた。「私は愛に生きたのよー!」とか叫んでいる。

 ミリスは、そんな母の姿を見て、生前の父と母が仲睦まじく過ごしていた光景を思い出していた。

 ひとしきり騒いだ母は、そんなミリスの触れられない頬に手をゆっくりと添えると、愛おしそうな瞳で見つめ、言葉を続ける。


「そしてミリス、あなたよ。」


 ミリスの瞳から涙が流れ落ちた。

 言葉にできない思いが、胸の奥から込み上げてきて止まらない。

 そして同時に、あの時聞いた言葉を思い出していた。

(ミリスの精一杯を生きて、人生を力いっぱい創って。そしてこちらに来たら、それを笑って話してほしい)

 それは、自らの命を使って娘を生かした母が託した言葉。

 父や母を失い、生きる希望を失った七歳の少女には理解できなかった、いや、理解したくない現実の中で、全てと共に心の奥に仕舞い込んでいた言葉。

 その言葉を思い出したミリスは、穏やかな表情で母に語りかけた。


「お母さんが頑張って生かしてくれた私の命、ちょっと無駄にしちゃったけど、これからは大事に使うよ。それで、お母さんの所に行ったときは、いっぱい楽しいお話しができるようにするね」


 とめどなく涙を流す娘を慈しむように包み込むと、母は優しく呟いて消えていった。


「ええ、楽しみにしているわ。ミリス、私の『生きた証』……」


 ゆっくりと消え去る光を、大切に抱えるようにして、ミリスは暫く泣き続けた。


 やがてミリスは老人へ振り向くと、何かを決意した表情で話しかける。


「おじいちゃん、力の使い方教えて」

「そのプレートの裏に書いとるじゃろ」


「ほれ、そこ」と言わんばかりに、老人はミリスの頬を人差し指でぐりぐりする。


「ひょ、ひょういわれりゅと、ひょうれひら」


 ミリスは、プレートの裏をまじまじと見直す。


「と言う訳じゃから、その力をお前さんのやりたい事に使ってみるがよい」

「はーい」


 元気に応えるミリスの表情は、涙のあとを残した晴れやかなものになっていた。



「どうして私は、呼んでくれないのですか」


 ミリスを見送る老人の後ろから、恨めしそうな男の声が聞こえてくる。


「進路相談は三人と相場が決まっとろうが。それに、女の子の悩みは母親じゃないとな」

「なんですか、それ」

「まぁ、次は呼んでやるから、大人しく成仏しとけ」


 しっしっと、老人は手を振ると、霧の様に姿を消していった。



 いつもより山にいた時間が長かったので、ミリスは急いで買い出しを済ませる為に走ったのだが、全てが終わる頃には、もう日が暮れ始めていた。


「あ~、そういえば」


 夕食の準備の時間が近づいていた為、急いで帰ろうとしていたミリスは、何かを思い出したように立ち止まる。


「ワインが残り少なかったですねぇ」


 お昼にサイモンへワインを出した時、残り少なくなっているのを思い出したのだ。

 ミリスが酒場に入ると、既に何組かの客が集まり酒を肴に語り合っていた。

 酒場と言うのは、人々の安らぎの場であると同時に、密談の場としても使われる事がある。静かな所で話をするより目立ち難く、聞きとられにくいからだ。

 ワインを買って帰るミリスが通り過ぎるその奥でも、今まさに二人の男が密談を交わしていた。


「残り、何とかなりませぬか」


 暗灰色の髭を蓄えた、小太りの男が向かいの男に話しかけている。

 顔は、フードを深く被っているので見えない。


「今は無理だ。まさか『出涸らし』が継ぐとは思わなかったからな。余計なことをしてくれる」


 向かいの男が口を開く。こちらもフードで顔を隠しているが、体形は髭の男よりも、ほっそりして背も高かった。

 忌々しさを紛らわすためか、ビールを一口啜ると話を続ける。


「元が国王の肝入りだったからな、下手に手を下すとこっちが嗅ぎ付けられる。追々手を下すが、どうせカステン貴族の遊び場になっているだけだ。時間がたてば勝手に潰れるだろう」

「かしこまりました。すべてが手に入りました暁には、残りもお支払いしましょう」


 髭の男は、フードの内から睨め付けた。


「ちっ守銭奴が」

「こちらも商売ですからな。『国選』の件もよろしくお願いしますぞ」


 細身の男は、残りのビールを一気に煽ると、


「分かっている」


 と告げ、酒場を後にした。


「へっ、クソ貴族が。何の役にも立たず、金が手に入る訳ねーだろ」


 髭の男は、呟きながら憂さ晴らしにビールを煽ると、もう一杯注文した。

 賑やかに騒ぐ席の、その奥から注がれている視線に気付く事もなく。

 そしてその視線の主は、声にならない声で呟いていた。


(二人ともフード捲れてますよ)

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