第9話:授業開始
クロエに教師を了承した後、サイモンさんに学院長を継ぐことを伝えてから二週間。新学院長と言っても、立ち上げの各種登録・変更から普段の事務処理まで、全てサイモンさんが一手に引き受けてくれているので、僕の仕事は『教師』一本に絞る事が出来た。あまりの有能さに死ぬまで足を向けて眠れないだろう。
そして、いよいよ今日が授業初日だ。
学舎と学生寮は王国に返却したので、教室は新たに孤児院を整理して作成している。
とは言っても、元々読み書きの授業は孤児院でも行われていたので、元あった教室に、必要な機材などを運ぶだけだったのだが。
「ふう……」
教室の扉の前でひと呼吸すると、心を落ち着かせる。
ここ一年で、新しい魔術概念や呪文は発見されていないので、教科書の内容も変わっていないはずだ。生徒もクロエ一人だし、緊張することは無い。
及び腰な自分に言い聞かせると、教室の扉に手をかける。
「おはよ、う?」
扉を開くと、予想外の光景が目に飛び込んできた。
「なんでエリシアが、そんな所に座ってるんだ?」
空席ばかりの教室の一番後ろに、さも当然のごとくエリシアが教科書を用意して座っている。
「兄さんが先生になったので、これを機に学業に復帰したいと思いました」
いつでも来いとばかりに、やる気に目を輝かせている。つい先日まで、目を真っ赤に腫らせていたのに。
エリシアは九歳の時学院に入学して、わずか四ヶ月で休学していた。
原因は『精霊憑き』と言われるもので、簡単に説明すると『精霊に気に入られてしまった』のだ。
憑いているのは火の精霊で、風の精霊との相性が致命的に悪く、エリシアの魔術はもちろん、他の生徒の魔術にも干渉してしまっていた。
必然的に皆がエリシアを遠ざける様になり、入学から四ヶ月目には一人ぼっちになってしまったのだ。
その様な状況に耐えられる訳もなく、程無くしてエリシアは休学届を出した。
その後、父が取り憑いている火の精霊を魔水晶に閉じ込める(と言っても、いつでも出てこられるが)事に成功したのだが、再び生徒たちの輪に入るのが怖くなっていたエリシアは、復学せずに今日まで学生寮で過ごしていた。
本人にやる気があるのなら、この機会に復帰するのも悪くないだろう。そう思った僕は、エリシアを手招きする。
「教室で魔術は使わないから、前に来ても大丈夫だぞ」
最初は躊躇していたエリシアだが、恐る恐るクロエの隣まで来ると、
「よ、宜しくお願いします」
と、緊張した面持ちで席に座った。
「こちらこそ、宜しくお願いいたしますわ」
クロエも嬉しそうに返事をしているので、問題はないだろう。
むしろ問題なのは、こっちの方だ。
「何故、アリエッタさんまでいるんですか?」
さも当然のように、クロエの反対隣りに座っているメイド姿のエルフに声をかける。
「メイドですから」
「なるほど」
何が『なるほど』なのか自分でも分からなかったが、あまりに自然な受け答えに、思わずそう口走っていた。
まぁ生徒は二人だけだし、邪魔にもならないだろうと、そのまま授業を続ける事にする。
「では、まず自己紹介から始めます。本日より、教師として皆さんに魔術を教える、デュラン・ブレイドと言います。宜しくお願いします」
教壇に立つと、皆に向け改めて挨拶をした。ぱちぱちとまばらな拍手が教室に鳴り響く。やはり少数とは言え、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「では、生徒の皆さんも自己紹介をお願いします。まずクロエさん」
「はい!」
クロエは、元気に声を上げると、静かに立ち上がる。
不思議と椅子の音がしていない、貴族の鍛錬のなせる業なのだろうか。
「わたくし、クロエ・ブランシュと申します。これから皆さんと学べること、大変うれしく存じます。何卒宜しくお願いいたします」
シルクのブルー地に、銀糸の刺繍が施されたワンピースの裾を摘まむと、優雅に挨拶をする。初日のドレスよりは簡素で動きやすそうな物だ。
いかにも、貴族のお嬢様然とした立ち居振る舞いだが、まだまだ少女と言う外観とのアンバランスで、背伸びをしているように見えて微笑ましい。と言うか可愛い。
「はい、宜しくお願いします。では次、エリシアさん」
突然の事で驚いたように、椅子をガタガタ鳴らしながら立ち上がる。
「ははは、はい。エリシアです。宜しくお願いします」
心の準備がまだ出来ていなかったのか、吃りながらも何とか挨拶を済ませる。
ピンクの綿製ワンピースを揺らしながら、わたわたとお辞儀をする姿も中々に感慨深い。
「はい、頑張っていきましょう」
学院生活どころか、人との触れ合いも久々のエリシアには無理もないだろう。
これから徐々に慣れて行って欲しいと、我が妹を暖かく見守った。
「続きまして、わたくしブランシュ家クロエ様付きのメイド、アリエッタと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
案内もしていないのに、いきなりメイドが自己紹介を始めた。
第一印象では、とても清楚な女性と言った感じだったのだが、時間が経つにつれ彼女に対しての認識が変わりつつある。
何かがおかしい、でも椅子は鳴ってない。流石だ。
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