第3話:優しき案内人

 二人が再びギルド本部へ向け歩き始めて暫くすると、ジェラールがおもむろに話しかけてきた。


「ところでよ」

「なに?」

「たまには、おやっさんのところに顔出してやれよ」

「あーうん。いずれ、ね」


 その話はやめて頂きたいので、あからさまに歯切れの悪い返事で誤魔化そうとする。

 引き籠りの件から一年、父とはいまだ面と向かって話が出来ない状態のままだ。偉大な父の後を継いで魔術師になる事も出来ず、学院も逃げ出した親不孝者がどの面下げて会いに行けるというのか。

 僕はそうして勝手に自分を追い込み、父を避け続けていたのだ。


「魔術師の後継者じゃなくても、子供の成長ってのは嬉しいもんだよ。親としてはね」

「親でもないのに、よく言うよ」

「俺は親じゃねぇけど、兄貴として弟の成長がうれしいからな!」

「いつ、僕の兄貴になったんだよ……」

「俺が、おやっさんのところに世話になってから、おやっさんの息子のお前は、俺の弟なんだよ!」

「無茶苦茶だよ」


 照れ隠しに口ごたえしてみるが、満更でもなかった。ジェラールがいなければ、今の自分はいなかっただろう。進むべき道を失い、暗闇に堕ちかけた自分に手を差し伸べてくれたのは彼だ。それ以来、世話になりっぱなしである。

 たとえ血がつながっていなくとも、兄と慕うには十分過ぎた。

 でも、父の事は勘弁していただきたい。


 やがてマルサス王国の首都ドランに入った頃、僕とジェラールの前に一台の馬車が止まった。一般的な馬車にはない豪奢な装飾が施された、王侯貴族が使用するものである。

 そして、その装飾の文様もマルサス王国の物というより、隣国のカステン公国の物の様だった。

 珍しいな。何か貴族の集まりとかあったっけ?

 不思議に思いながら馬車をかわして進むと、後ろから声が聞こえてきた。


「そこの兄ちゃん! ちょっと道を教えて欲しいんだけどよ!」


 振り向くと、小太りの中年男性が馬車から飛び降りて小走りでやって来る。

 そんなに距離を走っていないのに、追いついた男は膝に手をついてかがみ込むと、はぁはぁ言いながら息を整え始めた。他人事ながら、もっと普段から運動をしろよと思う。


「王立魔術学院ってとこに行きたいんだけどよ、知らねえかい?」

「学院ですか? それなら、――ってジェラール?」


 ようやく息を整えた男が行き先を尋ねてくると、後ろにいたジェラールが突如僕を押し出してきた。


「それなら、こいつが一緒に行って案内してやるよ!」

「は? なんで僕が!」

「換金はしといてやるから、しっかり案内しろよ! あと、おやっさんにも宜しくな!」


 言うが早いか、ジェラールは既に走り出していた。

 謀ったな! おのれジェラールめ。

 このままでは、学院に行く事になってしまう。それは出来れば避けたいので、何とかこの場を逃れようと言い訳を考えていると、馬車の中から声が聞こえてきた。


「お手数おかけしますが、宜しくお願いいたしますわ」

「わかりました。お任せください」


 あまりの奇麗な声に、僕はそれまでの思考が真っ白に消え去り、気が付けば無意識に了承していた。

 なんだ、今の声。

 まるでガラスの鈴を転がす様な声に一瞬で魅了されていた。

 これがあの、言葉に魔力を乗せて行使する『言霊』と言う奴か。

 実際、そんなものがあるかどうかは知らないが、無下に拒否できるようなものではない物言いだった事は確かだった。


「すまねぇな、兄ちゃん、それじゃあ案内たのむぜ」


 まんまとジェラールの策略に乗せられた僕は、観念してこの豪華な馬車の助手席へと乗り込む。御者の男はそれを確認すると、鞭を入れ馬車を走らせ始めた。


「取り敢えず、この大通りをそのまま走ってください」

「あいよ」


 学院までの道のりを男の隣に座って案内する、要所要所で右か左か言うだけの簡単なお仕事だ。行くだけならな。


「この時期に入学ですか?」

「ん? ああ……、俺も雇われだからよくわかんねぇけどな」 


 先程の声の主が気になったので、道を指示しながら何気なく聞いてみる。

 しかし、はぐらかされたのか、本当に知らないのか、御者の男はそれ以上話そうとはしない。そこはかとなく怪しいがまあ良いだろう。

 客車は隔離されているので中は見えないが、馬車の豪華さからして後ろに乗っている主は間違いなく貴族だ。

 貴族にはあまり良い印象が無い、と言うよりむしろ憎しみさえ感じているが、先程の声を聴いて以来、一目見てみたい衝動に駆られていた。


「そこの道を、左に曲がれば学院です」


 手で指し示すと、馬車は左へ曲がり大きな門を潜り抜ける。

 そこには、馬車用のロータリーを挟んで、学舎と学生寮が繋がった木造の巨大な建築物があった。


 王立魔術学院。我が父、マーヴィン・ブレイドが伝説の大魔術師として、ルイス国王より賜った物だ。

 学舎と学生寮の他に、図書館や実習用の広場、孤児院などを合わせて、かなり広大な施設となっている。

 あらためて見る学院の雄大さに、父の偉大さと継ぐことのできなかった己の不甲斐なさで心が痛む。案内を済ませたら、とっとと帰ろう。


「そこの入り口前に横付けしてください」


 入り口正面にあるロータリーに馬車を横付けする様指示すると、馬車が止まるのを待って降りる。


「兄ちゃんありがとよ!」


 御者の男はチップのつもりか、僕に銅貨を一枚握らせると、馬車の後ろへ回り荷物を降ろし始める。

 僕は有難く頂いた銅貨をポケットに仕舞い込むと、帰る前に一目声の主を見たいと思っていたのを思い出し、客車の扉が開くのをさりげなく待った。


「クロエ様、学院に到着いたしました」


 先程の声とは違うが、少々高めの抑揚はないが澄んだ綺麗な声だった。

 その声に惹かれる様に視線を向けると、馬車から一人の女性が降りてくる。

 第一に目に入ってきたのは、風になびく髪。長さは腰のあたりほどもあろうか、日の光を受け淡く輝く金色は、黒を基調としたメイド服によく映えていた。

 次に瞳。深く吸い込まれるような濃い紫が、白い肌に静かに佇んでいる。が、表情に色はなく、その静謐さは人形の様にさえ感じた。

 それらの印象が強い為、気づくのが最後になってしまったが、彼女の耳は人と違っていた。

 エル、フ?

 おとぎ話や絵本でしか見た事の無い、とんがり耳がその女性には付いていた。

 すごい、初めて見た! ってか実在したんだ!


 保守的な種族であるエルフは、人間の社会に出てくる事はまず無く、人の寄り付かない森を終の棲家として、何百、何千年という一生をその中で過ごす。

 そのエルフが今この場にいる事実に、僕のテンションは最高潮に達していた。

 父の事などすっかり忘れて見惚れていると、メイドが馬車に振り返り、主が降りるために手を差し伸べている。

 

 白い――


 第一印象はそれだった。

 メイドの手を取り現れた姿に、僕の視界は白一色に染まった。

 銀糸の刺繍が入った手袋やドレス、靴に至るまで白で統一された立ち姿に、透き通るような白い肌、風を受けて白金色に輝く髪。

 メイドの髪も煌びやかに輝いているが、それ以上に心奪われる光景だった。

 視線を感じたのか、少女は馬車から降りると、トコトコと微笑みながら近づいてくる。


「初めてお目にかかります。わたくしはカステン公国ブランシュ家、クロエ・ブランシュと申します」


 先程、馬車の中から聞こえた声だ。

 メイド程高くはないが、澄んでいてなお力強く芯の強さを感じさせる声で、馬車の主が裾をちょこんと持ち上げながら挨拶をする。

 年齢は僕より少し下だろうか、貴族の挨拶をする中にも可愛らしさの残る少女だった。


「デュワ、デュランです」


 うおおおぉぉぉぉ! 緊張のあまり噛んでしまった! こんな所にまで引き籠りの弊害が現れるとは。引き籠り、恐ろしい。


「デュワ・デュラン様?」


 聞いた事の無い珍しい名前なのだろう、少女は首をかしげながら反芻する。両サイドで一緒に揺れる縦ロールが少女の可愛さをより一層引き立てている。


「いえ、デュランです。デュラン・ブレイドと申します」


 咄嗟に言い直したが、既に顔が真っ赤になっているのを感じていた。

 う、カッコ悪い……


「デュラン様ですね、この度はご案内有難う存じます。こちらが王立魔術学院ですのね?」


 見上げてくる深緑の瞳は、好奇心を抑えきれないと言った感じで、後ろの校舎をちらちらと見ている。

 

「ええ、そうです。ご案内しましょうか?」


 その様子があまりにも可愛かったので、緊張が解れた僕はそこが何処なのかも忘れ思わず提案してしまっていた。相変わらずの迂闊さである。


「よろしいんですの? 有難うございます、ぜひお願いいたしますわ!」 


 

 嬉しさのあまり、くるくる回っている。可愛いからいいか。


「クロエ様、はしゃぎ過ぎて転ばぬようお気を付けくださいませ」


 そんな感じで軽率に諦めていると、クロエの横から先程のメイドが姿を現した。


「わたくし、ブランシュ家クロエ様付きメイドの、アリエッタと申します。主の後の紹介となり申し訳ございません」


 アリエッタと名乗ったメイドは、まったく申し訳なさそうな顔で挨拶をしてきた。と言うか、先程から本当にこのエルフには表情と言うものが無い。最初に表した人形と言うのがしっくりくる程だ。


「あ、いえ。デュランと言います。宜しく」


 挨拶を済ませると、いよいよ三人を学院へと案内する。勢いで言ってしまったが父には会わないようにしなけば。周囲に人の気配がない事を確認しながら慎重に進んで行く。

 ジェラールは会わせたがっている様だが、あれから一年、いくら肉体を鍛えたとはいえ、僕のメンタルはさっぱりこれっぽっちも鍛えられていない。特に父に対してはクリティカルに弱いのだ。

 そんな事情もつゆ知らず、クロエは嬉しそうに学院へと入っていく。

 まず受付窓口でアリエッタが入学手続き済ませると、学生寮の部屋の場所を聞いて御者の男に荷物を運ばせる。一人で全て運ぶ勢いだったので、特に手伝う必要はなさそうだった。

 たとえ手伝う事になっても、貴族達がいる学生寮など近づきたくも無かったが。


「ではまず、教室からです」


 右手で通路の奥を示しながら進んで行く。この時間なら授業も終わり、皆寮に帰っているので、生徒と会うことは無いだろう。

 

「此処が教室です。明日からクロエさんが勉強すると……」


 扉を開け、クロエを中に入れようとした瞬間、誰もいない筈の教室に人影を見つけて、心臓が止まりそうになった。

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