第2話:魔術師失格の引き籠り、戦士になる。

 おお……

 重厚な木製の扉を開いた瞬間、僕は一瞬にしてその空気に圧倒されてしまう。

 日々の生活の糧を得る為、血眼で掲示板を見ている者。

 オーガを倒したと自慢している者。

 依頼が掲示された瞬間、奪い合う者。

 その圧倒的な熱量に、自分の様な日がな一日引き籠っている者は、五分と立っていられないとさえ感じる。

  

「こっちだ、こっち!」


 軽くめまいを感じながらジェラールが呼ぶ場所へ赴くと、既にカウンターで何やら女性と話をしていた。

 肩まで流したブロンドの髪には、軽くウェーブがかかっており、青い瞳に丸みを帯びた顔は、美人というよりは可愛らしい趣の女性である。やけに親しげに話しているが、ジェラールの彼女であろうか。いつもは見ない彼の一面を垣間見て、僕は少し心が躍った。

 カウンター内にいるので、多分受付嬢であろう。ジェラールはその女性から紙を一枚受け取ると、こちらに戻って来る。


「よし、ここに名前をかけ」

「いやだ」

「うるせえ、書け」 

 

 説明も無くいきなり署名しろとは、明らかにヤバイ代物にしか思えない。

 間髪入れず断ってみたが、相手はジェラールだ。僕の中では人の話を聞かない男、ナンバーワンである。

 無駄な抵抗はすっぱり諦め用紙を受け取ると、書いてある内容を眺めた。


「ギルド入会申込書?」

「おう、今日からお前は冒険者だ。おめでとう!」


 なにやらジェラールが僕の肩をバンバン叩きながら嬉しそうに言っている。この男は何を言っているのだろうか。魔術の一つも使えない僕に何が出来るというのだ。

 少しムッとしていた僕に、ジェラールは半ば無理やりサインをさせると、そのまま有無を言わさずギルドに併設されている武器・防具屋へ引きずって行った。


「よし、まずは装備だな。最初は俺が奢ってやる」

「は?」


 気が付けば、僕は右手にショートソード、左手にはカイトシールドを握らされていた。


「よし、次は装備を付けたまま、走りこみだ」

「は?」


 気が付けば、僕はショートソードとカイトシールドを持って、ギルド併設のグラウンドを走らされていた。


「よし、次は素振りだ」

「はっ、はっ、……は?」


 気が付けば、僕はショートソードの素振りをさせられていた。勿論、左手にはカイトシールドを持ったままでだ。


 考える間を与えられる事無くジェラールに振り回された僕が、最後に意識があったのは自分のベッドに入る瞬間だった。

 次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、朝からジェラールは扉をぶち破りながら現れ、僕を攫って行っては、特訓をさせた。

 魔術師失格の引きこもりである僕など、ジェラールの手にかかれば赤子の手をひねるより簡単に引き回せる。仕方ないので僕は彼の言われるままに体を動かし続けていたのだが、日数を重ねるにつれ、何故か引き籠っていた時に比べ心が落ち着いているのを感じていた。

 そんなスパルタがひと月ほど続いた頃、いつもと違う場所に行こうとするジェラールに、僕は声をかける。

 

「あれ、今日は走らないの?」

「走りたいか?」

「いや、そうでもないけど」 


 と言いつつ、内心何か物足りない気持ちに心落ち着かない。慣れとは恐ろしい物である。

 いつも走っているグラウンドの横にある練習場へ行くと、ジェラールが木剣を手に取りニヤリと笑った。


「よし、今日から剣術の練習だ」


 その日から、剣術練習が加わった。ジェラール相手の模擬戦で、練習用の木剣とはいえ当たれば痛い。痛いのは嫌なので必死に戦った。ちなみに、この後きっちりと走りこみと素振りがいつも通りの量で待っていた。

 そして、僕がギルドに入って半年、とうとうこの日がやって来たのである。


「今日は、依頼を受けてゴブリンを倒しに行くぞ」


 ジェラールは、いつもより真剣な眼差しで僕に話しかけてくる。相手は動かない標的ではなく、殺意を持って反撃してくる敵なのだ。慎重になるのは当然なのだが、その時僕はまだ事の重大さに気付いてはいなかった。


「まってました!」


 もはや完全に調教、もとい、訓練されていた僕は、何の違和感もなくジェラールの話を受け入れる。

 引き籠っていた頃の脆弱な面影はなく、ギルドハウスにいる猛者たちを前にしても、気後れする事はもう無い。ゴブリンなぞ一撃のもとに葬り去ってくれると息巻いていた。


「何度も話したが、魔物とはいえ相手も生きている。死にたくねぇから死に物狂いで襲い掛かってくる」


 いつものふざけた雰囲気は、ジェラールから感じられない。


「これは殺し合いだ、躊躇った方が死ぬ。忘れるな」

「はい」


 形だけは真剣な返事を返していた僕は、その後大いに後悔する事になる。


 初めてゴブリンと対峙した時、僕は興奮した。

 初めてゴブリンの攻撃を受けた時、僕は恐怖した。

 初めてゴブリンを殺した時、僕は戦慄した。

 返り血を浴び、匂いと感触に吐きながら、ゴブリンの耳を削いだ。


「これが、殺し合いだ」


 戦いが終わった時のジェラールの言葉が、その日はいつまでも耳に残っていた。

 こうして、魔術師失格の引き籠りは、戦士になった。



 それからギルドに入って一年。

 今日の依頼で僕とジェラールは、はぐれのゴブリンが居ついて困っている村に来ていた。

 村人の話によると、数は五匹。流れて来たばかりなので、子供はいないだろうとの事だ。

 特に問題もなく、僕とジェラールは連携してゴブリンを倒していき、巣穴の確認まで完了すると、依頼人の所へ戻ってくる。


「有難うございます! 有難うございます!」


 道中、村人から口々に感謝の言葉を述べられ、僕は戸惑った。

 これは、なんだろう。

 依頼人の村長には手を握られ、涙ながらに感謝された。

 なんで、こんなに喜んでるんだろう。

 不思議に思っていると、ジェラールが前を歩きながら話しかけてくる。


「なに呆けてんだ?」

「うん。なんであんなに喜んでるのかなって」

「そりゃ、皆お前に感謝してるからだよ」

「ゴブリン倒しただけだよ?」

「ゴブリン一匹だろうが、魔王一匹だろうが、それで命を救われた者からすれば、倒してくれた奴は英雄だ」


 英雄――

 それは僕が小さい頃からなりたかったもの。伝説の大魔術師、マーヴィン・ブレイドの後を継いで国を救うような英雄になりたかった。

 しかし、それは夢物語のままで叶う事は無い。

 だがジェラールは、いま僕の事を英雄と呼んだ。

 その言葉の意味を噛み締め、立ち止っていた僕に、ジェラールは振り返ると、もう一度言う。

 

「お前はこの村を救った英雄だ。それは、お前がこの一年生きた意味に十分じゃねぇか?」

「あ……」


 僕は一年前に言った事を思い出していた。

『自分の生きている意味』


「魔術師になれないからって、お前は終わりじゃない。別の何かになれば良いだけだ。それにな――」


 そしてジェラールは、遠い昔を思い出す様に言葉を続ける。


「俺は九歳の時、おやっさんに拾われた。お前は六歳だったか、三つ下の子が魔術学校に行ってるって、最初はすげぇなって思ったよ。でも、周囲の期待に応えようと、必死で藻掻いてるお前が痛々しくて、段々見ていられなくなってきた。それで、無理やり面倒見てる内にお前が弟の様に思えてきた。と言えば聞こえは良いが、実際のところ、俺も両親を失って生きる気力もなかったからな。何か支えが欲しかったんだと思う」


 遠い昔を見つめていた瞳は、現在に戻ってこちらを見つめる。


「だからお前は俺の弟というだけで、ずっと生きている意味があるんだよ」


 いつもの人懐っこい笑顔で言うと、ジェラールは再び歩き出した。


「一年かけてやっと答えかよ!」


 後ろをついて行く僕は、誤魔化す様に声を張り上げたが、込み上げてくる涙を止める事が出来なかった。

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